42. 血よりも近い家族(上)
レニー・サヴィルは部屋の窓辺に立ち、漆黒の夜空を眺めていた。
今夜は月が妙に明るい。
だからだろうか。遠くに人影が現れた瞬間、彼女はすぐに気づいた。
――エリオだ。
だが、その隣にはもう一人誰かがいる。
レニーは振り返り、嬉しそうに声を上げた。
「父さん、母さん! あいつ帰ってきたよ!」
サイモン・サヴィルが本の陰から顔を覗かせる。
「おっ? 思ったより早かったな!」
エリオがそっとサヴィル家――幼い頃から育った家の扉を開けた瞬間だった。
「帰ってくる気はあったんだな、このバカたれが!!」
サイモンおじさんの怒鳴り声が正面から飛んできた。
「うわっ!?」
エリオは思わず数歩後ずさった。
何か言い訳をしようと口を開きかける。だが、その言葉は喉で止まった。サイモンおじさんの後ろに立つスタッシーおばさんが見えたからだ。
顔には笑みが浮かんでいる。それなのに背筋が寒くなる。
――終わった。
エリオは自分の運命を悟った。
「エリオ、おかえりなさ~い」
スタッシーおばさんは、その笑顔と同じくらい恐ろしい声音で言った。
「どうして置き手紙だけ残して家出みたいに飛び出して、一人で幻域へ行ったのかしらねぇ? 私たち三人、どう考えても分からなくて。ちゃんと説明してくれる?」
「あ、あはは……スタッシーおばさん……その……ほら、急ぎだったんだよ! あの時はすぐ出発しなきゃいけなかったし……!」
エリオは慌てて弁解した。
だが、その途中で気づいてしまう。スタッシーおばさんとサイモンおじさんが視線を交わしたことに。
――まずい。説教が始まる。
その時だった。レニーがひょこっと扉の横から顔を出す。
「ん~? エリオ、家出して帰ってきたと思ったら、可愛い女の子まで連れてきたんだ?」
エリオの後ろにいたコーディアが慌てて頭を下げた。
「は、初めまして。コーディア・キャスターと申します。今回、エリオさんと一緒に幻域へ向かった狩魔師です」
そう言って気まずそうにサヴィル一家を見回す
「えっと……まだお話の途中みたいですし、私は先に失礼しますね……」
「待って!!」
サヴィル一家とエリオの声が同時に響いた。
「なんだ、エリオの友達だったんだ! さあさあ、早く入って一緒にご飯食べようよ! 夕飯もちょうどできてるから!」
レニーが笑顔で言う。
「そうよ、遠慮しないで入ってちょうだい」
スタッシーおばさんも急に優しい口調になり、体を横へずらしてコーディアを招き入れた。
「でも……」
コーディアはまだ少し迷っている。
するとエリオが背中を軽く押した。そして、彼女にだけ聞こえる声で囁く。
「絶対一緒に来てくれ。じゃないと俺、本気でめちゃくちゃ怒られるから」
そう、軍司令部でコーディアがブレイ団長に散々怒鳴り散らされているのを見た時、エリオは決してそれが他人事ではないと思い知ったのだ。
サヴィル一家に黙ってバルバス博士のもとへ行き、視覚改造手術を受けたこと。その後、勝手に幻域の狩魔師任務チームへ参加したこと。
残したのは一枚の置き手紙だけ。そこにはこう書いてあった。 ――黄の匣を取り戻すために幻域へ行ってくる。数日後には戻る。
命を落としかけた手術。魔獣がうろつく幻域。そして、魔獣との戦い方すら学んだことのなかった自分。
もし、そんなことまでサイモンおじさんやスタッシーおばさんに知られてしまったら――。
自分がどれほど激しく、烈火のごとく叱責されるか、エリオは恐ろしすぎて想像することすらできなかった。
だから軍司令部を出た後、グレンが自宅へ向かって歩き出すと、エリオはコーディアに必死で頼み込んだのだ。一緒に家まで来てくれ、と。そうすれば多少は怒られ方も軽くなる気がした。
その予想は見事に当たった。
可愛らしい来客を見た途端、サイモンおじさんもスタッシーおばさんもレニーも、エリオの無茶な家出騒動をひとまず忘れてしまったらしく、嬉しそうにコーディアを食卓の席へと案内した。
「お皿もナイフもフォークもあるから、遠慮しないでいっぱい食べてね!」
レニーが嬉しそうに言う。
「あの……でも、お皿が一つ足りないような……?」
コーディアはテーブルを見回した。並んでいる食器は四人分しかない。
「足りないんじゃないわよ。
だってエリオは今日、夕飯抜きなんだから。そうでしょ、サイモン?」
スタッシーおばさんがにっこり笑う。
「ああ。そのくらいしないとな。俺たちに黙ってあんな危険なことをした罰だ」
サイモンも楽しそうに頷いた。
「あぁ……ちゃんと反省してるって! 頼むから勘弁してくれよ~!」
エリオはパンへ手を伸ばした。
だが――それを見逃さない目ざといレニーにパシッと手を叩かれ、痛みに慌てて引っ込める。
「いてっ!」
「だーめ♪ 今日は一口も食べさせないよ~。誰かさんが適当な置き手紙だけ残して、私たちを心配させたんだから」
「だから悪気はなかったんだってぇ~~! 夜中だったし、みんなを起こすのも悪いと思ったんだよぉ……」
その姿を見て、みんなが笑った。
コーディアはそんなサヴィル一家とエリオを眺めていた。胸の奥がじんわりと温かくなる。
エリオの生い立ちは聞いている。唯一魔獣を見ることのできないプルプラ族として生まれ、幼い頃から嘲笑を浴び続けてきたことも。
両親を魔獣に殺されたことも。そして幻域で起きた出来事も。
だからこそ心配だった。彼が深い自責や絶望に飲み込まれてしまうのではないかと。
だが、今のエリオは違う。家族に囲まれ、少しずつ肩の力を抜いている。
その緩んだ表情を見て、コーディアもようやく心からほっと安堵した。
――やっぱり、家っていいものだな。
コーディアは知っている。サヴィル一家とエリオに血の繋がりはない。それでも彼らは、エリオを育ててきた本当の家族だ。
彼らの間には強い信頼が流れている。
言葉を交わさずとも、まるで阿吽の呼吸のように自然と通じ合える、確かな信頼の暗黙の了解があった。
誰もエリオの左目について触れない。
なぜ眼を換えたのか問い詰めない。
彼の決断を疑わない。
理由を無理に聞き出そうともしない。
その代わりに見せているのは、完全な受容と包容だった。
これこそが、本当の『家族』というものなのだろうか。
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