38. 悪夢
王立病院を出る頃には、すでにかなり遅い時間になっていた。
キャロラインはアンビーに支えられながら、自分の部屋へ戻っていく。
ひどく疲れているようだった。顔色は血の気がなく、真っ白に近い。
それでも、とても嬉しそうに見えた。
アンビーはキャロラインの就寝を手伝った後、静かに部屋を出た。
彼女自身の部屋は、キャロラインの隣にある。
キャロラインの部屋に比べるとずっと小さい。だが室内は非常に整えられていて、居心地も良さそうだった。
二つの部屋は内扉でつながっている。いつでもキャロラインの様子を見に行けるようになっていた。
アンビーは先ほどキャロラインのために用意していた毛布を部屋に置くと、エリオたちを案内するために戻ってきた。
そして一行を宮殿の別の階へ連れていく。そこには彼らのために客室が用意されていた。
「もう夜も更けております」
アンビーは微笑んだ。
「キャロライン様から、皆さまのお部屋を用意するよう申し付かっております。
狩魔師の皆さま、今夜はナディラ宮殿でゆっくりお休みください」
アンビーはとても素直で穏やかな少女に見えた。話す声は柔らかく、顔にはどこか現実離れした静かな微笑みが浮かんでいる。
不思議なことに、彼女には宮中の従者や使用人、侍女たちに多少なりとも見える誇り高さがなかった。
四国でもっとも豊かなナディラに仕えている者たちは、皆どこか誇らしげなのだ。
だがアンビーはキャロライン王女に最も近い専属侍女でありながら、寵愛を笠に着るような雰囲気がまったくない。
グレンはなぜか、彼女から目を離せなかった。自分でも理由は分からない。
「キャロラインのこと、頼んだぞ、アンビー」
「はい、ソーン様」
「外に長くいすぎて、キャロラインには少しきつかっただろうな。でも久しぶりに宮殿の外へ出たんだ。あんなに嬉しそうにしてたら、早く戻れなんて言えないよな」
「ご心配には及びません、ソーン様。私のところにもミンガン仙丹がございます。お嬢様のお身体に異変があれば、追加で服用していただきます」
「うん。ミンガン仙丹があってよかったよ」
ソーンはしみじみと呟いた。
「キャロライン王女は、小さい頃から毎日そのミンガン仙丹を飲んでいるのか?」
エリオが尋ねた。
「キャロラインは生まれた時から身体が弱かったんだ。もともとは三歳まで生きられないだろうって言われてた。
でもナディラ皇三世と皇后は、この末娘を本当に可愛がっていてな。ミンガン樹を使った薬の研究に、莫大な資源を注ぎ込んだんだ」
ソーンは静かに、どこか労わるような声で言った。
「不老不死の花を咲かせるのは火のミンガン樹だけだけど、記録によれば、普通のミンガン樹にも大きな医学的価値がある。そうして開発されたのがミンガン仙丹だ。
キャロラインはずっといろんな薬を飲んでいるけど、身体の状態を安定させている主な薬は、やっぱりミンガン仙丹なんだよ」
◆ ◆ ◆
エリオ、グレン、コーディアはそれぞれの客室へ案内された。その後、ソーンは自分の部屋へ戻っていく。
どうやら彼はナディラ宮殿の常連らしい。
ここではとても慣れていて、自然体だった。
エリオたちの客室もまた、ナディラ王室らしい豪奢な造りだった。
家具には繊細な彫刻が施されている。ベッドの脚も机の脚も象牙で作られていた。窓辺には深紅のビロードのカーテン。
ベッド脇の小卓には、美しいガラスの水差しが置かれている。中には水が満たされていた。夜中に喉が渇いても困らないように、ということらしい。
アンビーはベッド脇の小さな鈴を指差した。何か必要なものがあれば、その鈴を鳴らせば近くの使用人が来てくれるという。
エリオはベッドに横たわり、久しぶりの安らぎを味わっていた。
その一方で、グレンの過去の話が何度も頭の中をよぎる。
魔獣に喰われた幼なじみ。そしてコーディアの、魔獣との戦場で命を落とした両親。
だからこそ彼らは、魔獣に立ち向かう時、あれほど恐れを見せないのだろう。
心の奥底にある亡き親友や家族への想い。それが彼らを戦わせる力になっているのだ。
ヴィクターとソーンは、ナディラ王家直属の狩魔師であることを誇りにしている。
エリオは、ソーンがキャロラインを見る目に気づいていた。
ソーンはキャロラインを守るためなら、すべてを懸ける。
きっとヴィクターにも、自分の命を懸けて守りたい人々がいるのだろう。
エリオは少しずつまぶたが重くなるのを感じた。意識がぼんやりと沈んでいく。
突然、目の前にモルゴロスが現れた。
いつの間にか、エリオは一人で幻域へ戻っていた。
周囲には黄砂が吹き荒れている。風に混じった鋭い小石が身体を打った。
砂嵐の向こうに、モルゴロスが立っている。
奴は冷たく笑っていた。
やがてその笑みはどんどん歪み、傲慢な哄笑へ変わっていく。
耳障りなしゃがれた笑い声。まるでエリオを挑発しているようだった。
エリオは即座に剣を構え、モルゴロスへ突きかかろうとした。
だが一陣の風が吹く。細かな砂粒が目に刺さるように痛んだ。
エリオは思わず目を閉じる。
次に目を開けた時、モルゴロスの姿は消えていた。
いや、消えたわけではない。
モルゴロスの笑い声は、まだ聞こえている。
ただ、見えないのだ。
まさか、また左目が使えなくなったのか!?
エリオは左手で目をこすろうとした。だが、自分の手のひらが血まみれになっていることに気づく。
困惑しながら目を落とした。
右手に握った剣からもべっとりと血が滴り、地面を伝って彼の背後へと どろりと流れ広がっていた。
嫌な予感に突き動かされるようにしてエリオが振り返ると、そこには全身を血に染めた三人が横たわっていた。
父。
母。
そして、コーディア。
エリオは恐怖に叫びながら目を開けた。
静寂の中、自分の心臓の音だけが太鼓のように響いている。
窓から月明かりが流れ込み、夜風がカーテンをそっと揺らしていた。
夢だった。
エリオは寝返りを打ち、布団の中で身体を丸めた。
本当に、自分は魔獣と戦う覚悟ができているのだろうか。
第一要塞で、コーディアが魔獣に洞穴へ引きずり込まれていった光景がまた脳裏に浮かぶ。
その一瞬、エリオは分からなくなった。
この先の任務に、自分は本当に参加すべきなのか。
ご覧いただきありがとうございます。
【更新スケジュールのお知らせ】
● 毎週 【日・月・火・木・金】18:10 更新
ぜひブックマークして、続きをお楽しみいただけると嬉しいです。
本作を気に入っていただけましたら、評価(★★★★★)やご感想、レビューなどをいただけると大変執筆の励みになります。




