37. 何のために戦う?
物心ついた頃から、ウード一家はグレンにとって家族同然の存在だった。
魔獣を見ることのできない普通の人々であるウード家と、プルプラ族のフォグラー家は、どちらもザヒール東部の小さな町に住んでいた。
二軒の家の間には、小さな菜園があるだけだった。
グレンはフォグラー家の末っ子だった。上には三人の姉がいたが、年齢がかなり離れている。
さらに狩魔師である家族は任務で家を空けることも多かったため、幼いグレンはいつもウード家の息子ルシアンと一緒に過ごしていた。
二人は二歳違いの男の子同士だった。町中を探検して回り、悪戯をしては一緒に叱られた。
その後、ルシアンの妹エレインが生まれる。すると二人は兄貴分として振る舞うようになった。
どこへ行くにも小さなエレインを背負い、食べ物を食べさせようとしたり、人形遊びに付き合ったり、言葉を覚えるのを手伝ったりした。
遊び疲れると、エレインを抱いたまま眠ってしまうこともよくあった。
ウード夫妻もフォグラー夫妻も暗黙の了解があった。
自分の家の男の子が見当たらなくなったら、隣の家へ行けば必ず見つかるのだ。
だが、その穏やかで幸せな日々は十一年前のあの日、突然終わった。
その日、グレンは寝坊をした。
学校に遅刻しそうだと気付いた瞬間、ベッドから飛び起き、服を着ながら階段を駆け下りた。
「母さん! なんで起こしてくれなかったんだよ!」
グレンは不満そうに叫んだ。
「え? もうそんな時間だったの? ごめんなさい、グレン。お姉ちゃんと町へ買い物に行く準備をしていて、時間を気にしてなかったの」
フォグラー夫人は時計を見て驚いた。
「部屋の扉が閉まってたから、もう学校へ行ったのかと思ったわ。いつもルシアンと一緒に早く出てるじゃない」
三番目の姉が言う。
そういえば――。
今日はルシアンが起こしに来なかった。
あいつも寝坊したのか?グレンはそう思った。
朝食のパンを手に握りしめたまま家を飛び出し、菜園を越えてウード家の裏手へ回る。
二階にはルシアンの部屋の窓がある。こっそり登って驚かせてやろうと思ったのだ。
慣れた手つきで柵をよじ登り、屋根へ移る。そして静かに窓へ近付いた。
カーテンは閉まっていた。当然だ。ルシアンはまだ寝ているに決まっている。
グレンは息を整え、そっとカーテンを開く。そして開いていた窓から勢いよく飛び込んだ。
「わっ!」
魔獣の真似をしながら脅かそうとした。
だが、部屋には誰もいなかった。乱れた毛布と枕がベッドに散らばっているだけだった。
ルシアンの姿はない。
グレンは肩を落とした。部屋を出て階段を下りながら呼びかける。
「ルシアンー! 学校行くぞー!」
返事はなかった。
家の中は静まり返っている。
しかも昼間なのに異様に暗かった。
数秒してから気付く。家中のカーテンが閉め切られていたのだ。光がまったく入ってこない。
グレンは階段の途中で立ち止まった。暗闇に目を慣らそうと瞬きを繰り返す。
同時に、何とも言えない異臭が鼻をついた。
そしてようやく見えた。ウード家に何が起きたのかを。
一階の床も壁も血で染まっていた。暗赤色の血が隙間へ染み込み、本棚や本にまで飛び散っている。絨毯は半分が血溜まりに浸かっているようだった。
机や椅子は倒れ、食器は砕け散っている。空気は濃厚な血臭で満ちていた。
奥の台所。玄関と向かい合う隅で、ウード夫妻が倒れていた。何かに追い詰められ、逃げ場を失ったかのように。
ウード氏は妻を抱き締めていた。二人の服は血に染まり、本来の色すら分からない。
だが――
ルシアンもエレインもいなかった。
グレンは絶叫した。震えながら家を飛び出した。
その後の数日をどう過ごしたのか、ほとんど覚えていない。
ただ、目を閉じるたびに血の海の中のウード夫妻が浮かんだ。
彼にとって第二の父と母だった人たち。
その光景に怯え、飛び起き、全身を冷や汗で濡らした。
十五歳になっていたにもかかわらず、しばらくの間は両親がそばにいなければ眠れなかった。
「知ってるか?」
グレンは低い声で言った。
「ルシアンとエレインは結局見つからなかったんだ。どこかに隠れて助かったんじゃないかって、最後まで期待してた。
でも十一年経った今となっては……認めるしかないんだ。二人とも、その場で魔獣に喰われた可能性が高いってな」
誰も返す言葉が見つからなかった。
強くて頼もしいグレンにも、こんな傷があったのだ。
しばらく沈黙が続いた。
「みんな、悪いな。こんな重い話をしちまって。たださ……キャロラインとアンビーを見てたら思い出したんだ」
やがてグレンは顔を上げ、照れ臭そうに笑った。
「もしエレインが魔獣に喰われてなかったら、今頃ちょうどあの二人くらいの歳だったんだろうなって。
でも、あいつはもう大人になれなかった」
グレンは静かにため息をついた。
「そうだな」
ヴィクターが考え込むように言った。
「普通の人々が魔獣に襲われることは珍しくない。親を失う人もいる。大人になる前に命を落とす子供もたくさんいる。魔獣っていうのは、本当に残酷な種族だよ」
「だからこそ、俺たちは剣を取るんだろ」
ソーンが言った。無意識にキャロラインへ視線を向ける。
数年前、“天才狩魔師”として王立狩魔軍団に入ったあの日。この少女を守ると心に誓ったことを思い出していた。
「その通りだ」
グレンは拳を握り締めた
「ルシアンやエレインみたいな子供を、もう二度と増やしたくない。だから俺は狩魔師になるって決めたんだ」
コーディアは無意識に首元のペンダントを握った。エリオは反射的に左目へ触れる。
その瞬間――
王立病院の病室にいる狩魔師たちは、これまでにない責任の重さを感じていた。
守りたい人々。
命を懸けて戦う理由。
それぞれが胸に抱く想いを噛み締めながら、自分が狩魔師であることを誇らしく思った。
みんな戦ってる。だったら俺も立ち止まれない。エリオは仲間たちを見つめながら思った。
幻域で味わった敗北感は、少しずつ薄れていく。
代わりに胸の奥には、温かな炎が静かに灯っていた。
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