36. 火のミンガン樹
夕食を終えた後、キャロラインはエリオたちを伝説の火のミンガン樹のもとへ案内した。
一行はキャロラインの後について回廊を進み、階段を上っていく。
その後、反対側の塔へ回り込み、一つの広間を抜けて小さな部屋へ入った。
部屋の奥には重厚な鉄扉があり、その脇には二人の衛兵が立っている。
「キャロライン王女殿下」
衛兵たちは恭しく礼をした。
「宮廷の狩魔師たちを、火のミンガン樹の見学に連れてきました」
キャロラインが言う。
「かしこまりました、殿下。まずはご来訪者のお名前を記録させていただきます」
衛兵は記録帳を取り出し、エリオたちの名前を一人ずつ書き込んでいった。
この場所が厳重に管理されていることは一目で分かった。
記録を終えると、衛兵は鍵を取り出して扉を開く。鉄扉の先にはさらに小さな空間があり、そこにも別の衛兵たちともう一枚の扉があった。
キャロライン王女の姿を確認すると、その衛兵たちも第二の扉を開ける。
そして彼らは、不思議な室内空間へ足を踏み入れた。内部は驚くほど広かった。
周囲には円形の回廊が巡らされ、その中央には巨大なガラスドームが設置されている。火のミンガン樹は、その中に植えられていた。
ガラスドームと回廊の間には五メートルほどの距離がある。さらに内部には数頭の大型猟犬が配置され、厳重に警備していた。
エリオたちは少し離れた場所から火のミンガン樹を眺めることしかできない。
樹高は十メートル近い。
真っ直ぐ伸びた滑らかな幹には斑点のような模様があり、枝は傘のように頂上で広がっている。
葉は細長く、墨を流したような深い緑色だった。
枝には赤い斑点を持つ黒い卵形の果実がいくつも実っている。
「これが火のミンガン樹です」
キャロラインが木を指差した。
「見た目は普通のミンガン樹とほとんど変わりません。
ただ、普通のミンガン樹は毎年白い花を咲かせますが、火のミンガン樹は百五十年に一度だけ花を咲かせるんです。
記録によれば、その花は炎のように真っ赤で、その一輪だけが不老不死の力を持っているそうです」
「なるほど。だからこそ、こんなにも厳重に保護されているんですね」
コーディアが頷く。
「でも、普通のミンガン樹だって十分貴重なんじゃないのか?」
エリオが尋ねた。
彼の記憶では、ミンガン樹の栽培は非常に難しい。
現在、その栽培技術を持っているのはナディラだけだ。その貴重な花や果実を他の三カ国へと販売し、それらを高級薬品を製造するための原料にしているのだ。
万病に効くと噂される仙丹――ミンガン仙丹も、その一つだった。
「その通りだ」
ソーンが答える。
「ミンガン樹は数が少ないうえに、とても枯れやすい。
世界中に存在するミンガン樹は、すべてナディラが特別に建造した温室で管理されている。
温室の警備も厳重で、ザヒールも兵力を派遣して共同で守っているんだ」
「そんなに希少なら、薬が高価なのも納得ですね」
グレンが感心したように言った。
「そうなんです」
キャロラインが微笑む
「特に仙丹と呼ばれるミンガン仙丹は、ナディラでは王族や貴族しか口にする機会がありません」
火のミンガン樹の部屋を出たところで、使者が駆け寄ってきてキャロラインへ報告を行った。ヴィクターが危険な状態を脱したという知らせだった。
皆、一斉に安堵の息を吐く。
キャロラインは皆で病院へ見舞いに行こうと提案した。アンビーがキャロラインの肩へビロードの外套を掛ける。
しかし宮殿を出た途端、冷たい外気に触れたキャロラインが咳き込み始めた。
「キャロライン!」
ソーンは慌てて駆け寄り、優しく背中をさする。そしてアンビーへ振り返った
「キャロライン王女のミンガン仙丹はちゃんと飲んでるのか?」
「はい」
アンビーが答える。
「主治医の先生からは毎朝一粒のミンガン仙丹を服用するよう指示されています。
さらに数日前から追加の処方が出ておりまして、就寝前に薬湯を一杯飲んでおります」
「だったら、先に戻って休んだ方がいいんじゃないか?」
ソーンは心配そうに言った。
「やだ」
キャロラインは舌を出して悪戯っぽく笑う。そしてそのまま歩き出した。
アンビーは慌てて追いかけ、彼女の腕を支える。
「王女様のお体は大丈夫なんですか?」
コーディアが尋ねた。
「昔からの持病だよ」
ソーンがため息をつく。
「キャロラインは小さい頃から体が弱かったんだ。
ミンガン仙丹のおかげでかなり安定はしたけど、主治医は今でも冷たい外気に長時間触れさせるなって言ってる」
「でも、アンビーは本当にしっかりしてそうですね。彼女が一緒なら安心なんじゃないですか?」
「そうだな。アンビーがいてくれて本当に助かってる。
小さい頃からずっとキャロラインの世話をしてきたんだ。
下手をすると、主治医よりもキャロラインの体のことを分かってるかもしれないな」
王立病院へ入ると、ヴィクターはすでに目を覚ましていた。
「キャロライン殿下、アンビー。お久しぶりです」
ヴィクターは微笑みながら二人に挨拶した。
まだ声にはかなり弱々しさが残っている。
「今はどんな感じ? ソーンから聞いたわ。とても厄介な魔獣と戦ったんでしょう?」
「傷はまだ治療中ですが、だいぶ良くなりました。
博士から処方された薬を飲んでいますし、きっとすぐ任務に復帰できますよ」
キャロラインは心配そうにヴィクターを見つめた。正直、とても元気そうには見えない。
月明かりの下では、プルプラ族特有の紫色の瞳もどこか力なく見え、顔色もひどく悪かった。
キャロラインは病床の脇にある棚に置かれた、薬の丸薬や処方箋に何気なく手を伸ばして改めると、不思議そうな顔を浮かべた。
ちょうどその時、ヴィクターを担当している博士が病室へ入ってきた。
「あっ、キャロライン殿下。どうしてこちらへ?」
博士は慌てて一礼する。
キャロラインは処方箋を掲げながら言った。
「博士、どうしてヴィクターのお薬にミンガン仙丹が入っていないの?」
博士は数秒固まった。それから慎重に口を開く。
「殿下……ヴィクター様には現在、最善の治療を施しております。どうかご安心ください」
「でも治療効果だけで言えば、ミンガン仙丹の方がずっと優れているでしょう?
追加で処方した方がいいんじゃない?」
「ええと……その……ヴィクター様のご容体は、まだそこまで重篤ではございません。
ミンガン仙丹の使用申請が必要となる段階には達しておりませんので、現在の処方で十分かと……」
博士は明らかに困った様子だった。
何が『そこまで重篤ではない』だ!?
エリオは思わず目を見開いた。
自分たちは死にかけたヴィクターを必死に運んできたのだ。
ナディラの博士は、あれほどの重傷を『重篤ではない』と言うのか。
エリオが口を開くより先に、ソーンが割って入った。
「博士、何かの間違いじゃないのか?
俺なんて昔、もっと軽い怪我をしただけで王立病院からミンガン仙丹を処方されたぞ。
なのにヴィクターが駄目って、どういうことだ?」
「そうよ!」
キャロラインも続ける。
「ミンガン仙丹が貴重なのは知ってるわ。でもヴィクターはホール家の人なのよ?」
「そ、それは……」
博士は額に汗を浮かべた。
「申し訳ございません、殿下。その……セオドア様からのご指示でして……」
「セオドア兄上?」
キャロラインが怪訝そうな顔をする。
「どうして?」
エリオは博士が落ち着きなく手を擦り合わせているのを見て、妙な違和感を覚えた。
だが、その時ヴィクターが口を開いた。
「大丈夫ですよ。ご心配いただいてありがとうございます、殿下。博士のお薬に問題はありません。僕は本当にだいぶ楽になっていますから」
博士は気まずそうな表情のまま病室を後にした。
その後、一同はヴィクターの周りに集まり、思い思いに話し始めた。
しばらく雑談を続けた後、キャロラインがソーンに幻域での冒険話をせがんだ。
ソーンは待ってましたとばかりに、第一要塞や第二要塞で見た出来事を大げさに語り始める。さらには魔獣の真似をして牙を剥き、爪を振り回す仕草まで披露した。
キャロラインとアンビーは悲鳴を上げ、そのたびにソーンは得意そうに笑う。
エリオとコーディアはそんな三人を見て顔を見合わせた。そして自然と笑みがこぼれる。
幻域にいる時のソーンは、いつも無理に大人ぶっているように見えた。
だが、まだ十四歳の少年なのだ。
同年代の友人たちの前で無邪気にはしゃぐ姿を見ていると、これこそが本来のソーンなのかもしれないと思えた。
一方で、グレンもソーン、キャロライン、アンビーの三人を見つめていた。
しかし、その表情はどこか重い。
黙って皆の話を聞いていたヴィクターが、その様子に気づいた。そっと手を伸ばし、グレンの腕を軽く叩く。
「グレン?大丈夫か?」
「え?」
グレンははっと我に返った。そして気まずそうに笑う。
「悪い悪い。ただ昔のことを思い出してただけだ」
「何か悩み事? 私たちに手伝えることかもしれないわ」
「いや……大したことじゃないんだ」
グレンは視線を落とした。
「……昔、俺の家の隣に魔獣の見えない一家が住んでいたんだ。ウードという家族でな。
そこの幼い兄妹と俺は実の兄弟のように、本当に深い絆で結ばれていたんだ。三人で毎日のように遊び回っていたよ……」
グレンの表情には深い悲しみが浮かんでいた。
「だけどある日、あの家族は、一家まるごと魔獣の襲撃に遭って……」
彼の意識は、遠い昔の記憶へと沈んでいった。
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