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34. 富める国

さすがナディラ国だ――。

宮殿へ足を踏み入れたエリオは、心の中で感嘆した。


以前から、この国を治めるナディラ家が数百年前に商売で巨万の富を築いた一族だということは知っていた。


国家に匹敵するほどの財力を持っていた彼らは、旧オルシア帝国が崩壊した際、西方の肥沃な土地をいち早く掌握し、ナディラ国を建国した。


そして現在に至るまで、ナディラは四国で最も豊かな国であり続けている。


実際に目にすると、その繁栄ぶりは想像以上だった。


軍事大国ザヒールのような質実剛健な雰囲気とは違う。目に映るものすべてが、豪奢で華やかな印象を放っていた。


そしてナディラを強国たらしめているもう一つの理由が、不老不死の皇帝の存在だった。


現在の皇帝であるナディラ皇三世は、すでに百九十七歳。古の大帝コーウィンに続き、史上二人目の不老不死の存在である。


しかし大帝コーウィンは数百年前に姿を消し、その行方を知る者はいない。

そのため、ナディラ皇三世は現在この世で唯一、人々の前に姿を現す不老不死の人物だった。


エリオたちは、本人に会えることを心待ちにしていた。


マレンに案内され、一行は瑠璃瓦で彩られた絢爛豪華な宮殿へ入る。

床も壁も磨き上げられた大理石。至る所に精巧な彫刻が置かれ、壁には数え切れないほどの絵画が飾られていた。


手すりや欄干には金の装飾が施されている。見上げれば高い天井に描かれた壮大な天井画と、そこから吊り下げられた巨大な水晶のシャンデリアが目に入った。


精緻な刺繍が施された絨毯の上を歩いていく。

宮殿内で働く使用人や侍女たちは皆きちんとした服装を身につけており、仕事の手を止めることなく、通り過ぎるエリオたちへ軽く会釈した。


やがてマレンは四人を謁見の間へと案内した。ナディラ皇三世は、すでにそこで待っていた。


皇帝は豪華な帝王の礼装をまとっていた。

衣には精巧な刺繍と金糸の縁取りが施されている。


指には三つの指輪があり、それぞれに大きな紅玉が嵌め込まれていた。

頭上には宝石で飾られた王冠。


しかし王冠からは黒いヴェールが垂れ下がり、顔全体を覆っている。そのためエリオたちは皇帝の素顔を見ることができなかった。


ただ、ヴェール越しに見える輪郭からは、驚くほど若々しい印象を受けた。


ナディラ皇帝の傍らには二人の男が立っていた。


軍服を身にまとった男は、ナディラ国家機密研究開発センターのカイソン・ストーン副将と自己紹介した。


もう一人、肩まで届く赤髪の男は、ナディラ皇三世を補佐する宮務大臣のセオドア・ナディラであり、同時にナディラ国の王子の一人でもあった。


セオドアもまた華美な長袍を身にまとい、その手にはルビーの指輪が光っている。ナディラ皇帝がこの息子をいかに重用しているかは、一目瞭然だった。


「ソーンフィールド・カウェンディシュ、そして南国ザヒールより来た狩魔師諸君」


ナディラ皇が口を開いた。

「まずは今回の任務への協力に感謝する。幻域への侵入そのものが危険な行為だ。

加えて、この任務は機密性が高く、多くの狩魔師を投入することができなかった。諸君には苦労をかけたな」


その声は意外なほど穏やかだった。

エリオ、グレン、コーディアは互いに顔を見合わせる。


ザヒール出身の彼らは、宮殿へ入る前まで、ナディラ皇を傲慢で近寄り難い人物だと思っていた。

だが実際に話を聞くと、その印象は大きく変わった。

三人は思わず肩の力を抜く。


「それで、任務に進展はあったか? 何か報告すべきことはあるかな?」

ナディラ皇が尋ねた。


「陛下」

ソーンが恭しく頭を下げる。


「残念ながら、今回も黄の匣の奪還には至りませんでした。

ですが魔獣たちの第一要塞と第二要塞の調査を行い、黄の匣が第二要塞の魔獣モルゴロスの手に渡っていることを確認しました。


また彼らは『イートン博士』と名乗るプルプラ族の人物と接触しており、二十日後に再び取引を行う約束をしていました」


「イートン博士?その名に心当たりはあるか?」

ナディラ皇は傍らの二人を見る。


「陛下、私は聞いたことがありません。ですが、直ちに調査を開始いたします」

カイソン・ストーンが答えた。


「つまり、この事件には人間が関わっているということですか?」

セオドア・ナディラが眉をひそめる。


「その可能性が高いと考えています」

グレンが答えた。


「幻葉水の研究は、我が国とザヒール国による共同機密研究だ」

ナディラ皇が静かに言う。


「目的は、人々が魔獣から身を守るための手段を見つけること。もし誰かがその研究成果を狙っているのだとすれば……」


「父上、サマン国が裏で糸を引いている可能性はないでしょうか」


「うむ」

ナディラ皇は頷いた。

「引き続き調査を進めよう。必要な支援も惜しまない」


そして視線をエリオへ向ける。

「黄の匣についてだが、エリオ・ヴレス。君の両親から何か聞いていないか?」


「研究成果が黄の匣に入っていることしか知りません。それ以上のことを話そうとした時には、すでに……」

エリオは答えた。


あの日の光景が脳裏によみがえる。

魔獣に襲われた日。何もできなかった自分。


「その悲劇については聞いている……だが、悲しみに暮れることなく、なお強くこの任務へと馳せ参じた君の姿勢を、朕は深く褒めたたえよう」

ナディラ皇は静かに言った。


その時だった。エリオはカイソン・ストーンがずっと自分の左目を見ていることに気づく。

エリオも真っ直ぐ見返した。その瞳に恐れはない。


やがてカイソン・ストーンが口を開く。

「エリオ・ヴレス。君の目だが……左目が黒から紫へ変わっているな」


「はい」

エリオは頷いた。


「魔獣討伐任務に参加するため、視覚改造手術を受けました。

その結果、左目だけ魔獣が見えるようになっています」


「視覚改造手術だと……!」

カイソン・ストーンは思わず息を呑んだ。


「片目だけで魔獣が見えるのか……」

セオドアが低く呟く。


「確かに左目しか見えません」

エリオは真っ直ぐ前を向いた

「ですが、必ず強くなります。両親の黄の匣を取り戻すために。その覚悟だけは誰にも負けません」


「面白いな」

ナディラ皇が言った。


「君は前例のない独眼の狩魔師というわけか。その決意、気に入った。

次に幻域へ向かうまでの間、しっかり身体を休め、鍛錬を積むといい。

ヴィクター・ホールについても心配はいらない。我が国には四国最高の医療技術がある。必ず助けてみせよう」


その時、一人の使用人が近づき、ナディラ皇へ耳打ちした。


皇帝は頷く。そしてマレンへ向き直った。

「キャロライン王女が、彼らの帰還を聞きつけたようだ。歓迎の宴を開きたいそうだ。マレン、案内してやれ」


「かしこまりました、陛下」

マレンが一歩前へ出る。そしてエリオたちを連れて謁見の間を後にした。


大殿を出てまだ数歩も進まないうちに、背後から甘えたような声が聞こえた。

「ソーン!」


振り返ると、小柄な少女が両腕を広げ、嬉しそうに駆け寄ってきた。


年はソーンと同じくらいに見える。深紅の長い巻き髪。髪には金細工の蝶の髪飾りが留められていた。

腕はひどく細く、少し力を入れただけで折れてしまいそうだった。だが喜びに輝く顔は、ひどく青白い。


エリオたちプルプラ族の生まれつきの冷たい白さとは違う。その白さは、病弱さからくるものに見えた。


華やかな衣装と首元の宝石の首飾りを見れば、彼女がナディラ家の人間であることはすぐに察がついた。


「キャロライン!」

ソーンの顔に明るい笑みが広がった。


彼は駆け寄ってきたキャロライン王女を抱き上げ、そのまま二回くるりと回った。


「やっと帰ってきたのね! 幻域、きっと怖かったでしょう!」

キャロライン王女が言う。


「話すことは山ほどあるぜ」

ソーンは彼女に片目をつむってみせた

「あとでゆっくり聞かせてやるよ」


エリオたちは目の前の二人を驚いたように見つめていた。


幻域ではあれほど誇り高く反抗的に見えたソーンにも、こんな優しい一面があるとは思わなかった。


二人は興奮した様子でしばらく顔を寄せ合って話していた。


そしてようやく、そばに他の者たちがいることを思い出したように、ソーンが慌てて顔を上げる。


「紹介するよ。こちらはキャロライン・ナディラ。ナディラ国の末の王女だ。

キャロライン、こっちはザヒールから来た狩魔師たち。

エリオ・ヴレス、グレン・フォグラー、コーディア・キャスター」


「はじめまして、皆さん! ソーンとは小さい頃から一緒に育った幼なじみなんです。

今回の危険な任務を、皆さんが一緒に引き受けてくださって、本当に感謝しております」

キャロラインは優雅に微笑んだ。


「えぇ~っ!? ってことは、あのさっきの宮務大臣の妹ってことか?」

グレンは驚きを隠せなかった。


目の前の王女と、先ほど会ったセオドア・ナディラでは、とても兄妹には見えない。

歳の差がありすぎて、むしろ父娘と言われた方が納得できるくらいだった。


ソーンはそんな彼の反応を見て、くすりと笑う。

「忘れちゃ困るよ。ナディラ皇帝は不老不死の皇帝なんだ。

たくさんいる皇子や皇女の間で年齢差が大きいなんて、別に珍しいことじゃないさ」


「あ……そ、そっか……」

グレンは照れくさそうに頭をかいた。


「確かに、私にはずっと年上のお兄様やお姉様がたくさんおります。

普段は一緒に遊ぶ機会もあまりありませんでしたので、そういう意味ではソーンの方がずっと親しいんです」


キャロラインは、どこか気品のある微笑みを浮かべた


「またゆっくりお話しできれば嬉しいですね。皆さんも、きっとお疲れでしょう。

宮廷の料理人にお食事をご用意させておりますので、どうぞ私たちとご一緒になさってください」

ご覧いただきありがとうございます。

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● 毎週 【日・月・火・木・金】18:10 更新


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