32. 沈んだ空気の狩魔隊
「エリオ……エリオ!」
エリオは目を開けた。コーディアがそっと呼びかけている。
「そろそろ出発しなきゃ」
彼は身体を起こした。ソーンはまだ目をこすっている。グレンはすでにヴィクターを背負っていた。
「早くヴィクターを連れて帰って治療しないといけない。それに、俺たちもみんな傷を負ってるからな」
マントの少女の手当てのおかげで、ヴィクターの傷口から血はひとまず止まっていた。
だが呼吸は弱々しく、顔色は紙のように青白い。
グレンは仲間たちを見回した。
「みんな、まだ歩けるな?」
全員が頷き、急いで後に続いた。
彼らはマントの少女の言葉どおり、分かれ道では中央の通路を選んだ。
しかし実際には、通路は上下に曲がりくねっていて、自分たちがどちらへ向かっているのかまったく分からない。
道中、ソーンは例の「怪しいマントの奴」について何度も文句を言った。
あんな正体不明の相手の言葉を信じるべきじゃなかったんじゃないか。
ずっと自分たちを尾行していたくせに、最後まで名乗ろうともしなかった。しかも話が終わるなり慌ただしく消えてしまった。
だが皆、本当は分かっていた。今の自分たちには、信じて賭ける以外の選択肢などなかった。
携行していた食糧も徐々に底をついていく。彼らは極限の精神的重圧に晒されながらも、必死に歩む速度を上げた。
不老不死の大帝コーウィンと地下通路で遭遇するかもしれない――。
そんな心配をしていたはずなのに、今はそれどころではなかった。
そして再び分かれ道に差しかかり、中央の通路を選んだ後だった。
歩きながら、彼らは地道の中に人骨が散らばっていることに気づいた。
「人間の骸骨があるわ」
コーディアが言う
「ということは、出口はもう近いはずよ」
コーディアの予想は当たっていた。
さらにしばらく進むと、ついに出口が見えた。
外へ出ると、そこは低い崖の下だった。入口は茂みに隠されていて、普段ならまず見つからないだろう。
見下ろせば、西国・ナディラの豊かな平原が、すぐ目の前に広がっていた。
エリオはこれまで感じたことのない無力感に襲われた。
自分は格闘能力に自信があった。魔獣さえ見えるようになれば、必ず倒せると思っていた。そして両親の黄の匣も取り戻せると信じていた。
だが今回の任務で起きた数々の出来事は、今の自分では到底魔獣に勝てないのだと思い知らせてきた。
エリオは沈んだ気持ちに囚われていた。だから、グレンが突然立ち止まったことにも気づかなかった。
「グレン?」
コーディアが不思議そうに声をかける。
エリオも振り返った。
グレンは俯いたまま立ち尽くしていた。身体が微かに震えている。
ずっとヴィクターを背負って歩いていたのだ。きっと疲れ切っているのだろう。
「少し休むか? 次は俺がヴィクターを背負うよ」
エリオが言った。
だがグレンは返事をしない。俯いたままだ。
「グレン?」
エリオはもう一度呼びかけた。
今度はグレンが顔を上げた。その顔からは血の気が失せていた。目には絶望が浮かんでいる。胸は激しく上下していた。だが疲労のせいではない。今にも泣き出しそうだった。
「ヴィクターが……俺……俺、あいつの呼吸を感じられないんだ……」
震える声だった。
コーディアは口を押さえた。ソーンは呆然とグレンを見つめる。言葉の意味を理解できていないようだった。
エリオは突然、視界がぐらりと揺れるのを感じた。
そして一瞬だけ思った。本当に、このすべては価値のあることだったのだろうか。
もし自分の黄の匣のためでなかったなら――
ヴィクターは命を懸けてまで、多くの狩魔師ですら足を踏み入れたがらない幻域へ来る必要などなかった。
エリオはグレンの背中にぐったりともたれかかるヴィクターを見つめた。
そして――手から剣が滑り落ちた。
鈍い音を立てて、地面へ転がった。
「いや……そんなはずない……」
エリオはようやくそれだけを絞り出した。
「地下通路で会ったマントの女の子が、ヴィクターの応急処置をしてくれたじゃないか……」
グレンは途方に暮れたように立ち尽くしていた。
「分からないんだ……。地下通路にいた時は、まだ呼吸を感じられた。でも……俺は……」
誰も動けなかった。
しばらくして、ようやくコーディアが前へ出た。震える手を伸ばし、ヴィクターの鼻先へそっと当てる。
ほんの十数秒。だがエリオには、一世紀にも感じられた。
やがてコーディアが振り返る。弱々しい笑みを浮かべながら言った。
「まだ息はあるわ。でも……すごく弱い」
彼女は必死に声の震えを押し殺していた。
ソーンは唇を強く噛み締めた。視線をナディラの平原へ向け、そしてヴィクターへ戻す。
「王立病院まで全速力で運ぼう!」
ソーンが叫んだ
「道なら分かる。走れば間に合うはずだ!」
「次は俺にヴィクターを背負わせてくれ。俺にも……あいつのために、何かさせて欲しいんだ……」
エリオは不意に喉を詰まらせ、涙声になりながらも言葉を絞り出した
「グレンだって、もう限界のはずだろ」
慎重にヴィクターをエリオの背へ移した。
その身体は驚くほど冷たかった。呼吸も、本当にあるのか疑いたくなるほど微弱だ。
エリオは背中に重みを感じた。
だが重いのはヴィクターだけではない。胸の奥に沈殿する罪悪感の方が、よほど重かった。
不安を押し込みながら言う。
「行こう」
ご覧いただきありがとうございます。
【更新スケジュールのお知らせ】
● 毎週 【日・月・火・木・金】18:10 更新
ぜひブックマークして、続きをお楽しみいただけると嬉しいです。
本作を気に入っていただけましたら、評価(★★★★★)やご感想、レビューなどをいただけると大変執筆の励みになります。




