27. 混迷の中の乱戦
次の瞬間。その場に立っていた魔獣たちが一斉に跳躍した。
エリオたちが潜んでいた天井の梁へ向かって飛び掛かる。
まるで最初から打ち合わせていたかのように、五人へそれぞれ別方向から襲いかかった。
イスマリスは即座にイートン博士を連れ、小部屋へ続く反対側の扉から退避する。
長老サーカノンはというと、騒ぎなど気にも留めず、椅子に座ったまま静かに目を閉じていた。
エリオは宙へ跳び上がり、身を翻して魔獣の一撃をかわす。そのまま鋭く剣を突き出した。
刃を受けた魔獣がよろめきながら後退する。
その隙にエリオは会議卓へ目を向けた。黄の匣を探すためだ。
そして再び、モルゴロスと目が合う。
モルゴロスは挑発するように笑いながら、黄の匣を軽く持ち上げて振ってみせた。
――あいつか!?
エリオは目を見開く。
あの日、自分の目の前で父と母を殺した魔獣。
それがモルゴロスなのか?
だが考える暇はなかった。先ほどの魔獣が再び咆哮を上げながら突っ込んでくる。
鋭い爪が横薙ぎに振るわれた。エリオは身を屈めてかわす。
しかし狭い梁の上だったため、危うく足を踏み外しかけた。
魔獣はその隙を逃さない。再び飛び掛かり、今度はエリオの腕へ噛みつこうとする。
間一髪でエリオは身を引いた。
牙が食い込んだのは腕ではなく、彼のマントだった。布が引き裂かれる。
「撤退だ!」
グレンが叫ぶ。
今の地形では、自分たちに有利な点など一つもないと分かっていた。
五人は即座に魔獣から距離を取り、最寄りの柱へ駆け出した。柱に飛び付き、そのまま滑り降りるようにして会議場の床へ戻る。狙いは出口だった。
だが入口からは、さらに多くの魔獣が雪崩れ込んできていた。
一方で、モルゴロスと長老サーカノンはどこまでも気高き、泰然自若とした構えのまま椅子に腰掛け、自ら戦う気配など微塵も見せていなかった。
「こっちだ!」
ソーンが窓の一つを指差した。窓の外には、別の石柱へ続く吊り橋が伸びている。
向こう側に何があるかは分からない。だが増え続ける魔獣に囲まれた今、他に道はなかった。
五人は吊り橋へ飛び出し、全力で駆ける。
背後から追ってきた数匹の魔獣が爪を伸ばす。それをコーディアとヴィクターが剣で弾き返した。
吊り橋の先には三匹の魔獣が待ち構えていた。グレンが剣を構える。
「左は任せたぞ、エリオ!」
「もちろんだ!」
エリオは左側の魔獣へ勢いよく蹴りを叩き込んだ。魔獣がバランスを崩して吹き飛ぶ。
彼らは対岸の石柱内部へ飛び込み、そのまま階段を駆け下りていく。
窓の横を通るたび、外から飛び込んでくる魔獣に警戒しなければならなかった。
魔獣の数は増え続けている。しかもどれも攻撃力が高い。
エリオたちは激しい戦いを強いられた。
だが今回は違った。五人は誰一人として離ればなれになっていない。
互いを支え合い、一つの戦闘集団として機能していた。それぞれが別方向から来る魔獣を迎撃し、仲間の死角を補う。
また一匹の魔獣がヴィクターへ飛び掛かった。
グレンは片手でその尾を掴み、力任せに引き剥がそうとする。
しかし魔獣はヴィクターの剣に噛みついたまま離さない。ヴィクターは剣ごと引っ張られ、危うく階段から転落しかける。
その瞬間。ソーンが横から飛び込んだ。魔獣の腹へ鋭く剣を突き立てる。
魔獣は苦痛に悲鳴を上げ、ようやく口を離した。
彼らが石柱の中腹あたりまで下りてきた頃、下の階から魔獣たちが集まり始めていた。
コーディアは素早く周囲を見回し、一つの空き部屋を見つける。
「そこよ!」
彼女が叫んだ。
エリオは二匹の魔獣を剣で斬り伏せた。だが振り返った瞬間、激痛が走る。
「くそっ!」
左目を押さえながらエリオが悪態をつく。
再びだ。
魔獣が見えなくなる“一時失明”。何かが飛びかかってくる気配だけが感じられる。
「大丈夫か!?」
ソーンの剣がエリオの目の前を横切った。飛びかかってきた魔獣を弾き飛ばす。
「俺は……」
エリオは左目を焼くような痛みに耐えた。
視界が揺れる。眩暈がする。それでも足を引きずりながら前へ進もうとした。
とにかくコーディアのいる部屋まで辿り着かなければ。
その時、たくましい腕が彼の身体を担ぎ上げた。
グレンだった。
片腕でエリオを担ぎ、そのまま空き部屋へ突っ込む。
ヴィクターとソーンは魔獣を迎撃しながら後退した。
全員が部屋へ飛び込む。コーディアが即座に扉を閉めた。
閉じる寸前、数匹の魔獣が爪を差し込んで阻止しようとする。
最後に入ったヴィクターが振り向きざまに剣を一閃。挟まった爪を切り落とした。
ほんの一瞬の隙を逃さず、コーディアが全力で扉を押し込み、閂を掛ける。
グレンはエリオを静かに床へ下ろした。エリオは壁際で身体を丸める。全身から冷や汗が噴き出し、痙攣が止まらない。
左目の激痛は骨の一本一本にまで染み込むようだった。
頭の先から足先まで、強烈な電流を流し込まれているかのようだ。
左目を押さえながら荒く息を吸う。全身全霊で、この痛みに抗っていた。
外では魔獣たちが喚き散らしている。扉を何度も激しく叩きつける音が響く。
ふと部屋の奥を見ると、もう一つ開いた扉があった。その先には通路が続いている。どうやら地上へ抜けられそうだ。
「エリオ……」
コーディアがそっと肩に手を置く。だが、どうすれば彼を楽にしてやれるのか分からない。
「俺は……ごめん……」
エリオはようやくそれだけを絞り出した。
「俺たちは戦う仲間だ。ここから一緒に生き延びる作戦を練るためにいるんだよ。
お前がどれだけ恐縮してるかを聞くためじゃねえ」
ソーンが言う。
コーディアは思わずソーンを見た。
数日前まで傲慢な一匹狼だった彼が、少しずつ仲間というものを理解し始めている。
「早くあの通路から脱出しなきゃ」
ヴィクターが緊張した面持ちで扉を見た。
「ここに残れば死ぬだけだ」
グレンは頷く。
「エリオ。俺がお前を背負って走る」
「いや!」
エリオは顔を上げた
「……五秒だけ……くれ」
もう左目のせいで皆の足を引っ張りたくない。エリオは心の中でそう呟いた。
手術という地獄の門から生きて戻ってきたんだ。こんな痛みくらい――。
彼は強く唇を噛んだ。血が滲むほどに。
だが、その痛みのおかげで意識が左目から逸れる。ゆっくり呼吸を整える。
「一……」
ゆっくり吸う。
「……二……」
ゆっくり吐く。
「……三……」
よし。今だ。手を離せ。
「……四……」
大丈夫だ。
目を開けろ。
「……五!」
エリオは左目を開いた。
額にはびっしりと汗が浮かび、耐えがたい激痛に 握りしめた両手には青筋が浮き出ていた。
それでも痙攣は治まり始めている。壁に手をついて立ち上がった。
「行こう!」
紫の左目には、炎のような光が宿っていた。
全員が一瞬だけ呆然とする。だがすぐに動き出した。
グレンとコーディアが左右につく。ヴィクターとソーンが後方を固める。
その時。扉の外で激しい衝撃音が響いた。
全員が通路へ入った直後、閂が砕け散る。魔獣たちが部屋へ雪崩れ込んできた。
間一髪。ヴィクターとソーンが協力して通路の扉を閉める。再び魔獣たちは扉の向こうへ遮断された。
コーディアは慎重に通路の下方を覗き込んだ。今のところ安全そうだ。
振り返ってエリオを見る。エリオも彼女を見返した。
その瞳には、これまで見たことのない強い意志が宿っている。
まだ少し息は荒い。だが先ほどとは比べものにならないほど落ち着いていた。足取りもしっかりしている。
コーディアは微笑んだ。信頼と理解に満ちた笑みだった。
五人は慎重に通路を下っていく。耳を澄ませながら上の様子を窺う。どうやら魔獣たちは追ってきていない。
このまま石柱の麓まで辿り着けそうだった。
だが最後の曲がり角を抜けた瞬間――
彼らは足を止めた。
そこにはイスマリスと、一匹の雌の魔獣が待っていた。
その魔獣は小柄だった。緑色の髪を頭頂部でぴょんと可愛らしく結い上げている。
イスマリスのような殺気はない。むしろ子供のような無邪気さを感じさせた。
「ナウセク、お客様のお出ましだ」
イスマリスは立ち上がりながら、大きく伸びをした。
ナウセクと呼ばれた雌の魔獣は、くりくりした丸い目をエリオたち五人へ向ける。
そして――
幼さの残る顔いっぱいに、眩しいほどの笑顔を浮かべた。
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