26. 高空の円卓会議
下の会議では何について話しているのか分からないが、ざわざわと騒がしい空気が広がっていた。
しばらくすると、一番年長らしい魔獣が片手を上げる。
その瞬間、魔獣の群れはぴたりと静まり返り、全員の視線がその老いた魔獣へ集まった。
三十秒近く、誰一人として口を開かない。会議場は、針一本落ちても聞こえそうなほど静まり返っていた。
やがて、王冠を戴いた老魔獣が、ゆっくりと口を開く。
「イートン博士、そろそろ結論を出すべきだと思うがな」
石卓の反対側で、黒いマントを纏った者が答えた。
「はい、長老サーカノン。お聞かせください」
そう言って手を上げ、自分の髪を整える。
その瞬間になって初めて、エリオたちはその存在に気づいた。
その魔獣に――いや。
正確には、その人間に。
エリオたちは自分の目を疑った。
黒いマントを着ていたのは魔獣ではない。人間だった。
魔獣が支配する幻域。しかも魔獣たちの本拠地である要塞の中。そこに、自分たち以外の人間がいる。
それだけでも信じ難いのに、その男は第二要塞の中央の石柱にある会議場で、まるで客人のように悠然と腰掛けていた。
天井の梁に身を潜めているエリオたちとは大違いだ。
そして当然のように、その男は紫色の瞳を持っていた。
「イートン博士、最初に話した通りだ。黄の匣は手に入った。だが、今はまだお前に持ち帰らせるわけにはいかん」
長老サーカノンが言った。
イートン博士は眼鏡をかけていた。レンズの反射で表情はよく見えない。
数秒沈黙した後、彼は静かに口を開く。
「長老サーカノン、失礼ながら、それは当初のお話と違うのではありませんか? そうでしょう、モルゴロス?」
「ほう? そうなのか、モルゴロス?」
長老サーカノンは隣へ視線を向けた。
エリオたちの予想は当たっていた。
銀色の長髪と緑色の瞳を持つ魔獣。それがモルゴロスだった。
椅子にだらしなく身体を預け、まるでどこ吹く風といった様子で構えている。
エリオたちは驚いていた。
他の魔獣たちは皆、長老サーカノンに対して深い敬意を示している。
だがモルゴロスだけは違った。まるで長老など眼中にないかのようだった。
モルゴロスは横目でイートン博士を見る。
「イートン博士、俺たちには新しい考えができた。
黄の匣は今、俺たちの手の中にある。だったらまずは、お前たちが誠意を見せるべきだろうな」
「まず黄の匣をこちらへ渡してください。『貢品』を用意するには時間が必要です」
「だが長老サーカノンは、先に一部の貢品を受け取りたいらしいぜ」
ソーンが小声で尋ねる。
「なあ、『貢品』って何のことだ?」
「分からない」
グレンも小さく答えた。
しばらく睨み合いが続いた後、イートン博士が小さくため息をつく。
「では、本当に黄の匣を手に入れたのか確認させていただきたい」
モルゴロスは長老を見る。長老サーカノンが頷いた。
するとモルゴロスは背後にいた紫髪の魔獣へ顎をしゃくった。
「イスマリス」
イスマリスと呼ばれた魔獣が前へ出る。そして手に持っていた黄の匣を石卓の上へ置いた。
イートン博士の視線が箱に釘付けになる。今にも奪い取らんばかりの勢いだった。
「モルゴロスは第二要塞の仲間たちと共に黄の匣を奪取し、お前たちの要求を果たした」
長老サーカノンが言う。
「そして今、その黄の匣はお前の目の前にある。これで我々が嘘をついていないことは分かっただろう。次は、我々が貢品を受け取る番だ」
「貢品は毎月一度献上する約束だったはずです。まだ期限ではありませんよ」
イートン博士が答える。
「それでもだ」
長老サーカノンは穏やかな口調のまま言った。
「互いの誠意を示すためにも、まずは第二要塞への最初の貢品を渡してもらいたい」
「ほう? その最初の貢品とは何でしょうか?」
イートン博士が尋ねる。
「生きた人間を百人だ」
コーディアは思わず声を上げそうになった。慌てて口を押さえる。他の仲間たちも同じように顔を強張らせていた。
魔獣が人間の指示で黄の匣を奪った理由。その裏にあったのは、生きた人間を貢品として差し出す取引だったのだ。
この残酷な取引のために、どれだけの人々が魔獣の餌になるのだろう。想像しただけで背筋が寒くなる。
こんな魔獣たちを――どうして母さんは助けたんだろう?
コーディアの胸に、そんな疑問がよぎった。
「長老サーカノン、百人もの生者を集めるには時間が必要だということは、ご理解いただけますよね?」
イートン博士が言う。
「待つさ」
長老サーカノンは肩をすくめた
「二十日もあれば十分だろう」
イートン博士は椅子に深く背をもたれかけさせ、マントの襟元をゆっくりと整えてから、悠然と組んだ脚の上へ両手を重ねた。
そしてしばらく考えた後、口を開いた。
「……分かりました」
「ですが、一つ不思議に思うことがあります」
イートン博士は視線を上げる
「モルゴロス、あなたは箱の中身を知りたいとは思わないのですか? あなたは一度も私に尋ねませんでしたね」
「我々は箱の中身など興味はない」
長老サーカノンが、横から口を挟んだ。
「ですが、興味を持つべきです」
イートン博士は静かに笑った。
彼はそう言って石卓の上の黄の匣へ視線を落とした。
「この黄の匣に収められている研究成果は――魔獣の存亡に関わるものなのです」
サーカノンの眉がぴくりと動いた。だが、長老は何も言わなかった。
「黄の匣はできるだけ早く私の手に渡った方が、あなた方にとっても都合がいいんですよ。ですが、そこまでおっしゃるのでしたら、二十日後に改めて参りましょう」
そう言って立ち上がり、出口へ向かおうとする。
「イートン博士、お待ちください。今は第二要塞を離れるには少々都合の悪い時間でしてね」
モルゴロスが呼び止めた。
「何だって?」
イートン博士は怪訝そうに振り返る。
すると、イスマリスと他二匹の魔獣が、いつの間にか彼のすぐ側まで移動していた。
「モルゴロス?」
「そう慌てるなよ」
モルゴロスはようやく、だらしなく預けていた身体を椅子から起こした。
まるでウォーミングアップでもするかのように、首をボキボキと不気味に鳴らしながら、
「なにしろ俺たちは今から――」
「ん?」
「鼠退治をしなきゃならねえんだからな」
邪悪な笑みがモルゴロスの口元に浮かぶ。
彼がゆっくり天井を見上げると、その視線はまっすぐエリオとぶつかった。
そして左手の爪が、わずかに動く。
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