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22. ムムロの過去(上)

ムムロは崖の裂け目に身を潜めながら、第一要塞を離れていく人間たちの背中を見送っていた。


そして思い出す。十一年前――人間に命を救われた、あの日のことを。

決して忘れることのできない日だった。


あの日、まだ幼かったムムロは、両親を探しに外へ出た。何日も前に第一要塞を出ていったきり、帰って来なかったからだ。


ムムロは幻域を一人で長い時間歩き続けた。やがて遠くにザヒールとの国境が見えた。


その辺りが妙に騒がしい。気になって近づいていく。

だが、近くまで来て気づいた。あれは単なる騒ぎではなかった。


戦争だった。


何体もの魔獣が咆哮を上げ、目の前の人間へ爪を振るっている。

いや――攻撃というより、防戦だった。


人間たちが狂ったように魔獣を取り囲み、容赦なく剣を振り下ろしていたからだ。


魔獣たちも必死に抵抗していた。だが、人間の数が多すぎた。近接戦闘を行う者たちの後方には、さらに別の人間たちがいた。


砲撃。弓矢。遠距離からも容赦なく魔獣へ攻撃を浴びせている。


――こいつら、魔獣を絶滅させるつもりなのか。

ムムロはそう思った。


「おーい、ジェイムズ! 見ろよ!」


突然の声にムムロは飛び上がりそうになった。振り返る。身体が硬直した。


二人の人間の兵士が立っていた。こちらを見つめながら、口元には笑みが浮かんでいる。まるで獲物を見つけたかのように。


「よく見つけたな、ロジャー」

片方の男が目を細めた

「まだ小さいみたいだな」


「ははっ、ちっこい化け物だ」


「どうする? お前がやるか?」


「俺はさっき八匹仕留めたぜ。お前は?」


「一、二、三……四、五……五匹かな」


「じゃあこいつは譲ってやるよ。戦果を分けてやる」


「おっ、ありがとな!」


ムムロの背筋を冷たいものが走った。


逃げなければ。そう思うのに足が動かない。頭も真っ白だった。ただ二人の人間が近づいてくるのを見ていることしかできない。


ジェイムズという兵士が、血に濡れた剣を持ち上げる。鼻を刺すような血の臭い。


その時ふと、何日も帰ってこない父と母のことを思い出した、この近くのどこかで倒れているのだろうか。


――僕も今日、ここで死ぬんだ。


ムムロは絶望した。

朝、要塞を出なければよかった。


長老の言う通りだった。国境には近づくな。人間は危険だ。


二人の人間はもう目の前だった。呼吸まで感じられる距離。血塗れの剣が高く振り上げられる。

ムムロは目を閉じた。


「ヴィーナ!! 何をしているんだ!?」


ムムロは思わず目を開けた。


ジェイムズが地面に尻もちをついている。呆然とした顔だった。その隣ではロジャーが怒鳴り散らしている。


よく見ると、一人の女性が現れていた。女性は倒れた兵士の横に膝をついている。

どうやら彼女がジェイムズを突き飛ばしたらしい。


「あなたたち、一体何を考えてるの!」

ヴィーナと呼ばれた女性が言った

「この魔獣はただの子どもよ! 見逃してあげて!」


「自分が何を言ってるかわかってるのか!?」

ロジャーが叫ぶ

「相手は魔獣なんだぞ!」


「でも、この子は子どもよ」


ヴィーナは立ち上がった。その声は静かだったが、揺るぎなかった。


「子どもだろうが何だろうが、魔獣は魔獣だ」


「魔獣はみんなが思っているほど邪悪じゃないわ。お願い、見逃してあげて」


「おいおいヴィーナ……」


ジェイムズが信じられないものを見るような顔をする。


「お前、頭おかしくなったのか? 自分が何を言ってるかわかってるか?」


「私はただ……」


「俺たち狩魔師が何のために戦っているのか忘れたのか? 何を守ろうとしているのか忘れたのかよ!」


激しい言い争いだった。


ムムロはそれを聞きながら、ようやく我に返る。


――今だ。

逃げるなら今しかない。


視界の端に岩穴が見えた。ムムロは一目散に駆け出す。


狭い洞穴だった。幼いムムロの小さな身体がようやく収まる程度の大きさ。


彼は奥へ潜り込み、身体を丸めた。震えが止まらない。

外ではまだ三人が言い争っている。


早く帰ってくれ。

ムムロはただそう願った。

要塞へ帰りたかった。


「ほら見ろ!」

ロジャーが怒鳴る

「逃げられたじゃないか!」


「ヴィーナ、お前は敵を逃がしたんだぞ! こんな化け物を逃がせば、また何人食われるかわからない!」


「違う……」

ヴィーナの声が揺れた

「魔獣は……ただ……自分たちを守ろうとしているだけなの」


「上官はお前に魔獣の討伐を命じたんだ」

ロジャーは冷たく言った

「魔獣の弁護をしろとは命じていない。それは軍命違反だ。知られれば処刑されるぞ」


「あなたたちが黙っていてくれれば……」


「俺たちは共犯にはならない。お前みたいに頭がおかしくなったわけじゃないからな」


ヴィーナ・キャスターの紫の瞳に恐怖がよぎった。


彼女は二人の狩魔師を見つめる。

全部説明したかった。だがロジャーもジェイムズも怒りで我を失っている。どこから話せばいいのかわからなかった。


――フィンがここにいてくれたら。

そう思った瞬間、彼女は自分を一人残して逝ってしまった夫を、突如として恨めしく思う気持ちを抑えきれなかった。


昨日。夫フィン・キャスターが国境で戦死したと知らされた時の絶望。


フィンだけが自分を理解してくれた。二人でやりたいことがたくさんあった。なのにすべて終わってしまった。


フィンはいない。残されたのは自分一人。

そして――愛する娘、コーディア。


まだ五歳の娘を、これからどうやって守ればいいのだろう。


「私は……裏切り者じゃない」

ヴィーナはようやくそれだけを口にした。


「それを決めるのはお前じゃない」

ロジャーは鋭く睨む

「俺とジェイムズは他の戦場へ向かう。お前のことは上へ報告する。

その前に、さっきの魔獣を見つけ出せ。そして死体を将軍の前へ持ってこい」


「お願い……ロジャー……」

ヴィーナはふらついた

「フィンは昨日死んだのよ……私にはまだ五歳の娘がいるの……」


「だったら、その娘のことを考えるべきだったな」

ロジャーの声は容赦なかった

「魔獣を逃がした時にな」


「俺たちは大勢の狩魔師を動員した。一般兵で構成された防衛軍団まで動員して、遠距離からの援護に当たらせているんだぞ。

すべては魔獣を根絶やしにし、国民と子どもたちを守るためだ。なのにお前は敵を庇った」


「私は……」


「フィンも同じだったんだろ? お前とフィンが裏で魔獣を手引きしているという噂は、前々から耳にしていた。

だが……今日こうしてこの目で見るまでは、俺だってそんなこと信じたくもなかったんだぞ!」


「ヴィーナ」

ロジャーは最後にそう言った

「お前自身と、お前の娘を救えるのはお前だけだ。よく考えろ」


そう言い残し、ロジャーとジェイムズは再び戦場へ向かっていった。

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● 毎週 【日・月・火・木・金】18:10 更新


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