1. 戦場の敗北者
「うわっ!」
ザヒール国の軍用訓練場に、歓声が響き渡った。
訓練場では二人の少年が剣を交えている。
そのうちの一人は身のこなしが軽く、左右へ鋭く動きながら相手の攻撃をかわしていた。
そして一瞬の隙を見つけると、手にした剣を相手へ突き出す。
刃先が相手を捉えようとした、その瞬間――
「剣を引け!」
訓練場の脇から士官の声が飛んだ。
二人の少年は即座に剣を下ろし、一歩後ろへ下がる。
先ほどまで漂っていた殺気は、まるで幻だったかのように消え去った。
訓練場の端には、高位の軍服を身にまとった者たちが一列に並んで座っていた。
彼らは手元の書類へ何かを書き込み、小声で意見を交わしたあと、一枚の紙を女性兵士へ手渡す。
「テスラン・デヴィル、試験合格です」
女性兵士は紙を開き、はっきりとした声で読み上げた。
「お二人は退場してください。次の受験者は訓練場へ」
そう言って名簿へ目を落とす
「エリオ・ヴレス! 訓練場中央へ来てください!」
黒い巻き毛に白い肌を持つ長身の少年が、訓練場へ足を踏み入れた。
「エリオ・ヴレス。これより狩魔師になるための戦闘試験を行います。これから魔獣を放ち、あなたと戦わせます」
女性兵士はそう告げると、訓練場の反対側へ向かって手を振った。
「え? 俺は――」
少年は慌てて振り返り、何か言おうとした。
だが女性兵士はちょうど名簿を見ており、声に気づいていない。
「エリオ・ヴレス? もしかして、あの有名なヴレス夫妻の息子か?」
見物していた兵士たちが、少年の背中を見ながらひそひそと話し始める。
「そうだろ。あの雪みたいに白い肌と、墨みたいに真っ黒な髪。どう見てもプルプラ族だ」
「しかもヴレス姓だぜ。有名なプルプラ夫婦、ヴレス家の息子で間違いないだろ」
「はぁ~、羨ましいよなぁ、プルプラ族は」
「本当だぜ。世界で唯一、魔獣が見える最強の種族だからな」
「俺たち一般人には魔獣は見えない。だからこそ、プルプラ族で構成された狩魔師たちが守ってくれてるんだ」
その時だった。
訓練場の周囲が、不意に静まり返る。
誰もが同じ方向を見ていた。
魔獣が閉じ込められている檻の門が、ゆっくりと持ち上がっていく。
一本の鉄鎖が門の脇に繋がれていた。
そしてその先は――
何もない空中へと伸びている。
まるで見えない何かを繋いでいるかのように。
魔獣だ。
地面から土煙が舞い上がる。
静まり返った訓練場には、鉄鎖が地面を引きずる音だけが響いていた。
その奥からは、獣のような掠れた低い唸り声まで聞こえてくる。
だが訓練場にいるのは、その少年一人だけだった。
他には何も見えない。
「……見えない悪魔だ……」
誰かが震える声で呟いた。
少年は鉄鎖を睨みつけたまま、突然大きく後ずさる。
そして何かを訴えようとするように、士官たちの方へ振り返った。
鉄鎖はじりじりと少年へ近づいていく。
少年は剣を構え、目の前の空間へ向かって振るった。
だが、その剣筋にはまるで規則性がない。
「何やってるんだ?」
見物していた兵士の一人が首を傾げる。
「なんか滅茶苦茶に振り回してるように見えるぞ?」
「おい、見ろよ……不自然だと思わないか? あいつの目の色――」
言葉が終わるより早く、悲鳴が上がった。
浮かんでいた鉄鎖が、突如として少年へ襲いかかったのだ。
少年は足をもつれさせ、その場に尻もちをつく。
直後、空気を切り裂くような鋭い咆哮が響いた。
その瞬間――
一人の黒髪の男が将軍服を翻しながら訓練場へ飛び込んできた。
男は大きく跳躍すると、少年と鉄鎖の間へ割って入る。そして稲妻のような速さで、剣を空中へ振り抜いた。
「きゃああっ!」
女性兵士が悲鳴を上げる。
見物人たちは目を見開いた。
空中に浮かぶ鉄鎖の先から、大量の鮮血が噴き出したのだ。
次の瞬間。
ガシャン、と鉄鎖が地面へ落ちる。
将軍服の男は慌てる様子もなく、袖で顔についた血を拭った。
そして振り返り、地面に座り込んだ少年を見る。
「心配はいらない。もうその魔獣は倒した」
男は手を差し出し、少年を立ち上がらせる
「すまなかったな。どうやら試験を手配した者たちが取り違えたらしい」
そう言って顔を上げる。
その視線は、女性兵士へ真っ直ぐ向けられていた。表情は厳しい。
「アージ……大将……」
女性兵士は青ざめた顔のまま、震える手で敬礼した。
「この試験は誰が手配した?」
アージ大将が鋭い声で問いかける。
「これほど重大なミスをするとはどういうことだ。
私が気づかなければ、この子は魔獣に殺されていたかもしれないんだぞ!」
アージ大将は女性兵士を睨みつけた。その瞳は、まるで水晶のように怪しげな紫色に輝いている。
女性兵士は肩を震わせた。
「も、申し訳ありません、アージ大将……。
その……私たちはエリオ・ヴレスがプルプラ族だと思っておりましたので……魔獣との試験を行うものだと……」
「確かに彼はプルプラ族だ」
アージ大将は隣の少年を一瞥する
「だが彼には魔獣が見えない。事前確認もせずに試験を組んだのか?」
周囲がざわつき始めた。
「プルプラ族なのに魔獣が見えない?」
「そんなことあるのかよ?」
「だってあいつらは、あの特別な紫の目を持ってるから魔獣が見えるんだろ?」
人々の視線が、一斉に少年へ向けられる。
そして――
誰もが言葉を失った。
エリオ・ヴレス。
その少年の瞳は、黒かった。
◆ ◆ ◆
エリオ・ヴレスは、ザヒール軍司令部の一室で肩を落としていた。
今日の重要な軍の戦闘試験。
本当なら、自分の実力を存分に見せつけられるはずだった。
魔獣が見えない彼は、本来なら一般兵の試験へ回され、人間の兵士と戦うはずだった。
ところが手配担当者のミスによって、狩魔師の試験へ組み込まれてしまった。
そしてあの――「見えない悪魔」と対峙することになったのだ。
情けない……。
エリオは膝の間へ顔を埋めた。
この話が両親の耳に入れば、きっとまた失望されるだろう。
「エリオ・ヴレス」
低い声が響く。
エリオが顔を上げると、そこに立っていたのは先ほど訓練場で彼を救った将軍だった。
「今日は本当に申し訳なかったな。試験にまで影響を与えてしまった」
アージ大将はエリオの肩を軽く叩く
「改めて名乗っておこう。私はルーカス・アージだ。大丈夫だったか?」
「ありがとうございます、アージ大将。お、俺は大丈夫です」
エリオは視線を落としたまま答えた。
「そうか」
アージ大将は頷く。
「今日、君をここへ残したのはそれを伝えるためでもある。
試験中にあのような事故はあったが、君がこれまで格闘技術学院で優秀な成績を収めてきたことは把握している」
彼は手元の紙へ視線を落とした。
「試験官たちとも協議した結果、君は予定通り、一般兵で構成される防衛軍団へ配属されることになった。
防衛軍団は魔獣との戦闘を担当しない。君たちは通常の国防任務を担うことになる」
「はい、アージ大将」
エリオは立ち上がり、軍礼を取った。
「そうだ」
アージ大将がふと思い出したように口を開く。
そしてエリオの目をじっと見つめた。
「君の目だが……生まれつき黒く、魔獣がまったく見えないと聞いている。本当か?治療を試したことはあるのか?」
エリオは気まずそうに首を横へ振った。
アージ大将の紫色の瞳と視線を合わせることすら、どこかためらわれた。
「不思議だな……」
アージ大将は小さく呟く
「君は純血のプルプラ族のはずだ。
それなのに、なぜこうなったんだ……?
こんな例は今まで一度も聞いたことがないぞ……」
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本日はこの後、【18:10】 にも最新話を更新いたします。
ぜひ楽しみにしていただけると嬉しいです。




