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16. 策謀

「すごいなぁ! 生きてる人間の食べ物を見るのは、は、初めてだぁ!」


その太った魔獣は興奮した様子で檻にしがみつき、ぶつぶつと独り言を呟いていた。

「腹が減ったなぁ……!」


「どういうことだ?」

エリオが小声で尋ねる

「今、『生きている人間を見るのは初めて』って言ったよな?」


「ああ……確か、一生幻域の外へ出たことがない魔獣もいるって聞いたことがある」

グレンも声を潜めて答えた

「そういう連中は、仲間が狩って持ち帰った食料で生きているらしい」


「それに、あの見た目だ」

グレンは太った魔獣を見つめる。


「俺たちが外で見てきた魔獣とは明らかに違う。

あの病的に白い肌もそうだし、全身の褥瘡みたいな傷もな……

おそらく、一度も太陽を浴びたことがないんじゃないか」


エリオも改めてその魔獣を見た。


確かに、何とも言えない地下生物のような雰囲気がある。

それに――どこか頭が悪そうにも見えた。


「そういえばソーンは?」

エリオは檻の外を見回した。どこにもソーンの姿が見当たらない

「こんな時に限って隠れてるなんてな」


外側から助けてくれることを期待していたが、それも無理そうだった。


エリオは少し考え、手振りで合図する。

「この魔獣が油断した隙に、剣を投げつけるのはどうだ? 反応も遅そうだしな」


「待て、それは駄目だ」

グレンがほとんど息だけの声で言った。


「そんなことをしたら、俺たちはここから出られなくなる。

どうやらあいつは腹を空かせているらしい。

俺たちを食うつもりなら、結局は檻を開けるはずだ。

その時を待とう。檻を開けさせてから動くんだ」


「なあ、少し変じゃないか?」

先ほどから黙っていたヴィクターが口を開いた。


「あいつ、『生きている人間を見るのは初めて』って言ってただろ?

もしこの檻が人間を捕獲するための罠なのだとしたら、あいつが『生きている人間を見るのが初めて』だなんて、辻褄が合わないと思わないか?

それに、この地下洞窟に人間捕獲用の罠があること自体、妙な話だ」


「ああ、俺もそう思う」

グレンが頷く

「だから少し考えたんだが、この檻は魔獣を捕まえるための罠なんじゃないかと思う」


「え?」

エリオは目を丸くした

「どういう意味だ? 魔獣たちが、他の魔獣を捕まえるための罠を仕掛けてるってことか? なんでそんなことをするんだ?」


「魔獣の社会も一枚岩じゃないんだ」

グレンは説明した。


「史家たちの研究によれば、魔獣世界には大きく三つの派閥が存在する。

一つ目は人間に強い敵意を持つ捕食派だ。連中にとって人間はただの食料だな。

二つ目は進攻派。人間との交渉を通じて様々な技術を学び、いずれ人間へ反撃しようとしている連中だ。

三つ目はやや保守的な休戦派。今のところ俺が知っているのはそれくらいだ」


「なるほどな」

エリオは頷いた

「もし俺たちが入り込んだ第一要塞が休戦派の拠点なら、話はかなり楽になるな」


「期待しすぎるなよ」

グレンは苦笑する

「俺の考えじゃ、ここは捕食派か進攻派のどちらかの要塞だ」


「どっちにしても最悪だな……」

ヴィクターが呟いた。


「だが運がいいこともある」

グレンは太った魔獣を観察しながら言った。


「あいつは腹が減りすぎてる。

俺たちを食うためなら、きっとすぐに檻を開けるはずだ」


その魔獣は突然檻のすぐ近くまで駆け寄り、よだれを垂らしながら呟いた。

「い、今すぐ食べちゃおうかなぁ……? 

あぁ、それともほ、他の魔獣たちを呼んでこようかなぁ……? あぁ、悩むなぁ」


三人はまずいと思った。


本当は、この太った魔獣が人間を食べようとして檻を開けるのを待つつもりだった。

だが、その前に他の魔獣を呼ばれたら話はさらに厄介になる。


太った魔獣はなおも行ったり来たりしながら考え込んでいる。

エリオは、そいつがずっと身体中の褥瘡を掻きむしっていることに気付いた。


その時だった。彼は天井の上にいる人影をちらりと見た。

瞬間、一つの考えが頭をよぎる。


「おーい! そこの兄ちゃん!」


突然響いた声に、太った魔獣が反応した。檻の中を振り向く。


いつの間にか三人の人間は地面に倒れ込み、今にも死にそうなほど弱っているように見えた。


「お前さぁ、俺が今まで見た中で一番バカな魔獣だよな」

エリオが言った。


「な、なにぃ!? お、俺をバカだって!? し、死にたいのかぁ!?」

太った魔獣は激怒し、顔をぐしゃりと歪めた。


「どうせ最後には食われるんだろ?」


エリオは弱々しく笑った。

「でもさ、お前みたいなバカな魔獣を見られたんだから、死ぬ前に少しくらい笑えそうだぜ」


「な、な、なに言ってるんだぁ!」

太った魔獣は檻へ飛びついた。鋭い爪を鉄格子にかけ、鼻息を荒くしながらエリオを睨みつける。


エリオはわざと身体を震わせた。グレンとヴィクターはすでに気絶したふりをして倒れている。彼は荒い息を吐きながら続けた。


「そりゃお前がそんなにバカなのも仕方ないよな。

だって、人間の世界に行ったこともないし、新鮮な人間を食ったこともないんだろ?」


太った魔獣はびくりと身を引いた。

「お、俺は人間の世界になんて行ったことない……」


「だろうな」

エリオは鼻で笑う。


「だから知らないんだよ。新鮮な人間がどれだけ肌にいいかってことをさ。

なんでお前の仲間の中には、そんな痒そうなできものがない奴がいると思う?

新鮮な人間を食ってるからだよ」


言葉を区切り、彼は肩で大きく息をついた。

「それともお前、魔獣社会の底辺なんじゃないか?

だから腐った肉しか回ってこないんだろ。

魔獣世界の毒気で腐りきった人肉ばっかり食わされてさ」


エリオは力尽きたようにその場へ崩れ落ちた。


「どうせ死ぬなら、最後に真実を教えてやるよ。ほら、あれ見ろ」


太った魔獣はエリオの指差す方を見る。檻の床には小さな血溜まりがあった。


「少し前、人間の女が仲間に引きずり込まれて食われたのを知らないのか?

ここだよ。

連中は一口だってお前に分けなかった。

なのにお前は、これから俺たちを仲間と分け合おうとしてる。

可哀想だよなぁ。必死に仲間に媚びてるのに、一番腐ったもんばっか押し付けられてるんだからさ」


「うるさいっ! そ、そんなこと言うなぁ!」


太った魔獣は檻へ向かって怒鳴った。だが返事はない。

三人の人間は全員気絶しているように見える。


引っかかれ……頼むから引っかかってくれ……!

エリオは心の中で叫んだ。


「うぅ……ど、毒気……」

太った魔獣はぶつぶつと呟く

「だ、誰も教えてくれなかった……魔獣世界の毒気で人間が腐るなんて……お、俺の身体がこんなに痒いのも、新鮮な人間を食べてないからなのかぁ……?」


苦しそうに歩き回りながら考え込む。

「あぁ……全部一人で食べたら、お、怒られるかなぁ……で、でも俺は……」


隧道の方へ歩きかけたところで、ぴたりと止まった。

五秒ほど考え込む。そして突然振り返ると、大股で檻の前へ戻ってきた。


引っかかれ……!

頼むから引っかかってくれ……!

エリオは固く目を閉じ、再び心の中で叫んだ。


「今食べちゃおう」

太った魔獣は大口を開けた。よだれがぼたぼたと地面へ落ちる。


魔獣は檻のすぐ近くにある石杭の一つへ近寄った。力任せに叩くと、石杭は地面へ少し沈み込む。

続いて石杭を抱え込み、唸り声を上げながら反時計回りに回し始めた。


鉄格子がギギギと耳障りな音を立てながら上昇していく。

一メートルほど持ち上がったところで魔獣は石杭を離した。鉄格子はその高さで止まる。だが、その隙間があれば人間を引きずり出すには十分だった。


満足そうに振り返り、太った魔獣は檻の底から腕を突っ込む。


その瞬間だった。一つの影が空中を走り抜ける。

太った魔獣が何が起きたのか理解する前に、背後から強烈な衝撃を受けた。


「ぎゃっ!」


前のめりに檻へ激突する。

次の瞬間、腹の下を縄が通り抜けた。

黒い稲妻のような影が目の前を駆け抜ける。


三秒も経たないうちに、太った魔獣は両手両足を背中側で縛り上げられ、口には布を詰め込まれていた。


「やるじゃん、ソーン!」

エリオは檻から這い出しながら叫んだ

「ただちょっと時間かかりすぎだろ。こっちは芝居まで打つ羽目になったんだぜ」


「それはどうもすみませんねぇ」

ソーンが笑う

「早く片付けすぎたら、この仕掛けの開け方が分からなかったかもしれないだろ?」


「それに長引けば、このブサイクがもっと魔獣を呼んできて面倒なことになるしな」


「見事な手際だったな!」

グレンは服についた埃を払いながら言った

「さっきまでどこに隠れてたんだ?」


「こいつ、猿みたいに洞窟の天井へ登ってたんだよ」

エリオが答える。


先ほどエリオが太った魔獣を挑発しながら、わざと弱ったふりをして倒れ込んだ時。

その隙に、天井の影へ張り付いていたソーンへ向かってさりげなく片目を閉じてみせた。


ソーンが合図に気付いたかどうかは分からなかった。

だが、どうやらこのガキは相当頭が回るらしい。


エリオは少しだけ理解した。

なぜソーンがナディラで百年に一人の天才と呼ばれているのかを。


「お前もなかなか想像力豊かじゃん」

ソーンが言い返す

「魔獣世界の毒気で腐るとかさ。やっぱ正規の狩魔師教育を受けてない奴が考えそうなデタラメだな」


その言葉に、他の面々も思わず笑い出した。


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