10. 独眼の狩魔師、誕生
エリオ・ヴレスは目を覚ました。
頭の中は真っ白だった。
ただ、光が眩しくて目を開けていられない。
何度か瞬きをする。左目が少し痛んだ。
体を起こそうとしたが、全身に力が入らない。異様なほど疲れていた。
やがて目が光に慣れてくる。
少しずつ、ここがどこなのかを思い出した。
バルバス博士が、自分に視覚改造手術を施すと約束してくれたこと。
小さな手術室へ連れて行かれたこと。
心臓が激しく鳴っていたこと。
博士が何かを話していたが、ほとんど耳に入っていなかったこと。
そしてその先は、何も覚えていない。
「ようやく目を覚ましたか」
バルバスの低い声が響いた。
「三日間、意識が戻らなかったんだぞ」
「博士……」
エリオはかすれた声で尋ねる
「私は……手術に成功したんですか?」
バルバスは何も言わなかった。ただ楕円形の小さな鏡を取り出し、エリオの前へ差し出す。
エリオは鏡の中の自分を見つめた。数秒後。ようやく理解が追いつく。
左目は水晶のように眩い紫色に輝くプルプラの眼であるのに対し、右目は黒いままの、元からある自分の眼――
鏡に映っていたのは、左右の瞳の色が異なる己の姿だった。
「君がプルプラ族であっても、手術中に拒絶反応は避けられなかった」
バルバスは眉をひそめていた。
その声には不安が混じっている。
「左目を移植した段階で、私は手術を中断することにした。まずは君を生かすことを優先したんだ。今、体調はどうだ?」
エリオは鏡の中の自分を見つめ続けた。
左目は腫れている。わずかに充血していて、奥に鈍い痛みもあった。
彼は周囲を見回す。
左目で見る世界と、右目で見る世界に大きな違いはない。
ただ、左目の方が少しだけ輪郭がはっきりしているように感じた。
エリオはベッドから降りようとした。少し歩いてみたかった。
だが左右の視差がわずかにずれている。その違和感に足元が揺れた。体勢を崩し、危うく床へ倒れそうになる。
バルバスが慌てて手を伸ばした。だがエリオはすぐに踏みとどまる。
目を閉じた。ゆっくりと息を吸う。
――早く慣れろ。
――この新しい眼に。
――ここで時間を使っている暇はない。
心の中で、そう激しく叫んだ。
エリオは目を開く。真っ直ぐ窓の外を見た。両目の不均衡に、少しずつ体を慣らしていく。
窓の外には草地が広がっていた。少し離れたところに、一軒の家がある。
その瞬間。人型の影のようなものが、一瞬だけ視界を横切った。
そしてその家の裏へ消える。
輪郭は人に似ていた。だが背丈は異様に高い。背後には尾のようなものまで見えた気がした。
エリオは、自分の見間違いなのか判断できなかった。
彼は頭を振る。視線を室内へ戻した。そして一歩を踏み出す。
ゆっくりと部屋の中を歩きながら、強引に両目を動かしてキョロキョロと辺りを見回し続けた。
額には冷たい汗が滲んでいた。
「私の意見としては、まず左目に慣れることだ」
バルバスが口を開く。
「それから体力を回復させる。少なくとも一か月は様子を見た方がいい。手術による副作用が出ないか確認する必要がある。この一か月は、まず――」
「大丈夫です」
エリオが言った。
彼の両目はバルバスを見据えていた。背筋は真っ直ぐ伸びている。
疲れきっていたはずの瞳は、いつの間にか澄み切っていた。
そして、揺るぎない決意が宿っている。
「これで十分です。ありがとうございます、バルバス博士」
「君は何をするつもりだ……?」
バルバスは困惑した表情でエリオを見る。
だが次の瞬間、何かに気づいたように目を見開いた。
「まさか。まさか君は……」
エリオは服を手に取った。そして着替え始める。
「その状態で魔獣と戦えると思っているなら、大間違いだぞ、若者!」
バルバスの声が強くなる
「冗談で言っているんじゃない。君は片方の眼でしか魔獣を見られないんだ。そんな状態で戦うなんて、そんなものは――」
「大丈夫です、博士」
エリオはバルバスの言葉を遮るように言った
「本当にありがとうございました」
彼は深く頭を下げた。そして振り返ることなく歩き出す。
バルバスは、その背中が遠ざかっていくのを見ていた。
数秒の間、息をすることさえ忘れていた。
やがて彼は、静かに息を吐く。
「そんなもの……死にに行くようなものじゃないか……」
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