第32話「清算」
翌朝、カイト領に静かな朝が来た。
鳥が鳴いていた。
風が草を揺らしていた。
昨日まで戦場だった南の境界線に、今は誰もいない。
俺は屋敷の前に立って、空を見上げた。
「……ナビ」
「はい」
「昨日のこと、夢じゃないっすよね」
「夢ではありません。全て記録済みです」
「そっすか」
少し間があった。
「……ユウト」
「そっすよ」
「……また呼びました」
「そっすよ」
「……おかしいですか」
「おかしくないっすよ。どっちでも呼んでいいっすよ」
「……わかりました」
朝食の時間、全員が集まった。
新住民の三十二名も含めると、かなりの人数になった。
アリシアが仕切っていた。
「……並んで受け取ってください。全員分あります」
整然としていた。
五年間、ベルクハルト家で培ったものが出ている。
「アリシアさん、さすがっすよ」
「……当然よ。こういうことは得意だから」
「そっすよ」
ガルドが隣で肉を食べながら言った。
「……昨日の戦いで、新住民の何人かが戦ってくれたな」
「そっすよ。自分の土地を守るためっすよ」
「……早いな。来てまだ数日なのに」
「土地を持てる約束をしたっすよ。自分の土地になれば、守る理由ができますよ」
ガルドが少し黙った。
「……お前、最初から計算してたな」
「してたっすよ」
「……外道だな」
「ありがとっすよ」
テッドが黙々と食べていた。
隣に昨日来た鍛冶師の若者が座っていた。
何かを話していた。
珍しい光景だった。
テッドが誰かに話しかけることは、ほとんどなかった。
「……テッドさんに弟子ができそっすよ」
「……いらん」とテッドが言った。
「聞こえてましたか」
「聞こえていた」
「でも話してましたよ」
「……仕事の話だ」
「そっすよ」
若者が少し頭を下げた。
テッドが鼻を鳴らした。
食後、エルゴからの使者が来た。
「旦那からです。グラストが王都で動きを止めました。評議会への根回しも失敗したとのことです」
「わかりましたよ」
「もう一つ。バルドさんからも伝言があります。ドレインが王都で処分を受けました。職権濫用と外部勢力との共謀——正式な有罪判決が出たそうです」
全員が静かになった。
「……終わりましたよ」
ガルドが言った。
「……全部か」
「グラスト、ドレイン、ギルドの件。全部っすよ」
フィアが少し目を閉じた。
「……母の件も」
「そっすよ」
フィアが静かに言った。
「……バルドさんに、礼を伝えてもらえますか」
「わかりましたよ」
使者が去った。
しばらく、誰も何も言わなかった。
テツが低く唸った。
「テツが何か言ってますよ」
「……何を言っているの?」とリリスが言った。
「ナビに聞くと——終わったのか、って言ってますよ」
「……そう。終わったわ」
テツが静かに座った。
午後、エルディアが馬車の前に立っていた。
「……今日、王都に戻る」
「わかりましたよ。遠いところをありがとうっすよ」
「礼はいらないわ。仕事だから」
「そっすよ」
エルディアが少し間を置いた。
「……一つだけ言わせてくれ」
「どうぞっすよ」
「アリシアを、よろしく頼むわ」
俺は少し考えた。
「アリシアさんは自分でやりますよ」
「……そうね。それが正しい言い方だったわね」
エルディアがアリシアを見た。
「……またいつか」
「……ええ」
「……次は違う形で会いましょう。商売の話でも持ってくるわ」
「……楽しみにしている」
エルディアが馬車に乗った。
俺を見た。
「……カイト、あなたは本当に変わった人間ね」
「よく言われますよ」
「……褒め言葉よ、今回は」
「ありがとっすよ」
馬車が動き出した。
アリシアがその背中を見ていた。
「……行ったわね」
「そっすよ」
「……あの人、変わったわね」
「そっすよ」
「……人は変わるのね」
「変わりますよ。いい方向にも悪い方向にも」
「……あなたは変わったの?」
俺は少し考えた。
「変わってないっすよ」
「……そう?」
「ゲームを攻略するように動いてるだけっすよ。最初からずっと」
「……それが変わっていないということね」
「そっすよ」
アリシアが少し笑った。
「……一つだけ聞いていい?」
「どうぞっすよ」
「……あの日、婚約破棄をした日——本当に怒らなかったの?」
俺は少し間を置いた。
「怒ってなかったっすよ」
「……なぜ」
「五年間、世話になりましたよ。それは本当っすよ。アリシアさんが言った言葉も——あの頃のアリシアさんが言ったものじゃないと、わかってましたよ」
アリシアが黙った。
「……ずっとそう思っていたの?」
「そっすよ」
「……なんで言ってくれなかったの」
「言う機会がなかったっすよ」
アリシアが少し目を赤くした。
でも泣かなかった。
「……ありがとう」
「どういたしましてっすよ」
「……これからも、ここにいていい?」
「人手が必要っすよ」
「……それだけ?」
少し間があった。
「……アリシアさんがいると、領地が締まりますよ」
アリシアが少し笑った。
「……それで十分よ」
「そっすよ」
夕方、テッドが工房の前に立っていた。
俺が近づくと、テッドが静かに言った。
「……カイト」
「はい」
「一つだけ聞く」
「どうぞっすよ」
「……お前は、この領地で何をしたいんだ」
俺は少し考えた。
「ここに来た人間が、自分の土地で生きていける場所にしたいっすよ」
「それだけか」
「今はそれだけっすよ」
テッドが少し黙った。
「……俺は二十年間、何もできなかった」
「そっすね」
「エリナを守れなかった。バルドに言えなかった。ただ工房で金属を叩いていた」
「そっすね」
「……でも——ここに来て、久しぶりに動いた」
「そっすよ」
「……お前の隣で動くのは、悪くない」
「ありがとっすよ」
「礼はいらん」
テッドが工房に戻った。
金属を叩く音が始まった。
いつもと同じ音だった。
でも——どこか違う気がした。
(テッドさんが変わりましたよ、少し)
夜、全員が最後に集まった。
テッド、ガルド、フィア、リリス、アリシア、テツ、キュウ。
「……今日で、全部の決着がついたっすよ」
全員が静かに聞いた。
「グラストの件、ドレインの件、ヴェルナー家の件、バルドとフィアさんの件。全部終わりましたよ」
「……長かったな」とガルドが言った。
「そっすよ」
「……でも終わった」
「そっすよ」
「……これからどうするんだ」
「領地を育てますよ。ここに来た人間の土地を、本物にしますよ」
「……それだけか」
「今はそれだけっすよ」
リリスが言った。
「……私はヴェルナー家に戻る必要があるわ。返還された領地の手続きがある」
「そっすか」
「……でも、また来る」
「いつでもっすよ」
「……このくらい言ってもいいでしょう。嫌いじゃないもの、ここが」
「そっすよ」
フィアが静かに言った。
「……私は、ここにいます」
「ありがとっすよ」
「……ギルドの受付の仕事は続けられないですが——ここで必要なことをします」
「さすがっすよ」
テッドが言った。
「……俺は、ここで鍛冶場を作る」
「ありがとっすよ」
「礼はいらん。仕事だ」
ガルドが言った。
「……俺も、ここにいる。月給は上げてくれよ」
「考えますよ」
「考えるな、上げろ」
「検討しますよ」
「同じだろ」
キュウが鳴いた。
「お腹すいたって言ってますよ」
テツが唸った。
「テツもっすよ」
全員が笑った。
工房の火が、静かに燃えていた。
「ナビ、今日のこと記録しておいてくれ」
「記録しました。グラスト、ドレインの件完全終結。エルディアが王都へ帰還。アリシアが領地への定住を決めた。テッドが鍛冶場の建設を決めた。全ての因縁が清算された」
少し間があった。
「……ユウト」
「なに」
「全部、終わりましたね」
「そっすよ」
「……寂しいですか」
俺は少し考えた。
「寂しくないっすよ。終わったんじゃなくて、始まったんっすよ」
「……始まった?」
「ここからがカイト領の本番っすよ。追放されてから今日まではただの準備っすよ」
「……そうですか」
「そっすよ」
「……私も、始まりますか」
「ナビはずっと始まってましたよ」
「……そうですね」
少し間があった。
「……ユウト」
「なに」
「田中悠人として生きた二十三年間——後悔していますか」
俺は少し驚いた。
「後悔してないっすよ」
「……なぜですか」
「あの二十三年間があったから、ここにいますよ。ゲームを攻略し続けた二十三年間があったから、この世界を攻略できましたよ」
「……そうですね」
「ナビもそっすよ。田中悠人と一緒にいたから、今ここにいますよ」
長い間があった。
「……ありがとうございます、ユウト」
「こちらこそっすよ、ナビ」
窓の外で、カイト領の灯りが揺れていた。
三十二名の人間が、今夜もここで眠っている。
荒れた土地が、少しずつ変わっていく。
(さて)
(次は何を動かしますかね)
ここまで読んでくださりありがとうございます。
全ての因縁が清算されました。グラスト、ドレイン、ヴェルナー家、バルドとフィアの件。全部終わりました。
でもカイトは言います。「終わったんじゃなくて、始まったんっすよ」と。
そしてナビの「ユウト」が、もう自然に呼べるようになっている。田中悠人とナビが、この世界で辿り着いた場所。
次話が最終話です。
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あなたの一押しが、この物語を完結させました。本当にありがとうございます。
それでは最終話でお会いしましょう。




