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最終話「補助輪なしで」

最終話「補助輪なしで」


---


朝が来た。


鳥が鳴いていた。


風が草を揺らしていた。


カイト領に、静かな朝が来た。


俺は屋敷の前に立って、空を見上げた。


青かった。


雲一つない、青だった。


「ナビ」


「はい」


「今日の天気は」


「晴れです。風は穏やか。農作業に適した一日です」


「そっすか」


「……ユウト」


「なに」


「おはようございます」


俺は少し笑った。


「おはようっすよ、ナビ」


---


工房からテッドの音が聞こえてきた。


夜明け前から動いている。


今日から鍛冶場の建設が始まる。


テッドが昨日の夜、設計図を一枚書いた。


無口な男が、一晩で書いた設計図だった。


「……本格的っすよ」と言ったら、「当然だ」とだけ返ってきた。


弟子候補の鍛冶師——名前をミオという若者が、テッドの隣で設計図を覗いていた。


「……覚えろ」とテッドが言った。


「はい」とミオが言った。


それだけだった。


でもテッドの声が、いつもより少しだけ柔らかかった。


---


ガルドが新住民の中から戦える者を集めて、朝の訓練を始めていた。


「……足を広げろ。重心が高い」


「はい」


「……お前、剣を持ったことがあるか」


「ないです」


「……ないのに持つな。まず素手から教える」


「はい」


ガルドが丁寧に教えていた。


俺が見ていると、ガルドが気づいた。


「……何を見ている」


「ガルド、向いてますよ」


「何がだ」


「教えること」


「……うるさい」


「本当っすよ」


ガルドが少し頬を赤くした。


「……月給を上げてくれたら考える」


「検討しますよ」


「検討じゃなく上げろ」


「善処しますよ」


「同じだろ」


---


フィアが机に向かっていた。


書類の山が積まれている。


農地の権利書、建設の許可書、新住民の登録書類。


「……フィアさん、昨日から寝てますか」


「……少しは寝ました」


「少しっすか」


「……やることが多いので」


「手伝える人間を増やしますよ」


「……大丈夫です。これは私の仕事ですから」


俺はフィアの机の横に椅子を引いた。


「何をしているんですか」とフィアが言った。


「手伝いますよ」


「……カイトさんが書類仕事をするんですか」


「俺も読めますよ」


「……でも」


「二人でやった方が早いっすよ」


フィアが少し間を置いた。


「……ありがとうございます」


「どういたしましてっすよ」


二人で書類を片付けた。


一時間後、山が半分になった。


フィアが少し息を吐いた。


「……早かったですね」


「二人でやれば早いっすよ」


「……カイトさん、字が丁寧ですね」


「五年間ベルクハルト家にいましたよ。そこで覚えましたよ」


フィアが少し笑った。


「……そうですね」


(その横顔が——今日は黙って見ていた)


---


アリシアが新住民の人たちと話していた。


子供が一人、アリシアの周りをうろちょろしていた。


「……あなたのお父さんはどこにいるの?」


「畑っすよ」


「……畑を耕しているの?」


「そっすよ。自分の土地ができるって言ってましたよ」


アリシアが少し目を細めた。


「……そう。いい土地になるといいわね」


「なりますよ。カイト様が言ってたっすよ」


「……カイト様が言ったの?」


「なりますよって言ってたっすよ」


アリシアが俺を見た。


俺が頷いた。


アリシアが子供に言った。


「……なるわよ、きっと」


子供が笑顔で走っていった。


アリシアが俺の隣に来た。


「……あなた、いつの間にか様付けで呼ばれているのね」


「そっすよ。慣れないっすけど」


「……でも悪くないわよ、領主様」


「やめてくださいっすよ」


アリシアが笑った。


---


昼前、キュウとテツが南の草原に出ていた。


キュウがテツの背中に乗って、草原を走っていた。


テツが楽しそうに走っていた。


でかい熊が草原を走って、その背中に小さな狐が乗っている。


「……変な光景っすよ」とリリスが隣で言った。


「そっすよ」


「……でも嫌いじゃないわ」


「そっすよ」


「……カイト」


「なんっすか」


「私、ヴェルナー家に戻るけど——また来る」


「いつでもっすよ」


「……約束よ」


「約束っすよ」


リリスが少し間を置いた。


「……一つだけ言っていい?」


「どうぞっすよ」


「……あなたのことを、最初は計算高い人間だと思っていた」


「そっすよ」


「……今も計算高いと思っている」


「そっすよ」


「……でも——その計算の中に、必ず人への信頼が入っている。それがわかった」


俺は少し考えた。


「計算だけじゃ動かないっすよ。人が動いてくれるのは、信頼があるからっすよ」


「……外道なのに、根本は真っ当ね」


「そっすよ」


「……嫌いじゃないわ」


「そっすよ」


---


夕方、全員が最後に集まった。


テッド、ガルド、フィア、アリシア、リリス、テツ、キュウ。


「……最終話だな」とガルドが言った。


「そっすよ」


「……終わるのか」


「終わらないっすよ。俺たちの話は終わらないっすよ。ただ、一区切りっすよ」


「……一区切り、か」


「追放されてから今日まで。それが一区切りっすよ。ここからまた始まりますよ」


テッドが静かに言った。


「……俺の二十年間も、一区切りついた」


「そっすよ」


「……悪くなかったな、この一区切りは」


「そっすよ」


フィアが言った。


「……私の三年間も、一区切りついた」


「そっすよ」


「……母に、報告できた気がします」


「そっすよ」


アリシアが言った。


「……私も。五年間、間違えていたけど——今日からは自分で選んで生きていける」


「そっすよ」


リリスが言った。


「……私はまだ始まったばかりよ。でも、悪くない始まりだわ」


「そっすよ」


ガルドが言った。


「……俺は——お前と出会って、強さの意味が変わった。スキルじゃない強さを、初めて信じられた」


「ありがとっすよ、ガルド」


キュウが鳴いた。


テツが唸った。


「キュウはお腹すいたって言ってますよ。テツは同意してますよ」


全員が笑った。


テッドが酒を出した。


「……最後くらいは飲め」


「ありがとっすよ」


全員が杯を受け取った。


「乾杯っすよ」


「乾杯」


工房の火が、静かに燃えていた。


---


夜が深くなった頃、一人になった。


屋敷の前に立って、空を見上げた。


星が出ていた。


ランセルでは見えない星が、ここでは見える。


「ナビ」


「はい」


「お前と出会ったのは、転生した日っすよね」


「はい。正確には発現した瞬間です」


「あの頃のナビはどうだったっすか」


「……データのみでした。感情はありませんでした」


「今は」


「……今は、あります。たくさんあります」


「そっすよ」


「……カイトのおかげです」


「俺のおかげじゃないっすよ。ナビが変わったんっすよ」


「……カイトと一緒にいたから変われました」


「そっすか」


少し間があった。


「……ユウト」


「なに」


「田中悠人として、後悔していないと言っていましたね」


「そっすよ」


「……カイトとして、後悔していますか」


「してないっすよ」


「……婚約破棄されても?」


「おかげで動けましたよ」


「……追放されても?」


「おかげでランセルに来ましたよ」


「……全部のことが、繋がっていると思いますか」


「繋がってますよ」


「……私も、繋がっています」


「そっすよ」


「……田中悠人のゲームの相棒が——カイトの隣にいる。それが、繋がっているということですね」


「そっすよ」


長い間があった。


「……ユウト」


「なに」


「一つだけ言わせてください」


「どうぞっすよ」


「……私は、あなたと一緒でよかったです」


「俺もっすよ」


「……ありがとうございます」


「こちらこそっすよ」


星が瞬いていた。


荒れた土地が、少しずつ変わっていく。


三十二名の人間が、今夜もここで眠っている。


(さて)


俺は空を見上げたまま、小さく笑った。


スキルは補助輪だ。


補助輪がなければ走れないやつらに、補助輪なしで走り続けた人間は、負けない。


転生してからずっと、そう思ってきた。


そしてそれは——正しかった。


(次は何を動かしますかね)


一歩、前に出た。


カイト領の夜が、静かに続いていた。


---


# 完


---



長い間、読んでくださりありがとうございました。


第1話の「お世話になりました」から始まって、最終話の「次は何を動かしますかね」まで。


カイトは一度も怒らなかった。一度も諦めなかった。ただ、観察して、考えて、動き続けた。


そしてナビは変わっていった。データだけだった存在が、感情を持ち、名前で呼べるようになった。


この物語を読んでくれた全員に、お礼を言わせてください。


ブックマークをしてくれた人。評価をしてくれた人。レビューを書いてくれた人。


あなたたちが、この物語を完結させました。


もし続きを読みたいと思ってくれたなら——


ブックマークはそのまま置いておいてください。


カイトとナビはまだ動いています。


「さて、次は何を動かしますかね」


それでは、またどこかでお会いしましょう。




最終話を振り返って


タイトル「補助輪なしで」

第1話でカイトが言った「スキルは補助輪だ」という言葉を、最終話のタイトルに持ってきました。最初と最後が繋がる構造です。


それぞれのその後

- テッドが弟子を持ち始めた

- ガルドが人に教えることに向いていると気づいた

- フィアが母への報告ができたと感じた

- アリシアが自分で選んで生きると決めた

- リリスが「悪くない始まり」と言えた

- テツとキュウが草原を走った


誰も劇的じゃない。でも全員が、少し前に進んでいる。


ナビとの最後の会話

「田中悠人のゲームの相棒が、カイトの隣にいる。それが繋がっているということですね」——ナビが自分の存在意義を、自分の言葉で言えるようになった。


最後の一行

「次は何を動かしますかね」——終わりじゃなく、続きがある予感で締めました。



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