第26話「五年ぶりの侯爵」
三日後の朝、エルゴの屋敷に向かった。
倉庫の椅子に座ったエルゴが、俺を見て口の端を上げた。
「答えが出たか」
「やりますよ」
「即答だな」
「三日間考えましたよ。でも最初から決まってたっすよ」
エルゴが静かに笑った。
「そうだろうと思っていた」
「条件を詰めさせてくれますか」
「もちろんだ。座れ」
俺は向かいの椅子に座った。
「廃領地の取得申請はフィアさんが書類を準備してくれますよ」
「動きが早いな」
「三日前から動いてもらってましたよ」
エルゴが少し目を細めた。
「……三日間考えると言いながら、三日前から準備していたのか」
「答えが出たときに動ければいいようにっすよ」
「外道だな」
「よく言われますよ」
エルゴが書類を取り出した。
「取得費用は俺が立て替える。返済は領地の収益から分割で構わない。ただし——」
「ただし?」
「領地の商業権の三割を俺に渡せ。それが条件だ」
「二割っすよ」
「三割だ」
「二割五分っすよ」
エルゴが少し間を置いた。
「……二割五分で手を打とう」
「ありがとっすよ」
握手した。
エルゴが手を離しながら言った。
「一つ、知らせがある」
「なんっすか」
「ベルクハルト侯爵が昨日ランセルに入った。アリシアを連れてきている。今日、お前に会いたいと言っている」
「わかりましたよ」
「……緊張するか」
「しないっすよ。五年間一緒にいた家っすよ」
エルゴが少し目を細めた。
「そうだったな」
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ギルドの応接室の扉を開けると、侯爵が立ち上がった。
六十代、白髪交じりの大柄な人間だ。かつて何度も同じ屋敷で顔を合わせた人物だが、今は少し疲れて見える。
その隣——少し後ろの椅子に、アリシアが座っていた。
俺が入ってきた瞬間、アリシアが背筋を伸ばした。
「久しぶりだな、カイト」
「お久しぶりっすよ、侯爵」
「五年ぶりか」
「そっすよ」
侯爵が俺を上から下まで見た。
「……屋敷を出た時より、顔つきが変わったな」
「色々ありましたよ」
「そうだろうな。あんな形でうちを出て、大変だったと思っていた」
「大変じゃなかったっすよ」
侯爵が少し目を細めた。
「……それがお前らしい」
「依頼の件、話させてもらっていいっすか」
「ああ。座れ」
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「ベルクハルト家の領地管理権が王都の貴族会議にかけられている。グラスト子爵の件が片付いたことで直接的な圧力は弱まったが——根本的な解決にはなっていない」
「貴族会議での評判の問題っすか」
「その通りだ」
「解決する方法は一つっすよ」
侯爵が少し目を上げた。
「……なんだ」
「ベルクハルト家が、自分たちの力で何かを成し遂げることっすよ。誰かに助けてもらうんじゃなく、家として動いた実績を作ることっすよ」
侯爵が少し黙った。
「……お前に頼んでいる段階で、それは難しい話ではないか」
「俺に頼むんじゃないっすよ。俺と一緒にやるんっすよ」
侯爵が俺を見た。
「……元婚約者に、そういうことを言われるとは思わなかったな」
「立場が違いますよ、今は」
侯爵がしばらく俺を見た。
それから、口の端をわずかに上げた。
「……屋敷にいた頃から、変わった男だと思っていた。今は、良い意味で変わったと思う」
「ありがとっすよ」
「話を聞かせてくれ。廃領地の詳細を」
「わかりましたよ」
俺は話し始めた。
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一時間後、侯爵が椅子に深く座り直した。
「……わかった。投資する。条件はフィアという受付嬢と詰めろ」
「ありがとっすよ」
「ただし一つだけ条件がある」
「なんっすか」
「アリシアを、お前の領地に置かせてほしい」
俺は少し止まった。
アリシアも止まった。
「……置かせてほしい、とはどういう意味っすか」
「ベルクハルト家の代表として現地に置けば、俺たちの関与を明確にできる。アリシアは屋敷の管理と来客の対応が得意だ。屋敷にいた頃からそれはお前も知っているだろう」
確かに知っている。
五年間、アリシアがどう動くかは見ていた。令嬢としての立ち居振る舞いや、来客への対応の仕方。あの頃はただ観察していたが、今になって使える情報になっている。
「……父様」
アリシアが小さく声を上げた。
「お前も望んでいるだろう」
アリシアが黙った。
俺はアリシアを見た。
アリシアが少し赤くなりながら、視線を窓の外に向けた。
(その横顔が——待て俺、今は商談中だ)
「条件として受け入れますよ」
「……本当にいいのか」とアリシアが小さく言った。
「人手は必要っすよ。アリシアさんがどういう人かは五年間一緒にいてわかってますよ。信頼できますよ」
「……恩着せがましく言わないのね、あなたは」
「事実を言ってるだけっすよ」
アリシアが少し笑った。
侯爵が立ち上がって、手を差し出した。
「取引成立だ」
握手した。
侯爵の手が強かった。かつて屋敷で何度も顔を合わせてきた人物と、今度は対等に握手をしている。
「よろしくっすよ」
侯爵が俺を見た。
「……お前に婚約破棄をしたのは、うちの失敗だったな」
「そんなことないっすよ。おかげで色々できましたよ」
「……相変わらず、根に持たない男だ」
「持つだけ損っすよ」
侯爵が小さく笑った。
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応接室を出ると、廊下でアリシアが俺を呼び止めた。
「……カイト」
「なんっすか」
「父が決めたことだから、と思わないでほしいの」
「何がっすか」
「……私は、自分で行きたいと思っている。押し付けられたわけじゃない」
俺は少し考えた。
「知ってますよ」
「……なんでわかるの」
「侯爵が言い出す前から、アリシアさんの目が決まってましたよ」
アリシアが少し目を見開いた。
「……見てたの?」
「観察する癖っすよ」
アリシアが小さく笑った。
「……相変わらずね、あなたは」
「そっすよ」
「……よろしく頼みます、カイト」
「よろしくっすよ、アリシアさん」
廊下に昼の光が差し込んでいた。
キュウが肩から飛び降りて、アリシアに近づいた。
アリシアが少し驚いた顔をした。
「……また会ったわね」
キュウが前足をアリシアの膝に乗せた。
アリシアがゆっくりキュウの頭を撫でた。
「……相変わらず柔らかいわね」
「覚えてたんっすか」
「……当然でしょう」
キュウが満足そうに目を細めた。
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工房に全員が集まった夜、侯爵との取引を報告した。
ガルドが最初に口を開いた。
「……アリシアが来るのか」
「そっすよ」
「……元婚約者が領地に来る。それで大丈夫なのか」
「人手は多い方がいいっすよ」
「そういう問題じゃない気がするが」
リリスが腕を組んだ。
「……面白くなってきたわね」
「そっすよ」
「カイトのことを『存在意義すら疑わしい』と言った人が、今度は一緒に領地を作るのね」
「人は変わりますよ」
「……あなたは本当に根に持たないのね」
「持つだけ損っすよ」
テッドが金床を叩きながら、背中越しに言った。
「……面子が揃ってきたな」
「そっすよ。あとは廃領地を正式に取得するだけっすよ」
フィアが書類を整理しながら言った。
「……申請書類は明後日には揃います」
「さすがっすよ」
「……ベルクハルト侯爵の投資額も確認しました。予想より多かったです」
「侯爵、本気っすよ」
「……娘を送り込んでいるのですから当然ですが」
キュウが鳴いた。
「お腹すいたって言ってますよ」
「さっき食べたでしょう」とリリスが言った。
「成長期っすよ」
「この子はずっと成長期ね」
工房の火が静かに燃えていた。
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その夜、ナビに話しかけた。
「今日のこと、記録しておいてくれ」
「記録しました。エルゴとの取引成立、二割五分。ベルクハルト侯爵との取引成立。アリシアの領地参加が決定」
少し間があった。
「……カイト」
「なに」
「侯爵が『婚約破棄はうちの失敗だった』と言っていましたね」
「そっすよ」
「……カイトはどう思いましたか」
「おかげで今があるっすよ」
「……後悔していないんですか」
「してないっすよ。あの五年間があって、ランセルに来て、みんなに会えましたよ。全部繋がってますよ」
「……そうですね」
少し間があった。
「……カイト」
「なに」
「私も——カイトと一緒にいてよかったです」
「そっすか」
「……はい」
窓の外で、ランセルの夜が静かに続いていた。
廃領地への申請書類が揃うのは明後日。
正式に取得が決まれば、第二章が始まる。
(さて。開拓マップの攻略を始めますよ)
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ここまで読んでくださりありがとうございます。
「婚約破棄はうちの失敗だった」という侯爵の言葉に、カイトは「おかげで今があるっすよ」と答えた。根に持たない。後悔しない。でもそれは諦めじゃなく、全部が繋がっているという確信です。
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次話——廃領地の取得が正式に決まった。カイトたちが、初めて廃領地を踏む。そこで待っていたのは——
それでは第27話でお会いしましょう。




