第20話「帰還」
アリシアがランセルに現れたのは、朝の市場が開いた頃だった。
フィアから報告が来たのは昼前だ。
「……ベルクハルト家の令嬢が、ランセルのギルドに来ました」
「アリシアさんっすか」
「……名前は名乗りませんでしたが、ベルクハルト家の紋章が入った外套を着ていました。カイトさんの居場所を聞いてきました」
「何て答えましたか」
「個人情報は開示できないとお伝えしました」
「ありがとっすよ」
「……どうしますか」
俺は少し考えた。
(来た。エルディアが『アリシアによろしく』と言ってから五日。早かったっすね)
「今日は動かないっすよ」
フィアが少し間を置いた。
「……会わないんですか」
「向こうがどこまで本気か、確認してからっすよ」
「……どうやって確認するんですか」
「待ちますよ。本気なら、また来るっすよ」
フィアが小さくため息をついた。
「……わかりました」
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アリシアは翌日も来た。
三日目も来た。
毎日、ギルドに来てカイトの居場所を聞いて、教えてもらえずに帰っていく。
四日目の朝、フィアが言った。
「……昨日は雨の中を来ていました」
「そっすか」
「……二時間ほど待って、帰りました」
俺は少し黙った。
「わかりましたよ。今日会いますよ」
フィアが少し目を見開いた。
「……基準は何ですか」
「四日間、雨の中でも来たっすよ。それで十分っすよ」
「……最初からそのつもりだったんですか」
「本気かどうか確認するって言いましたよ」
フィアが少し呆れた顔をした。
「……あなたって、本当に——」
「本当に?」
「……何でもありません」
(また言いかけてやめた——待て俺)
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ギルドの前で待っていると、昼前にアリシアが現れた。
五日前より、少し痩せた気がした。外套の紋章は布で隠してある。
俺に気づいた瞬間、アリシアの足が止まった。
しばらく、お互い黙って見ていた。
「……カイト」
「久しぶりっすよ、アリシアさん」
アリシアが少し目を細めた。
「……さん、をつけるのね」
「他に何をつければいいっすか」
アリシアが少し下を向いた。
「……話を聞いてもらえる?」
「どうぞっすよ」
「ここではなくて——どこか、人の少ない場所で」
「わかりましたよ」
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街の外れ、川沿いの小さな広場に案内した。
ベンチが一つある。人通りがない。
アリシアが座った。俺も向かいに座った。
キュウが俺の肩から飛び降りて、アリシアの方に近づいた。
アリシアがキュウを見た。
「……何これ」
「二尾狐っすよ。キュウっていいますよ」
「……懐いてるの?」
「人を選ぶっすよ」
キュウがアリシアの膝に前足を乗せた。
アリシアが少し驚いた顔をした。それから、ゆっくりキュウの頭を撫でた。
「……柔らかいわね」
「そっすよ」
アリシアがしばらくキュウを撫でていた。
それから、顔を上げた。
「……エルディアのことは聞いた?」
「聞きましたよ」
「あなたと会ったということも?」
「聞きましたよ」
「……エルディアが『よろしく伝えておいて』と言ったの。あなたに」
「聞きましたよ」
アリシアが少し目を閉じた。
「……私、あなたに謝りたくて来たの」
俺は黙って聞いた。
「婚約破棄のとき——あんなことを言った。『存在意義すら疑わしい』とか、『忘れるに値しない五年間』とか」
「覚えてますよ」
「……あれは、私の本心じゃなかった」
「知ってますよ」
アリシアが目を開けた。
「……知っていたの?」
「あの頃のアリシアさんは、エルフ貴族のコピーになってたっすよ。本物のアリシアさんは『スキルがなくても、人は人よ』って言った人っすよ」
アリシアが少し唇を噛んだ。
「……その言葉を、覚えていてくれたの」
「覚えてますよ。本物の言葉っすから」
「……エルディアに切り捨てられるまで、私はずっとあの言葉を忘れていた」
「そっすね」
「……後悔しているわ」
「それを聞きに来たっすか」
「……違う」
アリシアが俺を見た。
真っ直ぐな目だった。五年前、初めて会ったときの目に近かった。
「助けてほしいの」
俺は少し考えた。
「何を助けるっすか」
「ベルクハルト家が、今危ない状態なの。エルディアとの縁談が破談になって、家の信用が落ちた。このままだと——領地の管理権を王都の別の貴族に移される可能性がある」
「それはベルクハルト家の問題っすよ」
「……わかってる。あなたに助ける義理がないことも」
「でも来たっすか」
「……他に頼れる人間がいなかったから」
俺は少し間を置いた。
(ナビ)
「はい」
「アリシアの話、信憑性はどう思うっすか」
「……嘘の反応は見られません。追い詰められているのは事実と思われます」
(そっすね)
「アリシアさん、一つだけ確認させてください」
「何?」
「俺に助けを求める前に、ベルクハルト侯爵は何か動きましたか」
アリシアが少し間を置いた。
「……父は、今の状況を自分たちで解決しようとしている。私がここに来たことは知らない」
「つまり、アリシアさんが独断で来たっすか」
「……ええ」
「なんでっすか」
「……父に頼む前に、あなたに謝りたかった。それが先だと思ったから」
俺は少し考えた。
(謝罪が先、助けの要求が後。それは計算じゃない。本心で動いた人間の順番っすよ)
「わかりましたよ」
「……助けてくれるの?」
「条件がありますよ」
アリシアが少し身構えた。
「言って」
「ベルクハルク侯爵に正式に話を通してもらえますか。アリシアさん個人じゃなく、家として依頼する形にしてほしいっすよ」
「……それは、なぜ?」
「個人と家では、動ける範囲が違いますよ。家として依頼してもらえれば、正式に対処できますよ」
「……父が断ったら?」
「そのときは連絡してもらえれば、別の方法を考えますよ」
アリシアが少し目を細めた。
「……あなたって、本当に変わらないのね」
「そっすかね」
「……怒ってないの? 私のことを」
俺は少し考えた。
「怒ってないっすよ」
「なんで」
「アリシアさんが本物に戻ってきてるっすから」
アリシアが少し目を赤くした。
それでも、泣かなかった。
「……ありがとう」
「礼はまだ早いっすよ。侯爵に話を通してから言ってくださいっすよ」
アリシアが小さく笑った。
「……あなた、やっぱり・・・ね」
キュウが鳴いた。
「お腹すいたって言ってます」
アリシアが干し肉を持っていないことに気づいて、俺がポケットから取り出してキュウに渡した。
「……この子、いつもお腹すかせているの?」
「成長期っすよ」
アリシアが川面を見た。
「……五年前、あなたがギルドに登録したとき——本当は羨ましかったの」
「……あなたは怖くなかったの?」
「人間のスキルは所詮、努力の産物に過ぎないって——ずっとそう言われてきた。純血エルフや獣人の先天スキルには絶対に届かないって。私はその言葉が怖かったのかもしれない。だから純血貴族の側に行こうとした」
「怖かったっすよ」
アリシアが少し驚いた顔をした。
「……本当に?」
「転生してすぐ、スキルが覚えられないってわかったときは焦りましたよ。でも——怖いまま動かないより、怖くても動く方を選んだだけっすよ」
アリシアが少し間を置いた。
「……それが、あなたの強さなのね」
「強さじゃないっすよ。性格っすよ」
アリシアが川面を見たまま、小さく笑った。
それから立ち上がった。
「……父と話してみる」
「連絡を待ってますよ」
「……また来ていい?」
「用があれば来てくださいっすよ」
アリシアが俺を見た。
「用がなくても、来ていい?」
俺は少し考えた。
「キュウが喜びますよ」
アリシアが少し笑った。
それから、川沿いの道を歩いていった。
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工房に戻ると、全員がいた。
ガルドが腕を組んで待っていた。
「どうだった」
「話しましたよ」
「助けるのか」
「侯爵からの正式依頼が来れば、動きますよ」
ガルドが少し考えた。
「……それで、お前はどう思ってるんだ」
「何がっすか」
「アリシアのことを」
俺は少し間を置いた。
「本物に戻ってきてましたよ」
ガルドが黙った。
リリスがキュウを膝に乗せながら言った。
「……あなたは甘いわね」
「そっすかね」
「本当に甘いわ。」
テッドが金床を叩きながら、背中越しに言った。
「……お前が動くなら、俺も動く」
フィアが書類を整理しながら、静かに言った。
「……私も」
俺は工房を見回した。
テッド、ガルド、フィア、リリス、キュウ。
それぞれが、それぞれの理由でここにいる。
(悪くないっすよ)
(ナビ)
「はい」
「今日のこと、記録しておいてくれ」
「記録しました。アリシアとの接触。侯爵からの正式依頼待ち」
少し間があった。
「……カイト」
「なに」
「アリシアが『用がなくても来ていい?』と聞いたとき——カイトは『キュウが喜ぶ』と答えました」
「そっすよ」
「……自分が喜ぶ、とは言わなかったんですね」
「そっすね」
「……なぜですか」
俺は少し考えた。
「照れますよ、さすがに」
頭の中で、ナビが静かに笑った気がした。
初めてだった。
笑った、と思ったのは。
「……ナビ、今笑いましたか」
少し間があった。
「……わかりません」
「わからない?」
「……笑うという行為を、私はデータとして認識していました。でも今——データじゃない何かが起きています」
「それが笑うってことっすよ」
また間があった。
「……そうかもしれません」
「ナビ」
「はい」
「変わってきてるっすよ、お前」
「……気づいていました。でも——いつからかは、わかりません」
「いつからっすかね」
「……カイトと一緒にいるうちに、気づいたら変わっていました」
俺は少し笑った。
「そっすか」
「……カイト」
「なに」
「私は今——うれしいと思っています。データじゃなく」
「そっすか」
「……はい」
窓の外で、ランセルの夕日が石畳を染めていた。
拠点が、確かにここにある。
仲間が、確かにここにいる。
カイト組織の原型が、静かに完成していた。
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## 後書き
ここまで読んでくださってありがとうございます!
今回の見どころは二つ。アリシアとの再会と、ナビが初めて「笑った」瞬間でした。
アリシアは本物に戻ってきた。カイトは「怖くても動く方を選んだだけ」と言った。これがこの作品の核心です。
そしてナビの「わかりません」という一言。データとして処理してきた感情が、データじゃない何かに変わり始めた瞬間です。ナビは今、自分でも気づかないうちに変わっています。
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次話予告:ベルクハルト侯爵からの正式依頼が届いた。そして——エルディアも動き始める。第二章への扉が、開く。
それでは第21話でお会いしましょう!




