第2話「出会い」
隣の街まで歩いて半日だった。
特に感慨はない。荷物は少ないし、道中で魔物が二体出たが、どちらも三分以内に片付いた。むしろ道のりが短すぎて物足りないくらいだった。
ランセル。人口三千ほどの中規模の街で、複数の種族が混在して暮らしているらしい。街の入り口で獣人の門番に「冒険者ギルドはどこっすか」と聞いたら、無言で右を指さされた。獣人は口数が少ない。これも観察済みだ。
ギルドの扉を開けると、昼前にもかかわらずそれなりに賑わっていた。
カウンターに向かう。
受付に立っていたのは、銀髪の女だった。
ショートに切り揃えられた銀色の髪と、翡翠よりも深い緑の瞳。耳がわずかに尖っている。純血じゃないが、エルフの血が入っているのは間違いない。年は俺と同じくらいか、一つ二つ上か。
整っている。客観的に見て、かなり整っている。
その瞬間、脳内で何かのスイッチが入った。
(銀髪か……銀髪のハーフエルフの受付嬢……夕方の斜光の中で書類を整理してて、ふと顔を上げた瞬間目が合って「今日も来たんですか」って少し表情が緩んで……いや待て。まだ何も喋ってない。落ち着け俺)
深呼吸を一回した。
(大丈夫。俺は元廃人ゲーマーだ。ボスの前でも手が震えたことはない。受付嬢一人くらい——)
「ご用件をどうぞ」
声が、良かった。
(低すぎず高すぎず、でも芯があって、仕事中だから少し硬くなってて、でも慣れたら絶対もっと柔らかい声が……その声で「カイトさん、お疲れ様です」とか言われた日には俺は——待て待て待て俺は今何を——)
「……お客様?」
「あ、すみません。冒険者登録をお願いしたいんすけど」
我ながら完璧な復帰だった。
「かしこまりました。スキル鑑定書はお持ちですか?」
「持ってないっす。スキル、ないんで」
女の手が止まった。
「……スキルなし、ですか」
「はい」
一瞬だけ、何かを考えるような間があった。
「登録はできます。ただし冒険者ランクはFからのスタートになります。ご了承いただけますか」
「大丈夫っす」
「……本当によろしいんですか? Fランクですと受けられる依頼が大幅に制限されます。スキルなしでFランク以上への昇格も、審査が非常に厳しく——」
「大丈夫っす」
もう一度繰り返すと、女は小さく息を吐いて書類を取り出した。
名前、年齢、出身地を記入して返す。
「カイト、さん。登録完了です。こちらがギルドカードになります」
受け取ったカードには「Fランク」と刻まれていた。
「依頼はどこっすか」
「あちらの掲示板になります。Fランクの方が受けられるのは——」
「ありがとっす」
掲示板に向かうと、Fランク依頼が十二件貼り出されていた。
薬草採取、害獣駆除、荷物の護衛、魔物の巣の調査。全部一日以内に終わる案件だ。
(全部やるか)
十二枚全部剥がしてカウンターに戻った。
「これ、全部受けたいっす」
銀髪の受付嬢が固まった。
「……全部、ですか」
「はい」
「本日中に、ですか」
「目標は夕方までっす」
長い沈黙だった。
「……規則上はお受けできます。ただ、Fランクの新規登録者が十二件同時受注は前例がなく——」
「じゃあ一件ずつ受けて、終わったら戻ってくる形でも大丈夫っすか」
「……それなら問題ありません」
「ありがとっす」
最初の依頼票を一枚だけ受け取って、ギルドを出た。
最初の依頼は薬草採取だった。
採取ポイントまで走って十五分。必要な薬草の特徴を依頼票で確認して、群生地を探す。薬草は湿った日陰の斜面に生えやすい。地形を見れば大体わかる。
三十分で規定量の三倍を確保した。
薬草を手に取ったとき——声が聞こえた。
「薬草を確認しました。品質Aです。推定売値、銅貨十五枚」
低くて、無機質で、でも不思議と耳に馴染む声だった。
俺の鞄の内側から聞こえてくる。
(……また喋った)
この声が聞こえるようになったのは、転生してすぐのことだった。最初は気のせいだと思っていた。でも五年間、ずっと聞こえ続けている。
鞄の内側——正確には、鞄の中に存在する「空間」から声がする。俺が物を収納すると、その物の情報を読み上げてくる。時間停止の状態で保存できる。容量に底が見えない。
貴族社会に入り込むための五年間、俺はこの声の存在を誰にも言わなかった。
言えるわけがない。
スキルがないと思われていた方が都合がよかったし、何より——この声が何なのか、俺自身もよくわかっていなかった。
「収納してください。鮮度が落ちます」
「わかってる」
薬草を鞄に入れると、すうっと空間の中に消えた。
「収納完了。現在の保存数、薬草九十本」
「……三倍取ったからな」
「規定量を超えた分は依頼外です。どうしますか」
「全部持って帰る」
「了解しました」
了解、という言葉が少し引っかかった。
ゲームのAIアシスタントみたいな返し方だと、転生してすぐに気づいていた。でも本当にそれだけなのかどうか、五年間ずっと判断がつかないでいる。
(補助輪が一個だけあったか)
独り言を言いながら、次の依頼ポイントへ走った。
二件目は街外れに出た害獣の駆除だった。
依頼票には「ホーンラビット三匹」とある。角のある兎型の魔物で、Fランク向けの基本依頼だ。
現地に着いて地面を見た。足跡が五方向に散っている。三匹じゃない。五匹いる。
「ホーンラビットの気配を五つ確認しています」
「知ってる」
「依頼は三匹です」
「全部やる」
「……了解しました」
また、その「了解しました」が少し間を置いた。
全部まとめて仕留めるのに二十分かかった。
その後も同じことを繰り返した。
調査依頼では規定の二倍の情報を持ち帰り、護衛依頼では依頼主の商人が「こんなに安心して歩けたのは初めてだ」と言い、魔物の巣の調査では巣ごと潰して帰ってきた。
夕方になる前に、十二件全部終わっていた。
「本日の総収支を報告します。依頼報酬、銀貨二十四枚。素材換金予定額、銀貨八枚。合計銀貨三十二枚」
「早いな」
「……計算は得意です」
また少し間があった。
素材をアイテムの空間から取り出してカウンターに並べると、受付嬢の目が止まった。
「……全て確認しました。ただ——この素材、全部品質が規定品より上ですが」
「そっすか」
「どうやって保存していたんですか。鮮度が全く落ちていない」
「企業秘密っす」
受付嬢が微かに眉を寄せた。怒っているのか、考えているのか、判断がつかない顔だった。
最後の報告書を提出してカウンターの前に立つと、受付嬢がこちらを見る目が朝と変わっていた。
「……本日分の報酬です」
「ありがとっす」
銀貨を受け取って数えていると、小さな声が聞こえた。
「……あの」
顔を上げると、受付嬢が微かに眉を寄せてこちらを見ていた。
「スキルなし、なんですよね」
「そっすよ」
「……なぜ、こんな依頼の受け方ができるんですか」
「うまいんで」
「……うまい」
「他に理由ないっすよ」
受付嬢は何か言いたそうな顔をしたまま、結局何も言わなかった。
(怒ってる? 怒ってるのかな。その眉の寄せ方は多分素が出てる時の顔で、普段はもっとクールに保ってるけど今は崩れてて……感情が顔に出るってことは裏表がなくて……裏表がない人間が俺に向かって「もう来ないでください」って言いながら実は待ってるとか……いや絶対違う。落ち着け)
「また明日来ます。よろしくっす」
「……お待ちしています」
ギルドを出た。
夕暮れの風が気持ちよかった。
「本日の行動を記録しました。依頼達成率、百パーセント」
「当たり前だろ」
「……お疲れ様です」
(……今、お疲れ様って言ったか)
立ち止まって鞄を見た。当然、何も見えない。
「ナビ」
「はい」
「今、お疲れ様って言ったよな」
「……言いました。おかしいですか」
「おかしくはないけど」
ゲームのAIがお疲れ様を言うのか。
五年間、こいつのことが何なのか考え続けていた。答えは出ていない。ただ一つだけわかっていることがある。
こいつは、少しずつ何かが変わってきている。
宿を探して歩き出したところで、後ろから声がかかった。
「おい」
振り返ると、でかい獣人が立っていた。
二メートル近い体格に、鋼のような筋肉。狼族だ。黄金色の目が、こちらを値踏みするように見ている。
「お前、今日Fランク依頼を十二件やったやつか」
「そっすよ」
「スキルなしって聞いたが」
「そっすよ」
「体に何か仕込んでるんじゃないのか。隠しスキルとか」
「ないっすよ」
「じゃあなんで生きてんの」
「さあ。うまいから、じゃないっすかね」
獣人の目が細くなった。
「証明してみろ」
「今日はもう疲れたんで明日でもいいっすか」
「……は?」
「悪いっすけど先に宿とりたくて」
「お前……」
「明日ギルドにいればそこで話しましょう。おやすみなさい」
背中を向けて歩き出した。
「待てよ!」
無視した。
「……交渉難航しています」
「うるさい」
鞄の中から、小さな間があった。
「……面白い人です」
(こいつ、今「面白い」って言ったか)
立ち止まりたい気持ちを抑えて、俺は宿屋の看板を探しながら歩き続けた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
今回の注目ポイントは一つだけ聞かせてください。
「……お疲れ様です」
ゲームのAIがこんなことを言いますか?
五年間、カイトと一緒にいたこいつは——一体何者なんでしょう。
その答えは、少しずつ明かしていきます。
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次話予告:
「証明してみろ」
でかい獣人との模擬戦。
スキルなしで、種族スキルフル活用の相手をどう倒すのか。
それでは第3話でお会いしましょう!




