第13話 元勇者と暗殺娘と聖剣少女の昼ご飯ー1
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緋宮硝子の同居が決まってから、わずか三十分。
……三十分? 嘘だろ。緋宮、お前はもしかして歩く厄災か何かなのか?
いや、起きてしまったことは変えられない。俺は沸き立つ感情を必死に抑え込み、キッチンの無残な惨状をもう一度見据えた。
「……これ、ひっくり返したのは誰だ?」
視線の先には、朝食の残りが入っていたはずの鍋が無残に転がり、スープが床一面に広がっている。俺がトイレに立ってから戻るまでの数分間で、一体何が起きたらこうなる。
俺たち三人は、その「事件現場」を包囲するように立ち尽くしていた。
「……怒らないから、正直に名乗り出なさい」
もちろん嘘だ。名乗り出た瞬間にボコボコにしてやる。
「「…………」」
サップちゃんと硝子は、気まずそうに揃ってうつむいている。……二人とも? なぜ両方がそんなに罪悪感に塗れた顔をしているんだ。
「……いいか、絶対に怒らないから。正直に言うんだ」
俺は「仏の悠里」を演じ、努めて優しく促してみた。もちろん、ボコボコにはするが。
「緋宮がやりました……」
「サップがやったわ……」
「なんなんだよお前らッ!!」
秒速で罪を擦り付け合うんじゃない。くそ、これはボコボコだけでは済まないぞ。
「……緋宮。本当はお前がやったんじゃないのか?」
「ち、違うわよ! 確かに、ちょっと躓いて鍋に体をぶつけちゃったけど、でも私一人のせいってわけじゃ……!」
うわあ、全部言っちゃったよこの人……。
一旦、緋宮を二階の空き部屋へ連行する。
「……今の、本当のことなのか?」
「いいえ。本当は全部サップがやりました」
「クソがッ!!」
思わず床を叩いた。これじゃあ振り出しだ。完璧なまでのいたちごっこである。
今度は硝子を解放し、入れ替わりでサップちゃんを連行した。
「……結局、現場で何があったんだ?」
「……全部、緋宮がやりました」
「本当のことを言え」
「…………二人でやりました」
「何がしたいんだよッ!!」
思わず床をドンドコと叩いてしまった。「二人でやりました」って、共謀してスープを床にぶちまけたのか? なぜだ、Why?
「ええとですね、私と緋宮、どちらが美味しいスープを作れるか対決することになりまして……」
前提からして理解不能だが、今は黙って聞くことにした。
「俺が席を外した、あの短時間でか?」
「それを含めての勝負です。加熱は私の魔力で行うことにしました。というか、私はまた温めるだけでよかったので」
「……いいよ、続けてくれ」
「それで、完成直前にマスターが戻ってきそうになりまして……。焦った私と緋宮は、お互いのスープを混ぜしまって、その……」
「……うん」
ここらへんからもう意味不明だが、とりあえず返事だけはしておく。律儀な男、蜜柑川悠里とは俺のこと。
「混ざるくらいなら消してしまおうと、二人で……」
「……なんで?」
事情を聴いても、余計に意味が分からなかった。幼稚園児でももう少しマシな隠蔽工作をするだろう。
「……申し訳ありません、マスター」
「それで、咄嗟に押し付け合いを始めたってわけか。あのなサップちゃん、喧嘩をするなとは言わない。でも、これから一緒に暮らすんだから、もう少し歩み寄れないか?」
諭すように言うと、サップちゃんはふいに顔を伏せた。
「……怖いんです」
「何が?」
「マスターを、あの女に取られるのが」
……ええ……。予想の斜め上の回答が返ってきた。
「サップちゃん、あのね。別に俺は緋宮のことを特別な恋愛対象として見てるわけじゃないよ。ほら、どっちかといえば家族みたいなもんだし」
完全にゼロかと言われれば、男として否定しきれない部分はあるが。ほら、緋宮、綺麗だし、胸はないけどボディライン綺麗だし。おっと、いかんいかん。
「『家族みたい』なんて、不純な関係を持つ人間がみんな吐くセリフです! この女たらしヤリ●ンマスター!」
「お、落ち着いて、サップちゃん!」
近所にこの怒声が漏れたら、俺の社会的な尊厳が死ぬ。平穏な暮らしももちろんパーだ。
「ほら、サップちゃんがいるのに、そんな不届きなことするわけないだろう?」
彼女の背中を擦りながらなだめる。するとサップちゃんは背中を震わせ、さらに声を張り上げた。
「『サップちゃんがいるのに』って、私がいなかったらするってことですか!? それに、私を子供扱いしないでください!」
支離滅裂だ。まずい。このままでは町内での俺の二つ名が「ヤリ●ンロリコンクソ野郎」になってしまう。
……と、さっきまで喚き散らしていたサップちゃんが、急に静かになった。
どうしたんだ、と顔を覗き込もうとすると、彼女は上目遣いでこちらを見つめてきた。
「マスターの初めての相手は、私……相棒である私であるべきなんです」
「……法律に触れるから、あと十年は待ち直してくれ」
なんと言えばいいのか分からなかったので、適当に返事をしておく。
「マスター、今の録音しましたからね」
「は?」
見ると、彼女の手にはボイスレコーダーがあった。どこに隠してたんだそんなの。
「十年経ったら、責任を取ってもらいますから。……ふふんっ♪」
さっきまでの激情はどこへやら。サップちゃんはスキップを刻み、上機嫌な鼻歌を歌いながら部屋を出ていった。
俺が深い溜息をついて項垂れていると、ドアの隙間からひょっこりと緋宮が顔を出した。
「お前も、サップちゃんと仲良くしてやってくれよな」
「大丈夫よ。私、子供の扱いは慣れているから」
……なら、あんな惨状にはならなかったはずなんだが。そもそもサップちゃん、一千歳を超えていたはずだよな。
「それに、あの子……見てる分には可愛いから」
「……お前が言うと、何かの犯罪に聞こえるな」
「失礼ね」
硝子も苦笑いを浮かべ、リビングへと降りていく。
一人残された俺は、ようやく部屋の空気と共に大きく息を吐き出した。
「さてと……昼飯、作り直さないとな」
新たな日常は、どうやら胃薬が手放せないものになりそうだった。




