50.煌びやかな世界の裏で
フィニアスに一階まで送られたエリーナは、彼が呼び付けた使用人と共に会場内に足を踏み入れていた。
会場内は王宮関係者の管轄とされており、邸から連れて来た個人の使用人は入ることを許されていない。そのため、彼女は会場付きの使用人の案内でマリエッタ達の元へと向かっていた。
(人がたくさん…上から見てた以上の活気だわ。)
姿勢よく歩きながらも、さりげなく会場に視線を向けるエリーナ。こんな大舞台で妹は役割を成し遂げたのかと、感慨深い気持ちが込み上げる。
デビュタントのお披露目ダンスが終わり、通常の舞踏会として各々パートナーとのダンスを楽しんでいた。
その周囲で、ワイングラスを片手に談笑する適齢期の男女や、挨拶回りをしている若い男性、気心知れた仲間達と話し込んでいるグループなど、それぞれの目的でこの場を活用している。
さすがは王家主催の舞踏会といった、格式高い賑やかさであった。
煌めくシャンデリアと壮大なオーケストラの楽曲と、見慣れぬ浮世離れした人々の豪奢な姿…濃厚な香水の香りや人の密集が放つ熱も相まって、エリーナの足元がふらつく。
「……ごめんなさいっ」
その瞬間、突如向けられた謝罪の言葉とともに、足元に冷たい感触が降ってきた。
それはじとりとストッキング越しに足の甲にへばりつき、エリーナの歩みを止める。
「お怪我はありませんこと?」
焦った様子で声をかけてきたのは、エリーナと同じ年頃に見える可愛らしい女性だった。パステルカラーのプリンセスラインのドレスを着ている。中身の少なくなったグラスを手にした彼女は、ひどく不安そうにエリーナの足元を確認していた。
(あのワインが私の足元に溢れたのね…赤ワインじゃなくて良かったわ。)
フィニアスに贈ってもらったドレスを思い、エリーナが息を吐いた。そして表情を整えて相手に向き直る。
「問題ありませんわ。」
軽く片足を引いて、ドレスの裾を持ちながら頭を下げた。
声を掛けてきた女性の身なりから、相手は伯爵家以上だと予想をし、丁寧な対応を取る。だが、エリーナの足元を見ていた相手が驚きで目を見開いた。
「まぁ!お足元がっ…本当に申し訳ありません。すぐに代わりを手配させていただきますので、どうかこちらへ。」
「とんでもないことですわ。こちらの不注意もありましたもの。どうかお気になさらーー」
「このままでは恥をかかせてしまいますわ。早く参りましょう!」
「あ、あのっ…」
否定するエリーナを無視して、強引に手首を掴んできた。
(これを断れば、今度はこの方に恥をかかせてしまうわよね…)
周囲の怪訝な視線が二人に集まる。
相手の方が家格が上と判断した上で、彼女の言う通りにすることを選んだ。何も言わず様子を窺っていた使用人に大丈夫よと視線を合わせて頷き、手を引かれるまま会場の外へと出て行った。
「本当にごめんなさい!せっかくの舞踏会を台無しにしてしまいましたわ…」
エリーナを中庭に連れ出してベンチに座らせると、令嬢が思い切り頭を下げた。こうしてみると、随分と年下に見える。
舞踏会のある日はこの中庭も逢瀬の場として重宝されるが、真冬の今夜は息が白くなるほど冷えるため誰もいない。
寒さを堪えたエリーナが淡く微笑む。
「私は大丈夫ですわ。」
少しでも相手の罪悪感を減らそうと、エリーナが務めて穏やかに微笑みかけた。令嬢の謝る姿があどけなく、マリエッタと重なって見えて親近感を覚える。
「そんな強がりはおやめくださいませ!ただでさえ、おひとりで肩身の狭い思いをされているのに…」
「え?」
相手の言葉に違和感を覚えた。
パッと目の前の令嬢を見るが、依然として泣きそうな顔で俯いている。そこに悪意は感じられない。
(いえ、私の考えすぎね…)
悪く捉えてしまったことに申し訳なさを感じ、また柔らかな微笑みを浮かべた。すると、令嬢がエリーナの前にしゃがんで彼女の靴に手を伸ばす。
「すぐに替えの靴を持ってきますわね。ここでお待ちになって。」
「まぁ、そんなことまでさせられませんわ。私のことは構わずーー」
「なるべく早く戻りますわ!」
そう言いながら令嬢は、無理やりエリーナの靴を脱がして手に持ち、足早に建物の中へと戻って行ってしまった。
「やってしまったわ…」
その令嬢がもう戻る気がないとエリーナが気付いたのは、彼女が消えてしばらく経ってからであった。
***
「エリーナがまだ来ていないだと?」
フィニアスの怒りに満ちた低い声が会場内に響く。
国王との話を最短で終わらせて駆け足で会場に戻ってきたフィニアス。すぐにシュヴァルツ達と合流したが、そこにエリーナがいないことを知り、彼の雰囲気が一変する。
「僕は王宮警備隊に伝えて来ます。ついでに出入り口の確認を。マリエッタはここにいて。」
「え、シュヴァルツ…?」
一瞬で全てを理解してそう言い残すと、シュヴァルツは人混みの中に消えて行った。
(ただの迷子ならいいけど…万が一これがフェルローズ公爵家に対する怨恨によるものだったらマリエッタも危険だ。早急に犯人を見つけ出してカタをつけなければ。)
頭の中で最悪を想定して、駆けるスピードが上がる。器用に人の間をすり抜けながら不審者がいないか目を配り、周辺警備をしている警備隊の元へと向かって行った。
急な事態についていけず、マリエッタは困惑したまま姉の身を案じていた。
(お姉様、どうか無事でいて…シュヴァルツお願いっ…)
どんなことでもそつなくこなす彼に、ありったけの願いを込める。シュヴァルツなら、へらへらとした笑顔ですぐにエリーナを連れてきてくれそうな安心感があった。
無意識に強く両手を組んで瞳を閉じるマリエッタ。そんな彼女にフィニアスが視線を向けた。




