45.マリエッタのしたいこと
定期的に確認していた図書室の貸し出し記録から、マリエッタのやろうとしていることに目星はついていた。だが、裏で情報を得たところで当人と向き合わなければ何も解決しない。
そう考えたシュヴァルツが今日、覚悟を決めてマリエッタの元を訪れていたのだ。
手にした本に目を向ける。
『文官試験 過去問題集』
事前情報通りのタイトルであった。
「王宮で働きたいの?」
自分でも驚くほど低い声だった。
しまったと思いながらも、責めたくなる気持ちを抑えられない。
「僕から逃げたいってこと?」
口に出した瞬間後悔したが、もう遅い。
部屋の空気がどんよりと重くなり、自分のせいだというのに息苦しい。顔を見ずともマリエッタの悲しみが伝わってくる。
(こんな顔させたかったわけじゃないのに…)
自分の大人げなさに怒りが込み上げてきた。何より大切にしたいと思っている相手に、余裕を持って振る舞えない己の矮小さに絶望する。
もうこれ以上傷付けないように、今日は帰ろうとしたその時、椅子から立ち上がったマリエッタが彼の腕にしがみついてきた。
「そういうわけじゃ…私はただ自分の足で立ちたいの。」
「……それはマリエッタに僕が必要ないってこと?」
目を伏せたまま、シュヴァルツが突き放すように低い声で言い返す。反応が怖くて、マリエッタの顔を見ることが出来ない。
「違うって!私はお姉様のためになりたくてここまで来たのに、結局お姉様の厄介になってる。施しを受けて、大人になったら結婚してさよなら?そんなのあんまりだよ。私は自分の足で人生を歩いていない…」
本音を吐露したマリエッタが、しがみついたシュヴァルツの腕に額を押し付ける。
「勉強して職を得て、自分で稼いだお金で生きるって当たり前のことをしたいの。何も出来ないなんて思いたくない…」
「でも王宮で働くなら宿舎でしょ?これまでのように会えなくなる。」
「だからシュヴァルツにお願いがあるの。あのね…」
回した腕に力を込めて、マリエッタがシュヴァルツの顔を見上げた。丸みを帯びたエメラルドグリーンの瞳に強い意志が宿る。
「私と一緒に暮らして欲しいの!」
「………は」
「ごめん…やっぱり嫌だったよね。こんな我儘に付き合わされるなんて…」
「いや、ちょっと待って…話が見えないんだけど。一緒に暮らすってどういう意味?」
「意味?ええと、王宮近くに自分の住居がある人は宿舎住まいを免除されるって。規定では公爵邸の居候じゃダメで…でも一人で家を借りるのは成人しないと出来ないから、シュヴァルツと住めたらいいなって…宿舎に入ったらお姉様とも頻繁に会えなくなっちゃうし…」
「ちょっと何これ…」
脱力したシュヴァルツがしゃがみ込んだ。
心配したマリエッタも同じようにしゃがんで彼の顔を覗き込む。
「シュヴァルツ…?」
「マリエッタが僕のことを殺しにきてる…」
「はあああ!!?そんなことするわけないでしょ!第一貴方の方が強……んぎゃっ」
シュヴァルツに強く抱きしめられ最後まで言えなかった。ぎゅっと彼の腕の中に閉じ込められる。
「僕との結婚が嫌になって、一人で生きていくために働き口を探しているのかと思った。」
軽口が一転、泣きそうな声でぽつりと言葉が落ちて来た。それは初めて聞く、自信のない声だった。
「だからそういうのじゃなくて…」
「うん。早く僕と一緒に住みたいってことだったんだね。勝手に早とちりしてごめん。マリエッタの気持ちがすごくすごく嬉しい。」
「え、別に私はただ働くために協力して欲しいってだけであって…」
「よし。じゃあデビュタントが終わったら王都に邸を買おうっか。そこに二人で住もう。」
シュヴァルツが綺麗にマリエッタの戸惑いを無視して、明るい声で言う。
「買う…?は?私にはまだそんなお金は…ひとまず冬の試験を受けて、それから働いてお給金を貯めてーー」
「大丈夫。邸の一つや二つ購入しても余裕あるくらい蓄えはあるから。好きな人に苦労なんてさせるつもりないよ。マリエッタは自分のことだけを考えて。僕をそばに置いてくれたら十分だからさ。」
むぐぐとマリエッタが返す言葉に困っている。有難い申し出だったが、これでは自立に遠い。彼の優しさと己のプライドの狭間で揺れる。
「じゃあさ、お金が貯まったらその時に何か美味しいものでもご馳走してよ。」
「もちろんいいけど、そんなんじゃ割に合わないよ。シュヴァルツの負担が大きすぎるもん。」
「いいの。僕はお嫁さんに尽くしたいタイプだからね。」
「…ひゃあっ!」
ウインクを飛ばしたシュヴァルツが、その流れでマリエッタの額に口付けを落とした。
(い、いいい、いまのって……………!!!)
シュヴァルツの腕の中、目を見開いたマリエッタが両手で額を抑える。されたことを理解して、顔に熱が集まってきた。
「しゅ、シュヴァルツ………!」
「ちょっとストップ。それ以上そんな顔で僕のことを見つめないで。今理性と戦ってるから。ね?」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
急激に恥ずかしくなり抗議の視線を向けたが、頭を包み込まれるようにして抱きしめられてしまった。
「ほんと可愛すぎて困るんだけど。」
「…………っ」
耳元に甘やかな独り言を囁かれ、マリエッタの心臓が飛び跳ねる。
(ほんとにもう、なんなのこの男はっ………!!)
とてもじゃないが、こんな状態で見上げることなど出来るわけがない。不本意ながらも、しばらくの間彼の腕の中に大人しく収まっていたのだった。




