第11話 向き合うこと
今回、音弥視点です。
「お、奇遇だね」
コンビニを出たところでかけられた気の抜けた声に、音弥はチッと舌打ちをした。ズボンに両手を突っ込み、声を無視するように歩き始める。
この辺りは角を曲がればコンビニがある。通りの向こうの別のコンビニに寄ってきたのだろう怜は、右手に持ったアメリカンドッグを食べながらこちらに近付いてきた。
「昼間からお酒なんて感心しないねえ。仕事は終わったの?」
「お前に言われたくねえな。仮にも社長だろうが。ほっつき歩いてねえで働けよ」
下げた袋の中を見ながら言われた言葉に、ふんっと悪態をつく。だが、「言うねえ〜」と笑う怜はどこ吹く風だ。
アメリカンドッグを食べ終えて、ぶら下げたレジ袋の中に無造作にその串を突っ込むと、怜は代わりに、今度はチョコレートがたっぷりついたビスケットを取り出した。
アメリカンドッグを食べたあとに、それ。こいつの胃袋はどうなってんだ。
それを横目に見て、音弥は低く尋ねる。
「お前、何考えてやがる」
「何って、何のこと?」
ビスケットを咀嚼しながらの言葉だ。とぼけたように言うところがまた癇に障る。
わざとらしいその笑顔も、いい加減引っ込めろと言いたくなる。
「あの、おかしな依頼のことだよ」
「おかしな依頼? ―――ああ、奈菜子ちゃんのことか。別におかしくも何ともないと思うけど。それより、いい加減折れてあげたら? あんなに後輩が頼み込んでるんだからさ」
怜が言うのは、あの新入りのことだ。
それまでは承服しかねているように見えていたのに、急に火が付いたようにやる気を出して、ここに来る前も「奈菜子の演奏を聴きに行け(花を渡せ)」と詰め寄られたところだった。
しかし、その姿はまるで、向かいたくない何かから目を逸らすために、別の何かに意識を向けているだけのようにも見えた。
別に興味はないが、それには恐らくこいつが関わっているのだろう。
「後輩のためにもさ、応えてあげなよ」
「見込みのねえ依頼を引き受けておいて、よく言うぜ」
「おっと、それは違うな。俺はそんな無駄なことはしないよ。叶えられると思ったから、引き受けたんだ。「音弥の花」の依頼をね」
相変わらず気持ち悪い笑顔を浮かべたまま、怜が軽く首を傾ける。
こいつは、またいけしゃあしゃあと、ぬかしやがる。
「―――てめえ、マジでふざけんのも大概にしろよ」
そこら辺の人間が聞けば、十分に相手を震え上がらせることができる程の脅しであるはずだ。だが、怜は涼しい顔をしたまま……どころか、どこか呆れたように息をついて言った。
「ふざけてるのは音弥だよ。何も分かってないな」
「何だと?」
向かい合って立てば、怜の方が少しばかり目線が上になる。斜めに見下される形になる怜の目を、音弥は思いきり睨み上げた。
そんなものに相手が堪えるタチでないことは分かっているが、やはりそうしてしまう。
案の定、怜は軽く目を細めただけで、それ以上の反応を示さなかった。
「奈菜子ちゃんの腕前は音弥だって知ってるでしょ。あれは多分、今回のコンクール優勝するよ。そうなったら留学になるの、知ってるだろ。その最後のお願いくらい、ちゃんと応えてあげるべきだ」
「最後のお願い?」
「また、とぼけちゃって。奈菜子ちゃんの気持ちにちゃんと応えてあげたら、て話だよ。別に、受け入れろってことじゃなくてね。音弥だって、奈菜子ちゃんのことは大事に思ってるでしょ? それが妹に対するみたいなものだったとしてもね」
言ったあと、怜は珍しく真顔になってこちらを見つめた。
「もう十分、逃げて生きてきただろ。そろそろ、目を背けて生きるのはやめたら?」
「……何だと?」
「もういい加減、過去に向き合う勇気くらいできたでしょ、て言ってるんだよ。奈菜子ちゃんから逃げるのは、そこから逃げるのと同じだよ」
ぐ……っと、握りしめた手のひらに爪が食い込んだ。奥歯がぎりっと鳴るが、出るのは苛立ち紛れの舌打ちだけだ。
「お前にとやかく言われる筋合いはねえ。第一、人のこと言えんのかよ。お前だって―――」
言おうとした音弥に、「悪いけど」と静かな声が返ってきた。
「俺は逃げてないよ。それこそ、音弥に言われる筋合いは無い」
答えた怜の瞳はまっすぐだ。
それは以前、なぜここにいるのか、と逆に聞いてきた時の誰かの瞳に似ていた。
初めからおかしいと思っていたのだ。
逃げてないと言うこいつのそれは、あの新入りのことだろうか。
だが、思ったことは口にできないまま消えていく。
怜は軽く息をつき、再び音弥を見た。
「依頼はもう引き受けた。引き受けた以上、花屋は絶対に依頼の花を手配する。それが分かっていて、奈菜子ちゃんがわざわざうちにこんな依頼をしてきた理由を、もっとちゃんと考えた方がいい」
ついでに、この依頼を何とかしようとしてる後輩のためにもね。
そう付け加えたあと、「今日はやることもないし、このまま帰るか」と言って、怜はそのまま、またどこかへふらりと行ってしまった。
本当に本気ならこんな依頼してねえだろ、と吐き出した声は、誰かに届く前に風に流れていった。
それぞれにままならないものを抱えたまま、次回コンクール当日です。




