第10話 告白
「うん?」
揚げたてのから揚げを摘まみながら、怜が顔を上げる。程よく油の乗った衣にサクッと歯が入る音が聞こえた。
「それはね、この前も言ったけど、一葉くんならできると思ってるからだよ」
何を根拠に。
思うが、それは言葉にはならない。
「それに、どんな依頼にも適材適所があるからね」
から揚げを飲み下すと、怜はビールを煽った。ジョッキの中身が一気に半分以下になる。
「まあ、大丈夫だよ。なんだかんだ言って、音弥は花屋の仕事を理解してるからね。あれで意外と、周りを大事にする性格でもあるし。音弥が奈菜子ちゃんを邪険に扱うのは、別に面倒くさがってるからとかじゃないんだ。一葉くんに対してもね。本当は心配してるのに、ただ下手くそなだけなんだよ。だから、大丈夫」
そう言われるが、何が大丈夫なのか分からない。どうすれば奈菜子の依頼を果たすことができるのか、考えても分からないのが現状なのに。
「一葉くんって、今年ハタチだよね」
そこで、ふいに怜は話題を変えた。
ウーロン茶のグラスに伝う水滴をなぞりながら、一葉は「そうですね」と答える。
「誕生日、いつだっけ」
「一ヶ月後の六月三十日です。戸籍上は」
「戸籍上?」
「俺、小さい頃に施設に預けられて、本当の誕生日とか知らないんです」
グラスに目をやったまま答える。
自分で思っても、声はかなり平坦なものになったと思う。
グラスの水滴が、使い古されたテーブルの上に滑り落ちて溜まっていく。
「へえ、そうなんだ」
頷く怜の表情は相変わらずだ。普通に世間話をしているのと何ら変わらない。ビールを口に運んでメニューを開き、次の料理を選び始めてさえいる。
後悔しない方を選びなさい―――。
迷っていると言った言葉に返してもらったものが、耳の奥に木霊した。
「―――あの、怜さんって、もしかして前から俺のこと知ってました?」
「うん?」
ページを捲る手を止めて、怜がこちらを見た。何も気負ってない、いつも通りの目だ。
「それは、年末にあの店で見かける前ってことかな?」
「はい、もっと昔の―――俺が覚えていないくらい、ずっと前のことです」
怜の目は静かだった。その目を見ながら、一葉はズボンのポケットから紙片を取り出す。
古い紙切れだ。
元は白だったのだろうが、今では黄ばんでよれている。呑み屋の明かりの元では、それが余計に強く感じられた。
それを広げて、そこに書かれているものを怜に見せる。
「―――これ、怜さんですよね」
そこにある名前を指差して言う。
黄ばんだ紙の中央には、名前が書かれていた。
氷月怜―――
まだ漢字を覚えたてのような、小学校二、三年生くらいの子どもの字だ。
「施設の園庭にイチョウの木があって、前に移し替えを行ったことがあったんです。その時に出てきた箱に入っていました。これ、怜さんが書いたものですよね? ―――こっちの、俺の名前も」
氷月怜、と書かれたものの下には、並ぶようにもう一つの名前が書かれている。
かずは―――
字体は同じだ。
「怜さん、もしかして、俺が施設に預けられた時、一緒にいたんですか?」
園長先生にもらった、古く錆びついたクッキー缶。多分、お兄さんが埋めたものだろうと言っていた。どうするかは中身を見てから決めなさい、とも。
今さら、かつての家族との繋がりを新たに示されても、どうとも思わない。あの日、安アパートに帰って、特に感慨に浸るでもなく、さっさとフタを開けた。
中に入っていたのは小さな子どもが好きそうなものばかりで、ほとんどがガラクタと呼べるようなものばかりだった。
ビー玉や木の枝、手のひらサイズの石がごろごろと入っていた他には、本が一冊と、子ども用のキャップ。
本はその年頃の男の子が好きそうな冒険小説で、キャップはどこかの何かのチームのロゴが入った量産品のようだった。
そこに、子どもの字で名前の書かれた紙が入っていたのだ。
氷月怜と、かずは。
そんな紙片がある。
それを知ってからもう何日も経っている。
どう扱えばいいのか分からないそれを、ここ数日ずっと持て余していた。
かつての家族との繋がりなど、何の感慨も無い。中身を見ても、そのことは変わらない。
だが、その中身が現在の生活に関わるとなれば、話は別だ。
怖い、と思った。―――そう、怖かったのだ。
何かが百八十度変わりそうなことが。
そんな風に思うなんて自分らしくない。でも。
怜と、一葉。
そのことが指す事実は何だ。
「ああ、これか」
名前の書かれた紙片を見て、怜はふっと口元を緩ませた。
「名乗っても反応無しだから、多分知らないんだろうとは思ってたけど」
テーブルの上にあった紙を指先で摘まむように持ち上げて、眺めながら言う。取るに足らない、とても些細なことを話すような、そんな口調だった。
「あの頃、一葉くんはまだ三歳だったからね。俺のことを覚えてなくても当然だよ。それにしても、やっと一葉くんに渡ったか。確か、これを掘り起こすように言ったのは何年も前だった気がするんだけどな」
何を―――。
さらっと言われるにしてはあまりにも違和感しかない言葉が、耳に響く。
怜は話しながらぐいっと飲み干したビールのジョッキを軽くあげて「大将、」と声をかけた。
「ビール、もう二杯ちょうだい」
はいよ、とカウンターの向こうから返事が聞こえる。
怜がこちらに顔を戻した。
「もう一つ、俺が知ってて一葉くんが忘れてること、教えてあげようか」
「―――え?」
手にしていた紙片を一葉に戻しながら、笑う。
「一葉くんの誕生日ね、今日だよ。あ、本当の方ね」
出されたビールを、自分と一葉の前に置く。そして、並々と注がれたビールのジョッキを軽く掲げて、怜は言った。
「ハタチ、おめでとう」
怜の言葉が、聞こえたそばから右から左に流れていく。確かに耳には入っているはずなのに、頭の中でその意味をなすのに時間がかかる。
この人は、何を言っている。
それを知っているのは、なぜだ。
そのことに気付いてるのかいないのか、怜は人懐っこく笑ったままジョッキを傾けた。




