第7話 忠告と、騒ぎ
菫がパーテーションの向こうに入ると、ちょうど怜がコーヒーを注いでいるところだった。先程脇に挟まれていた新聞が、そのままゴミ箱に突っ込まれている。
あらら、これはまた万年青さんか一葉くんが分別し直すことになりそうね。
資源ごみであるはずの新聞が燃えるゴミの中に突っ込まれているのを見て、菫はそんなことを思った。だが、そう思うだけで自らが入れ直そうとは思わない。
万年青はもちろん、何気に真面目な一葉はそうするだろうが、菫も一部くらいなら新聞は燃えるゴミでいいんじゃないかと思っている口である。
どうせ紙だ。燃えることに違いはない。
「ああ、菫ちゃん」
コーヒーを注いでいた怜が振り返って笑う。その顔はいつも通りの余裕あるものだ。
「シャチョー、何考えてんの?」
注ぎ終わったコーヒーを元の場所に戻す怜に、菫は腕を組みながら尋ねた。
奈菜子の依頼のことだ。
花屋への依頼料は決して安いものではない。あんな女子高生の、しかも、あの音弥からの花を所望する依頼なんて、通常なら断っているだろうと思う。
「何って、何が?」
この男は、また。
菫はため息をつきながら言った。
「奈菜子ちゃんの依頼のことよ。どういうつもり?」
「どういうつもりも何も、依頼があったから引き受けた、それだけだよ。菫ちゃんが何を言いたいかは分かるけど、一度考え直した方がいいとは言ってあるし、その上での依頼だからね。高校生だからって、そういう判断ができないわけじゃないでしょ」
「そうかもしれないけど、じゃあ一葉くんは? 「音弥の花」よ? 一葉くんに何とかできるもんなの?」
「それは、まあ大丈夫じゃない?」
言って、砂糖を混ぜていたマドラーをゴミ箱に放る。また、燃えるゴミの場所だ。
これをいちいち分別しているのかと思うと、あの二人も大変だ。
「ああ見えて結構後輩思いだから、音弥は」
怜は軽い調子で言って、「お先」と、手をひらひらさせながら行ってしまった。どうしてか出てしまうため息をついて、菫はコーヒーを注ぐ。
自席に戻ったところで、入口のドアが開いた。音弥だ。
「ああ、くそ。やっと終わった。こんな仕事もう二度とやらねえ」
そんなことを言いながら、自席にどかっと座り、背もたれを思いきり倒す。耐えかねたようにイスがミシ……ッと悲鳴をあげるが、それも無視だ。その姿勢のまま、デスクの上に足をあげて組み始める。
「あんた、それやめなさいよ。行儀悪いわね」
「うるせえ。くそみたいな依頼がやっと終わったんだ。好きにさせろ」
まったく……、奈菜子ちゃんも、こんなやつのどこがいいのかしらね。
理解に苦しみながら、それでも一応忠告だけはしておいてやることにした。
「覚悟しておいた方がいいわよ、あんた」
「はあ? 何の話だ」
眉間に深いシワを刻んで、音弥が胡乱に見上げてきた。だが、姿勢はやっぱりそのままだ。
はあ、と呆れてしまいながら、菫は自席のイスを引いた。
◇ ◇ ◇
任せたよ、と言われても。
手元でガサリ……、と花のラッピングが音を立てる。
薄い色の花ばかりを集めた小さな花束だ。オレンジのリボンがそれを一つにまとめている。
解決しなければならない新たな問題が生じても、毎週水曜のこの時間は必ずやってくる。それが引き受けた仕事である以上、きちんと果たさなければならない。
相変わらず消毒のニオイが満ちる中を、一葉は目的の病室に歩いた。
ここに来るのも何度目かになる。奥底に暗いものがくすぶっていようと、進む足は変わらない。だが。
出てくるため息を、消すことはできない。
依頼の話が出た時、困惑に眉を寄せると、「一葉くんにはできるはずだ」と、そんなことも言われた。
しかし、それが例えば信頼を表すような言葉だったとしても、今の状況を考えれば、悪い冗談にしか聞こえない。怜に対する最近の自分の態度を考えると、あてつけで言っているのかとさえ思えてくる。
もちろん、怜にそんな気が無いことは分かっている。一葉の態度に気付いていても何も言ってこないのは、怜にとってはそれが特に気にする程のことではないからだ。だからこそ、余計に分からなくなる。
俺は一体、何を気にしているんだ。
どんな答えが返ってこようと、それに左右される自分ではないはずなのに。
目的の病室のドアの前で一度足を止め、軽く息を吐いた。が、スライド式のドアに手を伸ばそうと再び足を踏み出した時、ガシャン! と何かが割れて砕ける激しい音が中から届いた。
「出てって! 私に何する気よ! 誰か! 誰かー!! 助けてー!!」
そんな叫びとともに何かが投げつけられたドアが、勢いよく開く。飛んでくるものから逃げるように走り出てきたのは、このお見舞いで何度か見かけている女性―――コンクールのポスターで今ではその名前も知っている、枳殻夫妻の奥さんだった。
目が合った瞬間、あ……、とその顔が動く。だが、大丈夫ですか、と声をかける暇もない。
後ろからは、手あたり次第に投げられた物が次々と飛んでくる。
床には、壁やドアに当たって落ちたそれらが無残に転がっている。その中に、割れた椿の花瓶の破片が散っているのも見える。
ナースステーションの方から何人かがバタバタと走ってくる音が聞こえた。すぐに看護師や医師が入って来て、中で暴れている吉野さんを落ち着かせにかかる。
そうして、完全に静かになるまで、その騒ぎはしばらく続いた。




