第9話 卒業の花
会場を彩る大量の花を見つめて、「俺が言うのもなんだが―――、」と作業を終えた繁之が呟いた。
「引く程に、花だらけだな」
天気は雲一つない快晴。気温はようやく二桁が安定して出るようになったところだ。
風は少し冷たいが、それでも曇りのない春の陽に当たれば寒さなどほとんど感じない。
絶好の卒業式日和というやつである。
通常、卒業式の花といえば、入口に添えてある程度だと思うが、驚台北高校の体育館は今、四方八方が色とりどりの花で埋め尽くされていた。
それは、「卒業式」という看板が無ければ、どこかの花の品評会かと勘違いしてしまいそうな程だ。
納品を終えたそれらを、怜と繁之と、一緒に来ていた菫と、並んで眺める。
「一介の高校教師が、よくこれだけの金を出せたもんだ」
言いながら、繁之は怜に領収書を渡した。
記載された金額を確認して、怜はその領収書を無造作に上着のポケットに入れる。
「それだけ叶えたかったってことでしょ。ま、実際のところは、思ってたより見返りが安く済んだってだけなんだけどね」
「ああ、そういうこと」
片腕を組む菫に、一葉は首を傾げる。それを見ていた怜が、「お願いを聞いてもらう代わりの見返りが、口止め料で相殺できた、てことだよ」と口元に指を一つ立てた。
「口ではああ言ってたけど、やっぱ公にされるのは困るんだろうね。大企業の会長がお金で生徒たちに学校をサボらせてたなんて世間に知れたら、外聞が悪いもんね」
脅したかいがあったよ、と楽しそうに笑う。
「しかも、「やはり卒業式は学校でするべきだ。工事は一時中断するから、生徒たちのためにも一生の思い出に残るような式を開いてやれ」と、学校側にそんな働きかけまでしてくれて。おかげで、こっちの残りの仕事もかなり楽になった。だから、本来はかかりそうだったコストが抑えられた分、これはうちからのサービス」
「サービスだあ? お前がそんな人間らしいことをするなんざ、随分珍しい話だな」
片眉を跳ね上げる繁之に「失礼なこと言うやつだな」と怜は目を眇めた。
「俺にだって、人並みの良心くらいはあるよ。―――でもまあ、それを抜きにしても、俺、結構好きなんだよね、卒業式って」
「ああ? 何だそりゃあ。んなこと初めて聞いたぞ」
「そりゃそうだ。だって初めて言ったもん」
「シャチョーが卒業式を好きなのは、そのあとの謝恩会とかでご馳走にありつけるからでしょ。ねえ?」
「俺もそう思います」
隣で言う菫に、素直に頷く。それを見て、「あ、一葉くんまで」と怜は口をへの字に曲げた。
「皆してひどいな。俺のこと何だと思ってんの」
そんなことを話していると、向こうの方が少しずつ賑やかになってきた。
「ああ、終わったみたいだね」
卒業式が終了し、会場である体育館からは卒業生やその保護者が出てくる。
その中に、卒業式を前に取り壊しが進められる要因をつくった不良たちも混じっているのを見て、「うんうん、やっぱり卒業式は出ないとね」と怜はしきりに頷いている。
一体どうやったのか、卒業式にはしっかり、不良と呼ばれた生徒たち全員が出席していた。それは、先生の依頼通りの状況だ。
こちらに気付いたその依頼主が、離れたところから目礼を寄越すのが見えた。それに、怜は軽く笑うだけで返す。
先生は、最後に体育館から満足そうな顔で出てきた年配の男性に駆け寄っていった。
グラウンドの様子を眺めながら互いに笑顔で語り合っているところを見ると、あれが最後の卒業式を贈りたいと言っていた、恩師だという校長なのかもしれない。
無事に卒業式を終えた人々は、なんだかんだ嬉しそうに笑っている。
グラウンドに集まる家族たち。親と子。
一葉はそれをただ眺めた。
◇ ◇ ◇
あれが、「叔母さん」ね。
花で彩られた卒業式の真ん中で、「不良」と呼ばれた生徒たちに近付く女性に、菫は目を向けた。
女性は、菫が石神コーポレーションで見た四人の、その中でもリーダーのような一人を何度も小突いている。
前に一度、駅前のカフェで怜といるのを見かけたことがある、ゆるふわヘアの女性だ。
「イキがっていた」のが嘘のように、彼女の前では皆一様に縮こまっているのが、離れたここからでも分かる。
「怜さんは、どうやって彼らを卒業式に出席させたんでしょう」
隣で卒業式を眺めていた一葉が不思議そうに言った。
それに、さあ、と肩をすくめてから、菫はだが、「確かなことは分からないけど、」と続ける。
「シャチョーは多分、今回の依頼で一番効果的な一手を最初から知ってたんでしょうね」
確認しようにも、肝心の怜はどこに行ったのか先程から姿が見えなくなっている。
フラワーショップ山田の繁之も、既に引き上げたあとだ。
もしかして、あの彼女から隠れるためかしら。
卒業の花、という依頼に応えるために不良たちを全員卒業式に出席させるには、中心になっているグループを押さえればいい。そして、それには彼らの弱点を突くのが一番早い。
怜は、張り込みで一葉が聞きつけたその弱点を突いたのだろう。
恐らく怜が彼女とカフェにいたのはそういう算段があってのことで、婚活イベントに行けば彼女と知り合えると予め知っていたに違いない。
だが、怜が婚活に興味を持ち始めたのは、先生が花を依頼するずっと前だったはずだ。
まさか、初めからこうするつもりだったわけじゃないわよね……。
疑いつつも、完全には否定しきれない。怜ならやりかねないと思っているからだ。
つくづく、敵には回したくないタイプよね、うちのシャチョーは。
会長も、ある意味では関わりたくない相手だ。クマがまたしゃべるようになったことを宙は喜んでいたが、菫には素直に喜べない複雑な心境があった。
できれば宙には、こんな世界とは一切関わりのない人生を歩いてほしい。
「―――なんで怜さんはこんな仕事をしてるんでしょうか」
隣でそう呟いた少年に、考えても仕方が無いことを考えるのが好きねえ、と菫は思った。
そんなもの、自分だって知らない。
だが、これだけは言っておく。
「花ってものが、人のシアワセに結びついてるからじゃないかしらねえ」
「―――え?」
首を傾げて聞き返してくる一葉に目を細めて、「ああ、そういえば―――」と菫はカバンを探った。
「これ、かずお兄ちゃんに、て宙が」
出したのは、宙が作った赤い折り紙の花だ。
「ちょっと不格好なのはご愛敬ってことで、もらってやって。喜ぶから」
「いいんですか?」
「いいも何も、かずお兄ちゃんにって宙が言うんだから、もらってくれないと逆に私が怒られちゃうじゃない」
「―――じゃあ、ありがとうございます」
初めから普通に受け取ればいいのに、そういう確認がわざわざ入るのはなぜだろう。
―――この子が抱えてることに、何か関係があったりするのかしら。
ちらとそんなことを思ったが、菫はそれ以上考えることはしなかった。




