第7話 ホイホイ作戦の結果
「ああ、ごめんね」
あくまで軽い調子で謝る怜に、ぷいっと顔を背けた奈菜子は、話は終わりというようにそのままデスクの方に向かった。
向かった先は、やはり音弥のところだ。
「何者なんですか、彼女」
それを見ながら尋ねた一葉に、「ああ、そうか」と怜は顔を上げた。
「一葉くんは、奈菜子ちゃんとまともに会うのは初めてなんだもんね。彼女、奈菜子ちゃんって言ってね、どこで知り合ったのかは知らないけど、時々ああして音弥を訪ねて来てくれるんだ」
怜が、言いながら奈菜子の方に目を向ける。
「あんなツンツンした顔して、音楽の天才なのよね」
「音楽の天才?」
腰かけた膝の上に頬杖をつきながら、菫も奈菜子を眺めている。
「驚台の音大の付属高校に通ってる子で、音楽のエリートなのよ。コンクールに出場すれば総ナメの腕前の持ち主で、将来有望なピアニスト」
音楽のエリート。ピアニスト。
今見ている姿からは想像できない。
一葉が何を思ったのか察したように、はは、と笑って、怜は「ちなみに」と付け加えた。
「家は都内有数の一等地にあって、超お金持ち。そんなお嬢様なのに、音弥を追いかけてこんなところまで来るなんて、すごいバイタリティだよね。でも、なかなか心を開いてくれないんだよな」
「見た目からして胡散臭いもんね、シャチョーは」
「え、どの辺りが?」
「それ本気で聞いてる?」
目を眇めた菫に対し、怜は「ひどいな、菫ちゃん」と唇を尖らせている。
「―――だから、なんで俺がそんなとこに行く必要があんだよ!」
「言ってるでしょ、演奏を聴いてほしいからよ」
「そんなもん、勝手に弾いてろよ。この前も言ったけどな、俺は行かねえぞ」
デスクの方から言い合いが聞こえてくる。それを見て「あ~あ、」と呆れたように怜が苦笑いを浮かべた。
こちらが聞いているのに気付いたのか、音弥は舌打ちをし、「とにかく!」と言って立ち上がった。
「俺はお前の演奏なんて興味ねえ。そういうもんに俺を巻き込むな。さっさと帰れ」
突き放すように言って、奈菜子に背を向ける。音弥はそのままパーテーションの向こうに引っ込んでしまった。
「なにも、追い返すことないのに」
摺りガラスの向こうに遠ざかる影を見送って、怜が苦笑する。
「うるせえな。そもそもなんであいつをここに入れんだよ。来た時点で追い返せよ」
「わざわざ訪ねてきてくれる相手にひどい言いようだな」
「別に頼んでねえ」
眉間のシワを深くして不機嫌そうに言う音弥は、そのままふいとそっぽを向く。それに、「素直じゃないなあ、音弥も」と再び苦笑してから、怜は一葉にソファに座るように言い、菫に続きを促した。
「それで、どんな感じ?」
言ったところで、ドアがノックされる。やってきたのはデリバリーのようだ。
受け取った万年青が「ごゆっくり」と言って、怜の前にそれを置いていく。ありがとうございます、と答えた怜が顔を戻すのを待って、菫は口を開いた。
「呼び出す方の作戦だけど、いい感じで見張りがついたわ。昨日ここに連れてきたから、そのうち連絡が来ると思う」
「あ、ゴキブリホイホイ作戦ね」
作戦名をわざわざ言い直しながら、怜は届いたデリバリーの箱を開けて中身を頬張り始める。
「きっちり一週間で終われるなんて、さすが菫ちゃんだね。ありがとう」
が、怜の正面に座っている菫は、それに言葉を返すことはせず、代わりに、まっすぐな眉を変なものを見るようにしかめた。
「……ていうか、それ何? 食べ物なの?」
「何言ってんの、菫ちゃん。食べ物じゃなかったら食べてないよ。そんなこと言ったらばくだんサンドに失礼だよ」
言いながら、怜はスプーンで大きく掬った餡子の部分を口に運んでいる。
あそこの店はこんなデリバリーも行っているらしい。怜が食べているのは、先日喫茶店で食べていたのと同じものだ。
―――いや、今口に入ったのは納豆か。よく見ると、この前とは微妙にサンドの中身が違う。
元が狭い事務所だ。花屋の中は今、ばくだんサンドのニオイが充満している。
端の方でさり気なく万年青が換気のために窓を開けてくれたことに、怜本人は多分気付いていない。
「ばくだんサンドに失礼って……。それ本気で言ってんの?」
「あ、またそんなこと言って。ばくだんサンドを食べられなくなって泣くことになっても知らないよ。ばくだんサンドを笑う者は、ばくだんサンドに泣くってね」
「そんなもの食べないから大丈夫よ」
菫は鼻を摘まみながら、「ああ、そんなことより、」と話を戻した。
「会長の話だけど、ちょっと気になること聞いちゃって」
「うん?」
「あそこの会長、見るからに不良な高校生たちに毎月お金を渡してるらしいわ。「お小遣い」って話だけど。なんだか気になる話じゃない?」
ばくだんサンドを頬張っていた怜の瞳が、それを聞いてきらりと光る。
「―――もしかして、それが北高の生徒ってことかな」
「もちろん、顔もバッチリ確認済みよ」
にやりと頷いた菫に、「ふっ、上々」と怜は笑った。
「さすが菫ちゃん、いい仕事してくれるね。それじゃあ、この中の誰がその生徒かな」
怜は懐から折りたたんだ紙を取り出すと、菫の前に広げた。先日、驚台北高校の先生が怜に渡していった生徒の写真名簿だ。
「この子とこの子と、あとこの子と、多分この子かな」
その中から、マーカーで色付けされた何人かを菫が示す。
もはや怜は、ばくだんサンドを口に運んでいない。足を組み、スプーンを置いた腕を組んで、「やっぱりねえ」としきりに頷いている。
「他のサボってるやつらは、多分この四人に追従してるだけだ。てことはつまり、彼らを押さえれば卒業生出席の方もまるっと解決できるってことなんだけど、」
そこで、ふいに怜がこちらを向く。
「一葉くん、張り込みしてて何か見たり聞いたりしなかった?」
聞かれて、答えに困る。一週間続けたが、こちらはこれと言って特に有益な情報は得られなかったからだ。
それを言うと、怜は「そうか」と考えるように黙ってしまった。
「……あ、でも一つだけ、役に立つか分かりませんけど、さっき菫さんが指した生徒の一人には叔母さんがいるみたいです」
確か、サボっていることが叔母さんにバレそうになって危なかった、と話していた連中がいた。それが、ちょうど今菫が示した生徒たちだ。
その時の彼らは本気で慌てており、その叔母に知られることを本気で恐れているようだった。彼らにとってその叔母は、相当な鬼門のようだ。
一葉がそれを話すと、怜は一瞬のち、にやり―――と音が聞こえそうな程、はっきりと口角をあげた。
「ははあ、なるほどねえ~。やっぱりね、そうだと思ってたんだよなあ」
取り上げた名簿を眺めながら、ピン、とその生徒の顔写真の辺りを指の背で弾く。何が「やっぱり」なのかは分からないが、その顔はかなり楽しそうだ。
「うん、でも、これで材料は揃ったな。これでいつ連絡が来てもいけそうだよ」
怜がそう言ったところで、電話の着信音が鳴った。
「おっと、来た来た。噂をすれば、だね」
ホイホイ作戦が成功したらしい。「はい、もしもし―――」と怜が出る。
「―――ああ、すみませんね、わざわざそちらからお電話いただきまして。ははは、何をおっしゃってるんですか、それはお互い様でしょう。―――ええ、そうですね。―――はい、ではお待ちしてます」
思いの外、短い電話だ。
余計なものは排除した、必要最低限な会話。だが、随分軽い。
まるで、知り合いと話しているような雰囲気だった。
電話を切ると、怜は「さてと、」と立ち上がった。
「万年青さん、千元堂の桜みたらしを買ってきてもらえますか。石神コーポレーションの会長が今から来るそうです」
その言葉に、一葉は首を傾げる。この状況で、なんでわざわざ。
「あの、それなら俺が行きましょうか?」
一葉が何気なくそう言うと、いや、と首を振られた。
「これは、万年青さんじゃなきゃ意味が無いからね」
怪訝に眉をひそめた一葉とは違い、怜に言われた万年青は、いつもと変わらない調子で「かしこまりました」とにこやかに頷いた。




