第5話 作戦の進捗
張り込むよう言われてから、一葉は平均して日に三度、怜に指定されたコンビニに行くようにしていた。
大きな窓の外に着崩れた学ランが見える度、入ってきた生徒たちの会話に雑誌コーナーで耳を澄ませる。
以前はコンビニでの立ち読みは当たり前だったように思うが、最近ではそれを禁じるところが増えてきた。だが幸いなことに、ここはまだそれを許してくれているようだ。
店内をうろうろしていても仕方がないので、基本的にはその雑誌コーナーで張ることにしていたのだが、聞こえてくるのは、昨日見たお笑いがどうだっただの、駅前のあの店にいる子が可愛いだの、ほとんどが他愛ない話ばかりだ。
唯一、「それっぽい」話が聞こえてきたといえば、「昨日、サボってることが叔母さんにバレそうになった」という会話くらいだった。
張り込みを始めて四日目。
日に何度も、何も買わずそんなことを繰り返しているせいで、そろそろ店員に目をつけられそうになってきた頃。
「調子はどう?」
雑誌コーナーで読んでもいない雑誌を広げていた一葉の元に、怜がひょっこりと顔を出した。
来るなり隣に並んで立ち、「お、最新刊」と言って、すぐ目の前の棚から『来たぞ! 金太マン』というマンガを手に取る。「これ、ギャグなんだかシリアスなんだかよく分かんない話で、続きが気になってたんだよね」と、そんなことを話しながらパラパラと捲り始める。
「上手くいってる?」
「どうでしょう。可能な限り聞き耳は立ててますが、大した話は聞けてないと思います。―――というより、こんなことをしなくても、そもそも怜さんはここでされるだろう会話の「内容」をもう知ってるんじゃないですか?」
それは、この四日で思っていたことだった。でなければ、ピンポイントでこんな指示を出すわけがない。
ここにいれば、何か怜の思っている会話が、思っている者たちの間で交わされるところを押さえることができる。
恐らくこれは、それを知っているからこその指示だ。
だが、怜は「何とも言えないなあ」と笑っただけだった。
「まあ、まだ四日だ。それに菫ちゃんの方もあるし」
「菫さんの方は何か進展があったんですか?」
「うーん、あっちもまだもう少しかな。そろそろかなーと思ってはいるんだけどね。菫ちゃんもまだ何も言ってこないし」
パラパラと最後まで捲って、怜はマンガを棚に戻す。適当に開いただけで、真剣に読む気持ちは無いようだ。
「怜さんは、このあとまた例のやつですか?」
隣に立つ怜の格好を見て聞いた。
怜の婚活はまだ続いている。またどこかに不具合が生じてしばらく保育園が休みになったという宙と、「こっちとこっち、どっちがいいかなー」と言いながら新しいシャツを着比べていたのは、一葉が出てくる少し前のことだ。
犬の顔がデカデカとプリントされたシャツと、アルファベットが気持ち悪い程幾何学的に羅列されたシャツ、どちらがいいかと言っていたが、結局犬の顔の方にしたらしい。どちらにしろ、趣味を疑うデザインである。
「一葉くんも行く? 婚活パーティー」
「いえ、俺は」
「楽しいのに、いろんな人がいて」
「俺みたいなのが行ったところで、ただの冷やかしにしかなりませんよ。そもそもそんなに人との出会いも求めてませんし。それより、そんなにたくさんの人と会って、誰が誰だか分からなくなりませんか?」
「はは、音弥にもさっき同じこと言われたよ。この街でこれだけ婚活パーティーをやってることにもまず引くってね」
「しかも、平日の昼間に」
花屋には平日も土日も関係ないので、今まであまり意識していなかったが、そんな日にパーティーにやって来る人間がどれだけいるのだろう。
「皆そう言うけどね、婚活もバカにならないんだよ。まさかの出会いがあったりするんだから」
時計を見て「おっと、そろそろ行かないと」と怜が声を上げる。
何をしに来たのか、結局ただ暇を潰しに来ただけのようにも思える。怜はそのまま、「じゃあ、お先」と言って、手をひらひらさせながらコンビニを出て行った。
その背を見送りながら、そういえば―――、と一葉は頭の端で思い出す。
今回の先生の依頼はただ北高で卒業式を行うことではなく、卒業生全員が出席した状態で行われる「卒業の花」だったはずだ。
現状、今回の花のために動いているのは、石神コーポレーションに行っている菫と、その備えのための策としてこのコンビニに張り込んでいる一葉だけだ。不良生徒たちを卒業式に出席させるために動いていることは、今のところ何も無い。
このままでいいのだろうか。
一瞬そう思ったが、それを怜に確認する暇はもちろん無かった。
◇ ◇ ◇
万年青と、今日もまた花屋でうるさく過ごしている宙が散歩に出た途端、花屋は急に静かになった。
今回の依頼にほとんど関わっていない音弥は、自然、ずっと花屋にいることになる。
が、ただいるだけ、ということ程に疲れるものはない。
茶でも淹れるか、とデスクに上げた足を下ろしかけて、だがそれも億劫だと思い直す。結局、左右を組み替えるだけに終わる。
菫は外に出ており、怜は例によって不在だ。あの新入りのガキも、今の時間は怜に言われたコンビニに行っている。
……ちっ、なんであんなガキを。
その新入りとは、今のところまともに話した記憶がない。
こちらからあえて近付こうとも思わないし、向こうも向こうで、周りと慣れ合うということをあまりしないタイプのようだ。音弥的にはそれでも何も問題無いため、状況は変わらないままでいる。
遠くでファンの回る機械的な音が聞こえている。
息をするのが自分だけだと、花屋はこんなにも静かだ。ここ数日、音弥の周りはそんな時間ばかりである。
「―――なに、あんた一人?」
ふいに開いたドアから、菫が顔をのぞかせた。
今は石神コーポレーションに潜り込んでいるはずである。入るなり花屋をぐるりと見まわす菫に、片眉を上げる。
「宙なら散歩だぞ」
「知ってる。さっき万年青さんから連絡もらったから」
そういうことをいちいち報告してんのか。ただ散歩に出るのにも逐一連絡を入れるなんて、随分面倒くさいことをしてるんだな。
音弥がそう思っている間も、菫は何かを探すように花屋を移動している。
「今日、シャチョーは?」
「イベントだってよ。気味の悪いシャツでさっき出て行ったぞ」
もう当たり前のことになってしまっているが、仮にも花屋の社長という位置にいる人間がそれでいいのか、と何度思ったことか分からない。
「なんだよ。何かあったのか?」
「んー、まあ、ちょっとね」
腰に手を当てて、少しばかり思案するようにしてから「まあ、いないならいいわ」と言った菫に、音弥は「あっそ」とだけ返す。
別に、自分が知っておかなければないようなことでなければ、あえて聞く必要もない。
やることも無いので、デスクに放っていたスマホを取り、いつものように暇つぶし用のゲームを始めた音弥のそばで、菫は床に散らばった宙のおもちゃを拾い集めていく。
万年青や新入りがその都度片付けてはいるが、その片付けは全く追いついていない。
とりあえず、見える範囲にあるものを軽く片付けて、菫は「あ、そうだ」とこちらを振り返った。
「一葉くん、どう? 今日も張り込みに行ってるんでしょ?」
「あ? なんでだよ」
「ちょっとね、どんな調子なのかと思って」
菫が何を気にしているのか知らないが、「今のところ何も掴めてないみたいだぜ?」と適当に答えておくことにする。
「毎日律義にあいつの「言いつけ」を守ってるけどな」
「……ふーん」
どことなく意味深に頷いたように聞こえたが、その理由に興味は無いので、わざわざ確認はしない。
入口付近に転がっていたおもちゃを最後に片付けて、「それじゃあ、シャチョーもいないし、戻るわね」と菫が出て行く。
その間、時間にして十分程。
その背を完全に外に吐き出してしまうと、摺りガラスの古びたドアは、錆びて耳障りな音を立てながら元の位置に戻った。
再び一人になって静かになる。
開いたはいいがまったく進んでいなかったゲームを閉じ、スマホをデスクに放った音弥は、そこに乗せた足を再び組み替えた。
面倒な依頼にあくせくするのも性に合わないが、こうしてただいるだけというのは、さらに脳みそが腐っていくような怠さを覚える。
一つ大きなあくびをして、音弥は無人になった花屋で昼寝をすることにした。
怜がコンビニで立ち読みしたマンガのタイトルは、かなりテキトーにつけた名前です。
少々下ネタが入ってしまっており、すみません汗




