第4話 「花」の注文と、ホイホイ作戦
一つ頷いて、怜は再び先生に顔を向けた。
「ところで、最初に依頼の電話をもらった時にお願いしていた生徒の名簿は、持ってきてもらえました?」
「ああ、それは―――」
鞄の中からクリアファイルを取り出し、「こちらです」と怜に差し出す。それを覗いて、菫が片眉を上げた。
「大丈夫なの? 個人情報流出とか、最近うるさいわよ?」
「そんなもの気にしてたらやってられないでしょ。ああ、ご心配なく。何かあったとしても、そちらには一切迷惑はかからないようにしますので」
爽やかな笑顔で言い置いて、クリアファイルから写真付きの名簿を抜き取り、怜はざっと目を走らせる。
「このマーカーを引いてあるのが、学校に来ていないという生徒の中でもリーダー的なグループの子たちですか?」
「はい、そうです」
名簿を見ながら「なるほどね」と呟く。それをローテーブルに置き、どこに持っていたのか、今度は別の紙を取り出して先生の方に差し出した。
「では、こちらからも一点。通常では叶えられない花の依頼を受けるからには、もちろんタダで、というわけにはいきません。むしろ、それなりに値がはります。これは現時点での見積書と、前金の請求書です」
そこにどれ程の金額が書かれているのかは分からない。だが、「前金だけでこんなに……」と呟かれた言葉で、相当な金額が記載されていることだけは予想できた。
前金だけでも、ゼロが四つではきっと足りない。それは、一介の高校教師が払える金額なのだろうか。
「そこに書いてあるのは見積もりなので、状況によって、最終的な金額は変動する可能性があります。その場合は、都度ご連絡します」
「金額が変わるとして、一体どれくらいになる可能性があるんですか……?」
「花を手配する上でのことなので、一概には何とも言えません。変わらないこともあれば、安くなることもある。反対に、百万単位で上乗せになる場合もあります」
「百万単位……」
「ああ、ご安心を。それは稀なケースで、滅多にそんなことはありませんから。ただ、それでも、可能性として無くはない話になります」
「そうですか……」
先生は言葉を失くしたように、怜の用意した紙を見下ろしたまま動かなくなる。
だが怜は、そんなことなど関係なく、畳みかけるようにさらに続けた。
「こちらも、慈善事業でなく商売として手掛けていることなので、そこは妥協できません。ただ、受けるからには、依頼の花は確実に手配させてもらいます。ご理解いただいた上で、それでもうちに「花」を注文されるということでしたら、こちらの契約書にサインを」
もう一枚、また別の紙が取り出される。
先生の前にそれを突き出した怜は、最初と変わらず人懐っこく笑っていた。
結局、先生は「花」を注文していった。
契約書にはしっかり印も押されている。
「要するに、サボってる生徒が学校に行くようにしたらいいんじゃないの? 取り壊しが早まった原因はそれでしょ?」
「そうなんだけど、ことはそんなに簡単じゃないみたいだ。取り壊しの準備はもう進められてるしね。生徒が学校に来るようになって、やっぱり最初の予定通り卒業式を行おう、てなったとしても、多分もみ消されるよ」
「もみ消される?」
その物騒な物言いに一葉は思わず眉を寄せるが、怜はそれに当然の顔で頷く。
「取り壊しが早まったのは、多分裏で誰かが糸を引いてるからだ。―――取り壊し業者って、確か二子建設でしたっけ」
ソファに全身を預けて首だけで振り向いた怜に、答えたのは万年青だ。
「ええ、そのようですね。この辺りの下請けは基本、二子建設が担っているようです」
「ということは、やっぱり親玉は石神コーポレーションか」
二子建設の方は知らないが、石神コーポレーションはさすがに一葉でも知っている。
全国展開する大手ゼネコン、業界の重鎮だ。ビルに掲げられた看板などを見たこともある。
さてどうしようかな、と天井を仰いだ怜は、そのまま考え事をするように腕を組んだ。
「直接話をつけるのが一番なんだけど、相手はうちみたいな零細企業が会いたいって言って簡単に会えるような相手じゃないしな」
「私が先方と約束を取り付けて来ましょうか」
「いえ、それには及びません。万年青さんには他にやっていただきたいことが出てくるかもしれませんし」
首を傾ける万年青に言って、怜はソファから立ち上がる。
「よし、決めた。ここは「ゴキブリホイホイ作戦」でいこう」
「ゴキブリホイホイ作戦?」
「そう、向こうからこっちに来てもらうように誘うんだ。菫ちゃん、悪いんだけど、石神コーポレーションに入り込んでちょっと探ってもらえる?」
「え、私が? 何を探ればいいわけ?」
「探るっていうか、「探ってます」ていうのをあちらさんに見せつけてほしいんだ。つまり、怪しい人間が何かを嗅ぎまわっている、そう思わせるように動いてほしい。それで向こうが出てくるのを待つ。まともにコンタクトを取ろうと思ってもできる相手じゃないし、第一、聞こうとしないだろうからね」
「ああ、それで「ホイホイ作戦」ね」
軽く腕を組んだ菫はふーんと頷くだけで、それ以上追及しない。
思わず顔をしかめてしまうようなその微妙なネーミングにも、特にツッコむ気はないようだ。
「一応聞いておくけど、嗅ぎまわる「フリ」でいいのよね?」
「うん、それで構わないよ。ああ、二次利用できるようなネタを仕入れてくれるのは大歓迎だけど」
「二次利用って、無茶言わないでよ」
「はは、まあ期待してるよ。それから、ええと―――……、」
菫に返したあと、怜は一旦、音弥に視線を向けた。が、少し考えるようにしてからこちらを向き、「一葉くん」と呼ばれる。それに、音弥があからさまに顔をしかめた。
「おい、なんでそっちなんだよ」
「なんでって、こういうことには適材適所ってもんがあるんだよ。音弥のその恰好じゃあ、ちょっと悪目立ちし過ぎて頼みたいことの内容にそぐわない」
「はあ?」
眉を跳ね上げて声を上げるが、怜はそんな音弥の言葉を聞き流す。
「それで、一葉くん」
「はい」
まっすぐに見つめられ、自然と背すじが伸びた。
「一葉くんにもお願いしたいことがあるんだけど、いいかな」
「はい、何でしょう」
「一葉くんは、驚台北高校の制服は知ってる?」
「―――いえ、ここが地元ではないので」
制服を着ている中高生の姿を駅前などで見かけることはあっても、それがどこの学校の生徒かまではまったく知らない。
首を振る一葉に、「そうか」と頷き、怜は言葉を続けた。
「あそこの制服は学ランなんだけど、この辺りで学ランって言ったら北高しかないから、見かけたら彼らの会話を聞くようにしてほしいんだ」
「はあ、見かけたら、ですか……」
一葉の怪訝をどう受け取ったのか、「ああ、大丈夫だよ」と怜は軽く手を振った。
「闇雲に聞き耳を立てろ、てことじゃないから。的も絞るし。宮ノ下の交差点のところにコンビニがあるのは知ってる?」
ああ、あそこのコンビニか―――、と一葉は頷く。
「よかった。そしたら、一葉くんはあそこのコンビニで張り込みをしてくれるかな」
「張り込み、ですか?」
「手が空いてる時でいい。日に何度か、あそこのコンビニに行って、学校に行ってないっていう生徒たちの会話を聞いてきてほしい。そうだな……、とりあえず一週間くらい?」
とりあえず、一週間……。
「もっと長くいてくれてもいいけど、どのみち、菫ちゃんの方が終われば、それ以上行ってもらう必要はなくなるだろうし。一葉くんにお願いするのは念のためだから」
「はあ、分かりました」
自分に課せられた「張り込み」という仕事が、どんな立ち位置にあるものかをそれで知る。まず菫の仕事があり、こちらは念のための備えということのようだ。
しかし、なぜあのコンビニに的を絞るのか。あそこは別に、近くに学校があるような場所ではなかったはずだ。
が、それを聞く前に、タイミングを逃してしまう。
「さてと、」
声を上げると、怜は、ぱんっと両手を打ち合わせた。
「それじゃあ、あとは、ホイホイされてくれるのを待つとしようか」




