第3話 廃校予定の高校
「お茶をどうぞ」
万年青が置いたお茶に「ありがとうございます」と頭を下げて、居住まいを正すようにソファに座り直す。
やって来た客は、深い緑のセーターの上に紺のジャケットを羽織った、いかにも好青年という感じの若い男性だった。
「驚台北高校で教師をやっております、野中と申します」
「こんなところまでご足労いただいてありがとうございます」
軽く頭を下げながら応えるのは、向かいに座った怜だ。その顔には、いつもの人懐っこい笑みが浮かんでいる。
「野中さんと呼ぶのもアレなんで、そうだな……、先生と呼ばせてもらいますね。だいたいの事情は既に一度聞かせてもらいましたが、念のためにもう一度、一からお願いできますか」
野中と名乗ったその先生は頷き、「ええと、何から話せばいいか……」と言いながら話を始めた。
「うちの高校は今年度で廃校になることが決まってまして、来月学校最後の卒業式があるんですけど、今回こちらに依頼したいのはその卒業式の花でして」
「ハイコウって、あの「廃校」?」
口を挟んだのは、ソファのそばで話を聞いていた菫だ。腕組みをしていた手をほどいて、先生に対し首を傾げる。
「こんな大都会のど真ん中で高校が廃校になるなんてあるのね」
「別に珍しいことでもないよ」
首を回した怜が、菫を見上げた。
「大都会だからこそ学校の数も多い。どこも入学生を集めるのに必死だ。他に勝る特色や、差別化が上手くできていなければ、入学志願者の人数を稼ぐことだって難しい。選択権がいっぱいあるっていうのも、見る方によっては悪条件だよね」
「まさしくその通りで……」
怜と菫に対し、先生が苦く笑うのが見えた。
音弥は背を向けたままスマホをいじっていて、応接スペースでなされている会話を聞いているのかいないのかは分からない。万年青は先生にお茶を出したあと、そのまま事務仕事を始めている。
一葉はというと、先程までは怜が担っていた宙のままごとの相手役を、いつの間にか引き受けることになっていた。
宙がおもちゃを広げているのは応接スペースから離れた場所だったが、それでも、そもそもが狭い事務所内だ。自然とやり取りは耳に入ってくる。
「実は僕もここの卒業生でして、校長の森川先生には学生時代から随分お世話になったんです」
「生徒思いの、人徳の高い先生だと聞いています。だから、「どんな生徒」でも受け入れる懐の広さがあると」
「ええ、そうなんです」
嬉しそうに言ったあと、しかし先生の表情は僅かに暗く沈んだように見えた。変わらず笑ってはいるが、瞳の力が陰ったように見える。
「ただ、それが災いしてと言いますか、そのために、ちょっと難しい状況になってしまいまして……」
話す先生の声も、先程までより弱々しい。そう、一葉が感じたところで―――。
「―――一葉さん、」
ふいにすぐ近くで名前を呼ばれ、一葉は顔を上げた。
「どうぞ、あちらでお聞きになってください」
「え?」
「こちらではお話も聞きにくいでしょう。ここは私に任せて。さあ宙さん、この万年青と遊びましょうか」
「えー、おにいちゃんはー?」
「ママ達と一緒にお仕事のお話がありますからね。おや、これは何ですか?」
言って、端にあったものを手に取る。最初はゴネていた宙も「あ、それはねえ!」と説明を始め、それに、ふんふんと頷いてみせる。そんな万年青に小さく頭を下げ、一葉はその場を離れた。
「それで―――、」と先生は話を続ける。
「今年が最後の卒業式だということは、ずっと北高で教鞭を執っていた森川先生にとっても最後の卒業式となるわけでして、自分としては森川先生にとっても思い出に残るような卒業式にしてもらいたいんです。それが、今回こうしてこちらに依頼に伺った理由でもあるんですけど……、実は、その卒業式が行えないかもしれないんです」
話を要約すると、つまりこういうことらしい。
今年で廃校となる驚台北高校は、来月高校最後の卒業式を迎えることになっている。
高校の跡地は大型商業施設となる予定で、元々は今年度が終了してから取り壊しが始まる予定だった。
だが、突然その風向きが変わる。
先んじて、体育館の取り壊しが始まることになったのだ。今年度終了どころか、卒業式すらも待たずして、である。
理由は、取り壊しを待つ意味が無い、というものだ。
廃校が決まっているため、在校生はいない。卒業式は卒業生だけで行われることになるが、その肝心の卒業生が、式に出席しないのではないかと思われているのだ。
「卒業生のほとんどが、いわゆる不良と呼ばれるような生徒たちで、もうずっと学校に来ていないんです。この調子なら卒業式にも出席しないだろうという見方が強くて、それならわざわざ体育館を残しておかなくても、どこか別の適当な場所を借りて卒業式をしてしまえばいいんじゃないか、と。そういう意見が多くなってしまいまして」
それで、取り壊しが早められることになってしまい、高校最後の卒業式は本来の形での実施が困難な状況になっているという。
つまり、先生は「驚台北高校で行われる最後の卒業式の花」を花屋に依頼したいのだそうだ。
「いくつか確認させてください」
途中から腕を組み、何かを考えるように話を聞いていた怜が顔を上げる。その視線を受けて、居住まいを正すように先生が背すじを伸ばした。
「はい、何でしょう」
「学校に来ない生徒たちは、元々ずっと来ていなかったんですか?」
不良、とは言わずに、怜はそういう言い方をした。
「ええと、毎日真面目に顔を出すという程ではなかったんですが、それでも週に何度かは来ていたと思います。でも、そうですね……。そういえば確かに、秋頃から急にぱったりと来なくなった気がします」
「秋頃ですか。卒業式を前に取り壊しになるという話があがったのは、年末でしたっけ」
「はい、その頃です」
「食い止めようという動きは無かったんですか?」
「地域団体ではそういう動きもあるようなんですが、お恥ずかしながら、当の学校側では取り壊しを早めようとする業者の考えと同じ意見の人間が多くおりまして……」
身を小さくする先生に、「何それ!」と声を上げたのは菫だ。
「自分のところの学校が取り壊しになるっていうのに、誰も反対しないわけ?」
「あえて北高で卒業式を行う必要もない、ていう考えの方が主流ってことみたいだね」
「ええ、まさしく、その通りで……」
先生はさらに小さくなりながら頷いたあと、だが、それを振り払うように顔を上げた。
「でも、僕はどうしても北高で最後の卒業式を行いたいんです。卒業生もちゃんと出席した状態で」
それまでの小さくなっていた調子とはまったく異なる、まっすぐな強い眼差しで言う。
「―――なるほど、事情は分かりました」
ひと通り話を聞き、怜はそこで頷いた。




