第1話 あまりにも場違いな存在
「施設」には、いろんな子どもがいる。
親に見放された子ども、幼くして身寄りを無くした子ども、本来保護されるべき相手から避難してきた子ども―――。
だが、どんな事情でやって来たにせよ、一つだけ全員に共通していることがある。それは、時が来れば必ずそこを出て行かなければならない、ということだ。
どんな事情でやって来たどんな子どもでも、高校卒業と同時に施設を出ることを余儀なくされる。だからそれまでに、自分の力で生きていく力を身につけておかなければならない。
一人で生きていくために、よそ見をしている暇など無い。
社会に出れば、助けてくれる人間は誰もいないのだ。
◇ ◇ ◇
思えば、その日は始まりからいつもと違っていた。
いつも同じ時間にセットしているはずの目覚ましが鳴らず、住んでいる安アパートを出るのが三十分遅れた。さらに、こんな時に限って、いつも通っている道が全面通行止めになっている。
戻って迂回し、駅前の踏切を渡り終えた頃には、時刻は普段より一時間は遅いという頃になっていた。
気持ち急ぎ足で角を曲がって、一葉が花屋の通りに入ると、ちょうどビルから自分と同じくらいの女子が出てくるのが見えた。
女子高生―――?
それが女子高生だと分かったのは、その女子が制服を着ていたからに他ならない。
凝ったデザインの制服だ。多分、普通の公立高校に通う生徒ではない。ひと目で、私立の金持ち学校に通う生徒であることが分かる。
花屋が入るビルには他にテナントがいない。つまり、このビルから誰かが出てくるとすれば、それは花屋に用があったということになる。なるのだが、しかし―――。
通りを向こう側に去っていく女子高生の後ろ姿は堂々としていて、この薄暗い通りにはあまりにも似合わない。
しかも、今は平日の午前中。普通なら既に学校が始まっている時間だ。
あんな女子高生が、花屋に一体何の用だったのだろうか。
怪訝に首を傾げながらもビルの階段を上がり、一葉は花屋のドアに手をかけた。が、その瞬間。
ど……っ!
「―――……っ!」
ドアを開けるなり、とてつもない勢いで腰のあたりに衝撃がぶち当たり、思わず息を詰まらせる。
「なん―――」
だ―――? と一葉は口を開きかけるが、それを全部言い切る前に、下から先に声が上がった。
「あれえー?」
この場には不釣り合いな甲高い声。
ぶつかって、ぎゅうっとしがみついてきた形のまま、くりくりとした大きな瞳がこちらを見上げている。
髪を耳の辺りで二つにくくった小さな女の子だ。年は多分、四、五歳くらい。
小さな子ども特有の甲高い声で言う相手は、「あれえ? あれれえ?」と何度も首を傾げながら同じ言葉を繰り返している。
その間も、一葉にしがみついた手はそのままだ。加減を知らない小さな手は、相変わらずがっちりと一葉の腰を掴んでいる。
なんでこんなところにこんな子が。ていうか、この状況は一体。
状況を呑み込めない一葉は、成す術なく入口に棒立ちになったまま、頭にいくつも疑問符を浮かべる。
一葉を見上げてしきりに首を傾げていた女の子は、だがそこでようやく腕を離し、こちらを指差して後ろを振り返った。
「れいくんじゃなーい」
れいくん―――?
首を捻りかけたところで、女の子が振り返った先の相手がやってくる。
「だから言ったでしょ、宙。シャチョーはいつ来るか分からないんだから」
「だって、おもとさんも、おとやおじさんもいるのに、きてないのはれいくんだけでしょ?」
ああ、れいくんって、そのれいくん―――。
女の子の言う「れいくん」が、つまり花屋の社長である怜のことであると、菫との会話でようやく気付く。
……にしても、れいくんて。なぜこんな小さな子にそんな風に呼ばれているのか。
「……おい宙、なんで俺がオジサンなんだよ」
奥にいた音弥が目を眇めて言うのが聞こえた。
「えー、でも、おじさんはおじさんだもん」
「おいコラ、どういう意味―――」
「宙、飛びつくのはちゃんと相手を確かめてからにしなさい。迷惑かけちゃうでしょ?」
音弥の言葉を完全にスルーの菫は、宙と呼ばれた女の子の頭をポンと軽く撫でる。
「ほら、お兄ちゃんに謝って」
「はーい。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げられ、とりあえずは「大丈夫だよ」と返してやる。しかし―――。
戸惑う一葉に「ああ、ごめんね」と菫が顔を上げた。
「この子、私の娘」
「え、娘?」
「そ、娘。なによ、私が母親なんて似合わない?」
「いえ、似合わないというか……、娘さんなんていたんですね」
菫が母親をしている姿を想像するのが、単純に難しい。他意はなく、純粋に驚いてしまう。
そんなやり取りをしていると、
「おはよう」
後ろから入ってきた怜がそこで足を止め、「あれ、宙ちゃんがいる」と首を大きく横に傾けた。
「あ! れいくんだー!」
一葉の足元にいた宙がぴょこんと跳ね、弾けるような笑顔で飛びついていった。それを受け止め、怜は軽々と宙を抱き上げる。
「れいくん、おはよー!」
「うん、おはよう。宙ちゃん、しばらく見ない間にまた大きくなったね」
「うん! このまえねえ、かくかく山のえんとつにとどくようになったよ!」
かくかく山のえんとつ、というのがどこの何なのか分からないが、「やっぱり! そうだと思ったよ」と調子を合わせる怜はさすがである。
「なおちゃんと、ゆきちゃんも、このまえ、とどくようになったっていってたよ。りのちゃんは、いまかぜでおやすみなの」
話の内容に脈絡が無いのは、このくらいの子どもに特有の傾向だ。それに怜はいちいち反応を返してやっている。
一葉は少し懐かしいような気持ちでそれを眺めていた。
「また保育園がね、例のあれよ」
菫が言ったのは、場が一旦収まってからだ。
「水道系統がね、またイカレちゃったみたいなのよ。どこも詰まったようにしか出ないし、出ても泥水だって言うの。トイレも手洗い場も給食施設も全滅」
「またか、多いね」
聞いていた怜が振り返って言った。
「それでまた休みなの?」
「そうなのよ。とりあえず今日、修理の業者が来るみたいなんだけど、また一日お休み。急にそんなこと言われても困るってのねえ」
「よくあることなんですか?」
一葉が聞くと、「古いところだからね」と菫はため息をついた。
「認可外だし、仕方がないんだけど。普段は融通利かせてもらってるし」
言いながら、おもちゃで遊ぶ宙を見る。
どこから出てきたのか、ここには宙用のおもちゃが常備されているらしい。床には既に点々とおもちゃが転がっている。
「だから、今日は宙、ここで遊ばせててもいい?」
「もちろん、それは全く構わないよ」
尋ねた菫に、怜はいつものように軽い調子で頷いた。




