第8話 本当の見舞い客
これは確かに家族だったら大変だろうな。
他人に任せることではないというのは正論だが、自分たちの代わりに花屋に見舞いの花を依頼してくる家族の気持ちも分かる気がする。
何度見舞っても初めてのような顔をされ、何度も同じ説明を求められれば、場合によってはイライラもしてしまうかもしれない。
そんなことを思いながら花瓶から花を抜き取り、水を変えて新しい花を挿す。古いものはどうしようかと思ったが、持って帰っても仕方がないので、そばのゴミ箱に捨てておくことにした。
花を入れ替えた花瓶を持って戻り、病室のドアを引く前にもう一度呼吸をする。
中に入ると、吉野さんは開け放った窓の方を楽しそうに眺めていた。
特に何があるわけでもない。外には青空が見えているが、それ以外は病院の駐車場と、枝がむき出しで寒々しい木々の姿が見えているだけだ。
寒くないんだろうか。
一応暖房がついているとはいえ、冷たい風に揺れるカーテンを見ながら、花瓶を元の位置に戻す。
ハンカチを預けに行った怜は、まだ戻ってこない。
「孫がね―――」
「はい?」
ふいにかけられた声に、一葉は振り返った。窓の外にやっていた目を一旦一葉に移してから、吉野さんは手の中に持っていた何かに視線を落とした。
「孫が、もうすぐ来る予定なの。男の子なんだけど、本当に可愛い子でねえ」
言いながら、手の中にあったその写真を大事そうにゆっくりと撫でる。
この子よ、と見せてくれた写真を覗き込むと、中には今よりも幾分か若い吉野さんと、キャップを被った小さな男の子が写っていた。
男の子の方は俯き気味で、キャップを被っているせいもあり、その顔はよく見えない。小さな男の子の両肩に手を置いて優しく微笑んでいる吉野さんの姿が印象的だった。
随分、古い写真だ。どれ程前のものだろう。
写真の中の吉野さんを見る限り、十数年は経っているだろうと思えるものだった。写真立てにも入っていないその写真は、ところどころ折れて色がはげている。
「お孫さんがいらっしゃるんですか?」
尋ねると、吉野さんは「え?」と不思議そうな顔をした。そして、何事もなかったように微笑み、再び窓の外に目をやる。
先程まで手の中にあった写真は、いつの間にか布団の上に転がっていた。
それを拾って棚の上にそっと置き、もう一度ベッドの方を振り返る。
「―――ああ、もうすぐ桜が咲きそうねえ」
呟くように目元を和ませる吉野さんは、窓の外を眺めたままだ。外にあるのは、真冬らしい裸の木々だけである。
吉野さんが一体何を見ているのか分からないが、一葉はただ「そうですね」とだけ返した。
振り返ってドアを閉めた時には、吉野さんはもうこちらの存在すら忘れているようだった。
見舞いの花は、枕もとの棚の上で静かに笑っている。
繁之がこの花を用意していた時、そんな大人しい花ばかりでいいのかと思ったが、こうして見ると、それが最適な選定だったことが分かる。華美で派手な花は、この部屋には似合わない。
一応、失礼します、と言って出てきたところだが、その言葉が相手の耳に届いていたかは分からない。
ふう―――……。
なんとなくそんな気分になって、小さく息をついてしまう。
「―――あの、どちら様ですか?」
後ろから唐突に声をかけられ、一瞬、ぎくり、と一葉は時が止まった。
振り返ると、一葉に声をかけてきたらしい女性が訝しそうにこちらを見ている。上品な身なりをした四十代前後の女性だ。
「……ええと、」
何と答えようかと言い淀んでいる間も、女性は一葉と、今一葉が出てきたドアとを怪訝な表情で見比べている。
なんでここにこんな人間が、と思っていそうな顔だ。
ここの本当の見舞い客か―――。
状況を考えれば、それ以外にない。
一葉個人にやましいことがあるわけではないが、居心地の悪い気分にはなる。こういう時、どう対するのが正解なのか。
考えて、一つ思い浮かぶ顔があった。いいのか悪いのか、こういう時の指標になる人間は一人しかいない。
怜なら、何と言うだろう。
「ええと―――、僕は、花を届けに来た者です」
笑顔で、とまではいかないが、なるべく迷いのない調子で返すように心がけた。だが、それが何のためのものであるかは、自分でもよく分からなくなっている。
「お花?」
「はい」
頷くと、女性の中では思い当たるものがあったらしい。「はあ、それはどうも……」と目だけで軽く頭を下げられた。
それに、こちらも軽く返しておいて、
「花はもう届けたので、これで失礼します」
頭を下げつつ去ろうとすると、「あの―――」とまたなぜか呼び止められた。
「……はい?」
「前から気にはなってたんですけど、毎週お花を届けてくださっているの、あなたですか?」
「ああ、ええと、それは―――」
それには何と答えたらよいものか。
頷けば誤りになるし、否定するのもまた、正しくはない。だが、かと言って、事細かに状況を説明するのは花屋の仕事を話すということになるわけで、それはやってもいいことなのだろうか、本当の見舞い客相手に―――。
考えていると、「違っていてもいいんです」と、相手の方が先に言葉を続けた。
「お花をいただくと、気分もいいようで、表情も穏やかになるんです」
今は閉じている病室の方を見ながらの言葉だ。そこには、中にいる人物を思いやる心が溢れている。
「どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」
「いえ……」
それにも何と返せばいいのか分からず、一葉の答えはそんなものになってしまう。
再び頭を下げてくる女性に道を空け、一葉はそれと入れ替わりに病室を離れた。
「調子はどう?」―――と、後ろから聞こえてきたそんな声に何気なく振り返った時には、病室のドアはもう閉じられていた。




