第6話 花の準備
そして再び、視点は一葉に戻ります。
住宅街の十字路を直進するとすぐの角に、その看板は見えてきた。
フラワーショップ山田―――。
白地の看板に青色のポップな書体で書かれている。が、かなり色褪せ、所々に少しばかり錆びが浮いているように見えるのが、年代物であることを感じさせた。
喫茶店を出て、本来の目的である「見舞いの花」の調達にやって来たところ。
花屋の実際の花を用意しているのは、すべてこちらの花屋だと聞いている。
店の外で作業をしていたらしい繁之は、手にしていたバケツを下ろすと、目を細めて車が完全に停車するのを待っていた。
「寒いのに、精が出るね。寒いのに」
「二回も言うんじゃねえ。余計冷えるだろうが」
車を降りながら言う怜に顔をしかめた繁之の手は、霜焼けのように赤く腫れている。ガタイのいい体に着込んだ上着は暖かそうなのに、手先の赤味がこの真冬に水を扱うことの過酷さを表していた。
店先には植木用の小さな植物やプランターが中心として置かれており、水に差すようなバラ売りの花は、店の中に置かれているようだ。外から見ただけの感想ではあるが、フラワーショップ山田はこじんまりとした、昔ながらの街の花屋という様子だった。
「小さな店でしょ」
ちょうど思っていたようなことを言われ、だがそれは決して褒め言葉というような類のものではなく、むしろその逆をいくようなものであったため、ええと―――、と一葉は思わず言い淀む。
だが怜は、それをはは、と軽く笑い飛ばした。
「いいのいいの、言ってやって、言ってやって。あれだけ大口の注文を入れてるんだから、もっと広くできるはずだし、もっとキレイに改装もできるはずだってね」
「ああ? なに勝手なこと言ってやがる。必要ねえし、広くしたところで一人で回せねえだろうが」
「人を雇えばいいだろ」
「そんな余裕はねえ」
「それじゃあ、俺が入れてる金はどこ行ってるわけ?」
「あのなあ、こっちだって出るとこには出てんだよ。残るもんも限られるって分かってんだろ。それに、俺は身の丈に合った商売をするって決めてんだよ」
ふーん、と言って「まあ、継いだ時からそう言ってたもんな、シゲは」と怜は続けた。
「継いだ時?」
それはまるで、繁之のその前を怜が知っているような言い方だ。
聞き返した一葉に、二人の視線が寄せられる。
「ああ、そっか。ここ、元々シゲの親父さんがやってた店なんだ。あちこち廃れてる風なのはそのせい」
「おい、廃れてるとか言うな。歴史を感じると言え」
「どっちも大して変わんないと思うけど。要するに、古いのは、だからってこと」
そこが引っかかったわけじゃないんだけど、と思いつつ、説明してくれた怜にとりあえず「そうなんですか」と頷いておく。
「シゲが継いだのって、確か大学卒業してからだよね。だから、もう五年くらいか。早いね」
「そうだな」
言い合う二人に、うん? と一葉はまた怪訝に首を傾げた。
大学を卒業してから五年、とは一体どういうことだろう。繁之はもっと年配の人間だと思っていたが、それだと少し……どころか、まったく計算が合わないような。
そもそも二人はいつからの知り合いだ。
「あれ、言ってなかったっけ? 俺たち高校の同級生」
「え」
思ったまま声が漏れてしまい、一葉は急いで口を閉じた。
まさか、同級生とは。これは、繁之の年齢を完全に見誤っていたことになる。
一葉はその見た目から、繁之のことを三、四十代だと思い込んでいた。なんせ、繁之の見た目はもうベテランの域に達しているのだ。怜と同い年とは、とてもじゃないが思えない。
目を見開いたまま口を閉じて固まる一葉に、繁之と自分とを交互に指差しながら説明していた怜は盛大に噴き出した。が、当の繁之本人はというと、噴き出した怜を妙なものを見るような顔つきで眺めている。
「はは、いい反応。だよね、そうなるのも分かる」
「……おい」
「なんか……すみません」
「うるせえな。お前も謝るな」
不本意そうに全力で眉をしかめて言う繁之の顔からは、今しがたちらと見えたような妙なものは消えていた。だが、元々険しい顔がさらに強い渋面になっているせいで、余計に中年のような貫禄を感じさせる結果になっている。
「で、お前らは何をしに来たんだよ。仕事じゃねえのか」
まだ眉をしかめた渋い顔のままではあるが、話を変える繁之に、「ああ、そうだった」と怜は頷いた。
「いつもの花、お願いしていい?」
そしてようやく、本来の目的の話に入った。
驚くべきことに、ここに着いてからの会話はすべて、まだ店先でのみ交わされているものである。
狭い店内は、花や緑の香りでいっぱいだった。
入って左側には、壁付けにされる形で大きなショーケースが設置されており、天井に届く大きさのその中には、バケツに入った色とりどりの花が並んでいる。
ショーケースの外にも花は何種類も並んでいるが、中にあるものと外にあるものの違いは分からない。
店の奥には作業台があり、いくつものリボンやラッピング用の包装が置かれていた。そのそばの壁には伝票や何かのメモ書きがいくつも貼られており、大きなカレンダーにはいたるところにメモ書きが加えられているのも見える。
狭い中にそれらが押し込められているため、全体的に雑然とした印象である。
だが、それらを見回しながら、そういえば花屋に入ったのは初めてだ、と一葉は思った。
外を通ることはあっても、特別店内の様子を気にかけたことはない。店先に直物があれば、ああ花屋だな、と思うくらいで、それで終わりだ。
「珍しいか」
店内を見回していた一葉に、繁之が言う。
「ああ、いえ、普通の花屋ってこういう感じなんだなと思って」
言うと、そこで繁之はまた顔をしかめた。
「お前のとこと一緒にすんな。そんな花屋が他にいくつもあってたまるか」
「あ、今うちのことバカにした?」
軽い調子で怜が口を挟む。
「ああ? んなこと、言ってねえだろうが」
眉根を寄せて返すと、繁之は手慣れた様子で花を集め始めた。時折、取った花を合わせるようにして当ててみたりしているところを見ると、花束を作っているようだ。
ある程度集め終わると、今度はそれをまとめて適当な長さに切り、何かの液体をつけたティッシュのようなもので茎の先端を包む。そして繁之は、そのまま流れ技のように包装に取り掛かった。
集められた花は、小振りで質素なものが多い。
一つ一つを見れば確かにきれいなのだが、花束としては全体的にやや消極的な印象を受ける。色が白みがかった薄いものばかりだから、余計にそう思うのだろうか。
しかし、一葉がそれを言うと、「いいんだよ、これで」と、怜はただそう笑った。
そういえば、この「見舞いの花」は、前からずっと請け負っている仕事だと言っていた。
何の注文も無しに早業のように一つの花束が出来上がっていくのを見ると、「いつもの花」で通じる程度には、この依頼は繰り返されてきたものであるらしい。
「慣れたもんでしょ」
出来上がっていく花束を横で見ながら、怜が瞳を細める。
「あんなごつい手で、よくこんな繊細なものつくれるよな、て思うよね」
それには何と答えていいものか分からず、一葉はただ曖昧に返事をする。だが、怜の方にはそれを気にする様子は特にないようだ。
「花の種類も扱い方も、最初は何も知らなかったくせに、よくここまでできるようになったよなあって思うよ」
「……おい、聞こえてるぞ。お前は俺の親か何かか」
「見守ってきた者としてはね、感慨深いものがあるんだよ」
言う怜に対し、ふんっと鼻を鳴らして、繁之はリボンの取り付けにかかった。
「色はいつもと同じでいいか」
「ああ、任せる」
黄色の包装にオレンジのリボンを巻き始めた繁之を見ながら、怜は続けた。
「前にも話したと思うけど、うちで依頼を受けた「実際の花」は全部、ここにお願いすることにしてるんだ。一葉くんももしどこかで依頼を受けたら、納品の花はここで手配してね」
「別に俺は頼んでねえけどな。ま、それでうちがいくらか助かってるのは事実だ」
言いながら、ほらよ、と完成した見舞い用の花を繁之が怜に渡す。
「ありがとね」
「持ち運び用の袋もいるか?」
「ああ、いいよ。そのまま持っていくから。あ、領収書はくれる?」
「……今用意してるだろ」
「あ、そ?」
あくまでも軽い調子の怜は、受け取った花を手首のスナップをきかせるようにぐるんぐるんと回しながら繁之を待っている。それを見ていたら、思わず一葉は言ってしまった。
「あの、それって、そんなに振り回していいもんなんですか?」
うん? と手を止め、不思議そうな目がこちらを向く。
「いえ、そんなに回して花が崩れませんかね」
一葉としては、至極当然の言葉を投げかけたつもり。しかし、返ってきたのは、よく分からない答えだった。
「こう、適当な長さと重さがあるものって、回したくならない?」
「なりませんね」
「あれ、そう?」
首を傾げる怜に「ふん、言われてやがる」と横から繁之が差す。「回したくなるけどなあ」ともう一度ぐるんと回し、怜はうん、と何かに頷くと、ようやくそれ以上回すのをやめた。




