第5話 フラワーショップ山田
花屋の花を用意している、もう一つの花屋。
ここで少し、シゲさん視点が入ります。
フラワーショップ山田は、繁之が親から受け継いだ唯一のものと言っていい。
昔は「誰がこんな店」と反抗していた時期もあったが、今こうなっていることを考えると、人生どうなるか分からない。
繁之がこの店を継ぐと決めたのは、父親が亡くなった時だ。高校生の頃のことである。
繁之の父親は昔気質な人間で、頑固な男だった。事あるごとに口煩く言われるのが嫌で、あの頃はほとんど口もきいていなかったし、ろくに顔を合わせることも無かったと思う。
それが、急に死んだ。病気などではなく、事故だ。
あっけない、と思った。殺しても死なないような、しぶとい人間だとずっと思っていた。
両親は、繁之が幼い頃に離婚している。
男手一つでずっと自分を育ててきた父親を、繁之は尊敬というより、むしろ、あまり触れたくないものとしてずっと避けていたところがあった。中学以上の友人に、繁之の家が地元の花屋であることを知らない人間が多いのはそのためだ。
年中水を扱うため父親の手はいつも荒れてガサガサで、普通なら休みになる日も繁之の家には関係なく、それゆえに、繁之は休みの日に父親と一緒に過ごしたことがない。周りには親が自営業という家が少なく、会社員として社会で働いている父親が多かったこともあり、周りが羨ましいと思いこそすれ、自分の父親が誇らしいと思ったことは一度も無かった。
そう来ることも無い客のために朝早くから店を開け、夜遅くまで花の世話をする。愚直なまでにそのスタイルを貫く父親の姿は、繁之からすればむしろ滑稽だった。
扱っているのが「花」という、どちらかというと女っぽいものだったことも、余計に関係しているのかもしれない。
将来のことについて語り合うこともなく、食べさせてくれていることに感謝することも無かった。
それが、あっけなく死んだ。
最後に何を話したのか覚えていない程、ずっと口をきいていなかったことに、繁之はその時初めて気付いた。
あの頃の父親が何を考え、どう生きていたのか、もう知るすべもない。
分かっているのは、人を助けようとして代わりに死んだことと、いつからそうしていたのか、繁之を大学に行かせようと貯めていたお金が五百万近くに上っていたことだ。
そんなこと、頼んだ覚えは無い。
素行について口煩く言うことはあっても、勉強しろなんて言ったことも無い父親だった。繁之の方も、高校を卒業したらどこかで適当に働くものだと当然のように考えていた。それを。
バカ息子の頭が一体どれ程だと思って、こんな大金残してやがる。
季節が変わっても服も変えない。本当は酒好きなくせに、飲むのは年にたったの数回。暮らしぶりは決して裕福ではなく、どちらかというと切り詰めたギリギリのものだった。
一体どうやって貯めたのか分からないその金額に、繁之は思わず両手で顔を覆ったのを覚えている。
父親がどこまでの大学を考えていたのかは分からないが、繁之はそれから猛勉強をして、とにかく入れる大学に入った。
「大卒」という資格を得て、フラワーショップ山田の看板を再び上げたのは、二十三の時だ。
改装して新しくした方がいいんじゃないかという声もあったが、繁之はあえて父親がいた時のままの形で再開することにした。掲げた看板も昔のままだ。
最初は慣れないことも多く、なんでこんなことをやってるんだ、選択を誤ったか、と一日に何度も思ってしまうような毎日だったが、近頃はすっかり落ち着いている。
売り上げはそれ程多くはないが、それでも男一人で暮らしていく分には十分である。定期的に大口の注文を入れてくれるやつがいるから、というのも大きいかもしれない。
繁之は「腐れ縁」とも呼べる程の関係の友人の顔を思い浮かべ、次いで、黒光りするセダンにも平然と関わり続けるあの姿勢を思い出して目を細めた。
あいつとは、実は長い付き合いなのである。長い付き合いではあるが、あいつがなぜあんな訳の分からない仕事を始めたのか、今までちゃんと確認したことはない。そういうことを始める、と聞いた時も、ただ、そうか、と返しただけだ。
堅気の商売ではないとは思うが、あえて止めはしないのは、なぜそんな仕事を始めたのか、なんとなく理由を知っているからだ。繁之が思っていることが理由の全てではないとしても、踏み切るきっかけになったのは間違いないと思っている。
意外に、抱えるものが多い人間なのだ。あんな余裕な顔をして。
店の外でバケツの水を入れ替えていた繁之は、通りの向こうから見知った車が近付いてくることに気付き、作業していた手を止めた。
車は一つ手前の十字路で左右を確認するように軽く停止したあと、またゆっくりと加速し始める。
連絡もなくやって来るのは常のことだが、あの車でやって来る時はたいてい「花屋」がらみの時だ。
たまにふらっと顔を出す時もあるが、そういう時はだいたい歩きでやって来ることが多い。
友人の習性を顧みつつ、ああ、そういえば今日は水曜日か―――と思い出した。
毎日同じように過ごしていると曜日感覚がなくなってくる。カレンダーを見て曜日を思い出すということを、一日に何度も繰り返してしまう。
滅多に客の来ない店でも、なんだかんだと花の面倒を見ていると、毎日はあっという間だ。
そんなことを思いながら、繁之はやって来た車が店先に停車するのを眺めていた。
今日は月曜日か…と思いながら、これをUPしています。
もう週末になるのを指折り数えてます(゜∀゜)




