第2話 頼まれた仕事
「お願いしたいのは、お見舞いの花なんだ」
ウィンカーを出しながら怜はそう言った。ハンドルを右に切られた車は、そのまま川沿いの大きな道へと入っていく。
駅前を離れれば、驚台は基本的に古いつくりのアパートや家々がひしめき合う、いたって庶民的な住宅街が広がる場所だ。
そんな街を、あちらとこちらで大きく分断する場所がある。それが、驚台を通ってその先までを横断するように流れる万代川だ。
この万代川は、対岸の相手が米粒程度の大きさにしか見えない程広く、そのため入り組んで狭い通りが多い驚台でも、他にない程広く開けた場所になっている。
両岸の河川敷はマラソンコースにもなっており、犬の散歩やサイクリングにわざわざやって来る人も多い。
頼みたい仕事がある、と怜に言われて花屋を出たのは昼前のことだった。
朝方眩しかった日は今や空高く昇っており、視界を遮るものが何も無い川沿いの道の上には、雲一つ無い真っ青な空が広がっている。一月半ばとはいえ、ここまで綺麗に晴れ渡っているとなかなかに暖かい。車の中にいても、普段より暖かい外の陽気が伝わってくる。
「この先に大きな病院があるでしょ? 驚台総合病院って、知ってるかな」
「ああ、はい。ありますね」
運転しながらの言葉に、一葉は助手席から頷いた。
今日は車の調子もすこぶるいいらしい。今のところ、一度もエンストは起こしていない。……それが「調子がいい」の基準になること自体、まずどうかとは思うが。
驚台総合病院は万代川の向こうにあり、病院まではこの川沿いの道を行くのが一番早い。ただ、駅からは病院行きのバスが出ているはずで、それに乗ればぐねぐねと市街地の中を通ることにはなるが、それでも十分とかからず病院までは行けたはずだ。
一番近いこの道であれば、それなりに時間はかかるが、正直歩いて行こうと思えば行けないこともない距離である。
「そこに入院してる吉野さんっておばあちゃんに、お見舞いの花を届けてほしいっていう依頼があってね。今までは俺が行ってたんだけど、これからは一葉くんにお願いしようかと思って」
「今までってことは、以前からずっと請け負ってる依頼ってことですか?」
「うん、そうなんだ。さすが、察しがいいね」
向こう岸への橋のところで、前を走っていた大きなトラックが急停止する。
「おっと。ああ、赤信号か」
ハンドルを握っていた右手を離し、怜は髪をかきあげた。
たいていの場合、怜は首の後ろで適当に髪をくくっていることが多いが、今日はそうでなかったことにそれを見て気が付く。
何気なく窓の外に目をやると、橋のたもとに高校生と思しき男子のグループがたむろしているのが見えた。
男子高校生の制服なんて、どこも似たり寄ったりである。それがどこの制服かは分からないが、随分着崩れた様子で着ているのだけは分かった。
グループのほとんどが髪を明るく染め、ピアスなどのアクセサリーをつけているのも見える。よっぽど緩い学校でなければ、明らかに校則違反だろうと思えた。
サボりか―――。
今は平日の昼間。こんなところに高校生がいること自体がおかしい。
だが、その様子は世間への反抗を楽しんでいるようにも見える。
一人が立ち上がって逃げるのを、他の人間が追いかけて捕まえ、川の方に引きずっていく。互いに笑い合いながらの様子を見ると、喧嘩やいじめなどではなく、ただふざけているだけのようだ。
「―――青春だねえ」
声に振り返ると、運転席の怜もちょうど一葉が見ていたのと同じ方向に目を向けていた。
「寒いのに、元気だなあ」
普段より暖かいとはいえ、真冬の一月であることに変わりはない。それでも河川敷でああしてふざけ合っている姿を見て、思わずこぼれ出たというような純粋な感想だった。
ふざけ合う高校生たちに目を向けたまま、怜は瞳を和ませている。芯から感心しているような様子には、「大人」として抱いてもおかしくなさそうな、サボりに対する責めの色は全く無い。
学生は学校に行くべきだ、という概念がそもそも無いようにも思えた。
「一葉くんもあんな感じだった?」
「はい?」
「いや、最近まで高校生だったわけでしょ? どんな感じだったのかな、と思って」
「ああ―――、それで言うと、全くですね。俺は、ああいうのとは無縁でしたから」
一葉が高校生たちの方に目を戻しながら言うと、後ろから怜の軽い笑い声が聞こえた。
「そうなんだ、真面目だったんだね」
「―――真面目っていうのとは、少し違うと思います」
別に、あえてやろうとは思わなかっただけで。
日常に対する退屈も、世間に対する反抗も、特に抱くことは無かった。ただ、予め決められた社会的なルールを、あえて破ろうという気にならなかっただけだ。
「こうして離れてみると、ああいうのもやってみればそれなりに楽しかったかもしれないな、と今なら思いますけど」
「はは、それなりに、か。まあね」
ハンドルに身を預けるようにして笑った怜は、一葉を通り越して再び窓の外を眺めながら、何かを懐かしむようにその瞳を細めた。
「でも、いいよね。ああいう時間。そりゃあ、まっすぐに進めることが一番だけど、長い人生の中では、ああやって横道に逸れてみることもやっぱり必要だよ」
本当に、嫌になるくらい長いからね、人の一生ってものは。
静かにそう続いた呟きに、え、と思わず怜を見返す。だが、それを聞き返そうとしたところで信号が青になり、車が動き始める。
動き出した流れの中で、怜は仕事の説明に話を戻した。
「―――それで、依頼はお見舞いの花を届けることなんだけど、もちろんただ花を届けることが仕事じゃない。求められてるのは吉野のおばあちゃんを真実「お見舞い」することだ。一葉くんに持っていってもらいたいのは、ただの何でもない花じゃなく、お見舞いの花ってこと」
「つまり、俺にその吉野さんの「お見舞い」をしろってことですか」
「ま、そういうことだね」
「そうですか、分かりました」
答えると、少しの間を開けて「―――すんなりだね」と返ってきた。
「はい?」
ハンドルを握る怜の目は前に向けられたままだが、その横顔に小さな笑みが宿っているのが見える。
「随分簡単に受け入れてくれるなあって思ってね。なんていうか、疑念が無いっていうの? うちで「お見舞いの花」って言ったら、全く知らない相手のことを見舞わなきゃならないってことなんだけど、抵抗無く受け入れてくれるんだなあと思って」
「はあ……」
「だって、そういう状況って、普通に考えたらあり得ないでしょ?」
「でも、それが仕事ですよね」
何を言われているのか分からず、首を傾げて答える。
自分としては、至極当然のことをしているつもり。―――というより、逆に何を疑問に思えばいいのか分からない。
怜は「まあ、そうなんだけどね」と言いつつ、頭をかく。
「何か変ですか?」
「いや、そんなことはないよ。ま、気にしないで」
「はあ、そうですか」
それ以外に言いようがないので、そう答える。
いつの間にか、前を走っていたトラックはいなくなっていた。
◇ ◇ ◇
何か変ですか。
本気でそう思っていそうな今しがたの一葉の顔に、怜はなるほどね、と思った。
すんなり受け入れることができるのは、別に悪いことではない。問題は程度の話だ。
そこに、この少年がどういう類の思考を持っているかが表れている気がする。やはり、大きな疑問を抱くことなく、物事をそのまま呑み込むタチのようだ。
まあでも、そうじゃなかったら「花屋」にも来てないんだろうけど。
それを思えば、一長一短。そこが無ければ、まず始まっていない。
横に座る少年をちらと見やる。少年は、感情のあまり見えない顔でただ前を見つめている。
―――面白い。
怜は、自分の頬が自然と緩むのを感じた。
列車は、敷かれたレールの上を既に走り始めている。向かう先に辿り着くまで、自ら動きを止めることはない。いや、既に、止めようと思って止められる段階ではない。
どうなるか、楽しみだな。
フンフン―――……と鼻歌を歌い始めた怜を、今度は逆に横目で見てくる一葉の様子が、視界の端にちらりと見えた。




