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第四十五話 激憎と支配

 正直、また二年B組の教室に行くのは気が進まないが、水元と会う方法が浮かばないので行くしかない。


 変わらず昼休み。火七海さんと別れた後、俺は二年B組の教室に来ていた。

 とにかく、バレないように。水元が居るかどうかを確認する。どうやら、二年B組は活発な生徒が多いらしく、教室内に生徒は少なかった。


(りん)、先輩……」


 背後からの低い女子の声に、俺は思わず、殆ど反射的に身体を震わし振り返る。

 全く、トラウマになってるじゃないか。慰謝料を請求したいところだな。


「何しに来たんですか」

「……仲直りしに来た」

「私と? 無理ですよ。先輩がその気でも、私が先輩と仲直り出来る気がしない」

「そうか。じゃあ、せめて理由だけでも聞かせてくれよ。そこまでブチ切れる理由を」

「…………」


 発言を間違ったと、彼女の握り拳が震えるのを見て直感した。

 霧茅(きりがや)さんや。水元は反省してるって言ってなかったっけ? なんか普通に殴りかかってきそうなんですが。


「先輩が、そう出るなら。私も、先輩にとって大切な人を攻撃するだけです」

「どういう意味だよ」

「言葉通りの意味ですよ。同じことをやられたら、少しは反省出来るんじゃないですか?」

「…………」


 理不尽。聞く耳を持たない。一方的。

 ブチ切れそうなのは、俺の方らしい。


「なあ、誰に洗脳されたんだ?」

「は?」

「成宮か? 生徒会長か? それとも、他の誰かか?」

「あなたこそ、よくそこまでシラを切れますね。私には理解できません」

「理解できないよ。俺には、お前が何故そこまでブレ切れ状態なのか理解できない」


 今にも拳が飛んできそうな、そんな緊張感。廊下で、周りが動く中、静止し続ける俺は、水元の一挙一動から目を離せない。


「先輩には、肉体的攻撃よりも、精神的攻撃の方が効きそうですね」

「そうか? さすがにハサミやカッターナイフで刺されたら効くぞ」


 これ以上の会話は無駄と判断したのか、それとも、俺の真面目な返しに気が削がれたのか。水元は、舌打ちし踵を返した。


「…………」


 どうするべきか。仕掛けられる前に仕掛けるか?

 大切な人を攻撃すると、水元は言った。大切な人――風羅(ふうら)さんではないな。水元にとっても大切な人である以上、攻撃対象にはなり得ない。

 となると、霧茅(きりがや)蹴珠(けだま)木窯(こかま)か。いや、水元にとって、今の俺の大切な人は星喰でもあるのか。

 これ以上、無関係な星喰に被害が及ぶのは避けたい。やはり、俺から仕掛ける必要が……。


「なに難しい顔してんのよ」


 前から、ポンと俺の頭を叩いたのは火七海(ひなみ)さんだった。

 言葉は軽いが、その表情は、何処か不安そうなものになっている。


「いや、仲直りって難しいなって」

「……あんたがそう言うなら、多分あんたがどうこう出来るレベルじゃないみたいね」

「話にならなかったよ。だけど、だからこそ、これだけは言える」


 「水元は、勘違いをしている」

 頭に血が上り、まともに対話することすら出来ない水元。そこまで彼女をイラつかせる理由は何か。また、そこまで彼女をイラつかせるだけのことを、俺が自覚していない可能性はあるのか。

 答えは、ない。あり得ない。意図的に、例えば俺が火七海さんにやったような事を、水元の友人にしたとするなら、水元はブチ切れても仕方ないと思う。しかし、俺はそんな事をやった覚えはない。少なくとも、上園(かみその)と三人で話した日から先日殴られる前まで、俺は水元と一度も会ってないし、そもそも二年の生徒と会っていない。


 つまり、何者かが彼女に嘘の情報を流し、彼女を激昂させたということになる。何者かというより、水元の発言から推測するに、何か吹き込んだのは水元の友人だろう。


「どうするの? このままじゃ、あの子また何かしかねないでしょ」

「取り敢えず、何かする前に可能性を潰そうとは思ってる」

「当てがあるの?」

「一応な」


 水元の友人。俺に何らかの恨みがある。そんな人物が、実は一人存在している。


 金潟(かねがた)一輝(いつき)だ。


 彼女は、水元の友人であり、また霧茅関連で俺に恨みを抱いている可能性が高い。もちろん、まだ可能性の段階に過ぎないが。

 まあ、会えば分かるだろう。会って、裏金潟で対応してきたならクロ。内気な表金潟で対応してきたら、シロと判断しても大丈夫だと思う。


「正直、水元に反撃しようとも思ったけど、霧茅に釘を刺されてるしな。落ち着いていくよ」

「私も、その方がいいと思う」


 いつしか、火七海さんの表情から不安の色は消えていた。

 正直、火七海さんが来てくれなかったら、五限目、六限目と反撃のための作戦を練っていたと思う。

 そうなる前に、人と話せてよかった。また、過ちを繰り返してしまうところだったから。




 本当に。やり過ぎてしまうところだったから。


 やり過ぎてしまう。やり過ぎてしまう?











 金潟は陸上部だ。ということは、放課後に運動場に出れば嫌でも会うだろう。しかし、部活中の彼女に事情を訊くのは、なんか悪い。だったら、部活後に訊こう。

 そのような考えを巡らした俺は、放課後、教室内でシャーペンを指で回していた。


 十月に入り、日の出の時刻も早くなったということで、生徒の帰宅時刻は十八時に設定されている。今が、十六時半なので、あと一時間半といったところか。


 ……どうしよう、やることがない。

 勉強しろよって怒られそうだが、やる気がない時に勉強したって意味がないだろ? 要は効率の話だ。授業を終え、疲れきった今、再び脳を動かすことなど無理むりムリという話。かといって、無理矢理動かしても眠気との戦いになることは分かり切っている。

 では、ここで後一時間半。指の運動をしているかというと……まあ、勉強するよりマシか。という考えに至る辺り、俺はもうダメかもしれない。


「よう、九賀羽君」


 パチン。

 前からの声に意識を取られ、先ほどまで回していたペンは机の上に落ちてしまった。


「成宮?」

「おっ、俺の名前知ってたんだー」


 ワザとらしく目の前の成宮は言って、前の席の椅子に腰を下ろした。

 唐突な、あまり会いたくなかった人の登場。その予想外も予想外な出来事に、俺の心は『名前だけは知ってる他人』に対応する時の状態になっていた。


「何の用だよ」

「くれえなあ。もっと明るくいこうぜ。つか、上園や水元と喋ってた時は、もっと表情緩かったじゃん」


 上園はともかくとして、水元の名前も知っているとは驚きだった。やはり、顔は広いらしい。


「まあ、いいけどさ。で、どう? 俺の作戦。名付けて、新聞拡散作戦」

「…………」


 自分からバラしやがった。さすがは、完璧人間。やることが突飛過ぎて付いていけない。


「成宮がやったのかよ」

「えっ? いや、気付いてたっしょ」

「いや、だからって自分からバラしてどうすんだよ」

「ああ、そういうこと」


 「んなの決まってんじゃん」

 と、変わらず軽い調子で成宮は続ける。


「バレてることを、いつまでも隠しておいても仕方ないだろ?」

「バレてると決めつけて、自分で道を狭めることに意味があるとは思えないけどな」

「いやいや、分かってやってるに決まってんじゃん」


 完璧故の発言だろうか。それとも、実は完璧だったのは過去の話であり、今の彼は完璧でもなんでもないのだろうか。

 少なくとも、俺はその発言に対して同意はできなかった。


「それでさ。どう? こんな状況になっても、風羅小夜(さや)を狙い続けんの?」

「言うほど、悪い状況になってるとは感じてないよ」


 言った瞬間、失言だと感じたが、今更撤回も出来ないし別にいいか。


「へえ。聞くところによると、水元とも色々揉めてるらしいけど、それでも気持ちは変わらない?」

「ああ、変わらない。そもそも、この程度の問題で状況が悪化したと、よく思えるな」

「そりゃあ、まあ。でも、そうか。ほら、やり過ぎはいけないし」


 やり過ぎ、か。相手次第じゃ、"やり過ぎた"にもなり得たのかもしれないが、この程度、俺相手なら甘い方だよ。

 校内新聞に関しては、時間が勝手に修復してくれる。そもそも、どういう意図を持って今回の新聞拡散作戦を実行したのか、俺には分からない。星喰くらいだろう。今回の作戦によって、ダメージを受けた人なんて。


「せっかくだし、俺も訊きたいんだけどさ。どうして今回の作戦を実行したんだ? 俺と星喰が付き合っているというデマを流して、風羅さんにアプローチしにくくするのが目的か?」

「そういうのもある。けど、目的はそこじゃねえ」

「じゃあ、なんだよ」

「さすがに、それはバラさねえよ?」


 そらそうだ。


「あと、一応言っとくけど、水元のは俺はノータッチだからな」


 立ち上がり、そう最後に言った成宮は、そのまま教室を出て行った。やはり、水元のほうは金潟さんが個人で動いた結果か。

 さて、もう一度、彼がもっとしっかりとした意図を持って動いているという前提で考えてみようか。


 …………いや、いいや。頭が動かん。












 重いたい瞼を擦りながら、俺は蛍光灯が不気味に照らす二年の自転車置き場で人を待っていた。

 金潟は自転車通学らしい。いつだったか霧茅が言ってた情報を信じ、こうして待っているわけだが中々、ご本人は登場しない。

 まさか、俺が居るから来ないとか? だとしたら我慢比べになりそうだな。俺の得意分野だ。


 ――カシャン。


 自転車の鍵を外す音が静寂が包む自転車置き場に響く。

 なるほど、俺の推理はあながち間違ってもいないようだ。


「金潟さん」

「…………」


 自転車のカゴに鞄を入れ込んでいた彼女は、こちらへとゆっくり振り返った。

 その目に、その風貌に、その動きに、超が付くほど内気な彼女の姿は感じられなかった。


「何か用ですか?」


 無機質な、単調な声で彼女は反応を返した。

 以前、海水浴に行った際に感じたこと、また火七海さんの別荘に招待された時に感じたこと。ただ真っ直ぐ、感情の無い、いや内の感情を感じさせない目をした彼女が、そこには立っていた。


「最近、水元が俺に厳しいんだけど、何か知らないかなって」

「さあ」

「しかも、なんだか俺が水元の友人に何かしたから怒ってるらしいんだけど。全く、心当たりがなくてさ」

「そうですか」

「水元の友人として、何か知らない?」

「いえ、何も」

「そう。いや、知らないならいいんだけどさ。ただ……そうなると、後は霧茅に頼むしかないか」


 少しだけ。じっと目を向けていなければ分からないほど、一瞬、彼女は斜め下の視線をこちらに向けた。

 ギョロッと。まるで、ホラー。無機質な反応もあって、今目の前にいるのは本当に金潟なのかと疑問を持ってしまうほどに。


「霧茅に頼んで、直接水元に訊いてもらうか。それとも、水元の友人に事情を訊いてもらうか。あいつは顔が広いからなー」

「…………」


 無機質な目に灯り始めた、怒りや憎しみといった感情。

 あまり挑発を続けるのも良くないが、ここまで来たなら爆発させてやろうか。


「でも、霧茅は優しいからなあ。優しいからこそ、怒る時は怒るんだよ。水元も唆して、俺に攻撃をさせて。犯人を目の前にしたら、あいつなんて言うかなあ」

「何が言いたいんですか?」

「いや、いやいやいや。言葉以上の意味は無いよ。ただ、俺としては穏便に済ませたいからさ。余計な手を使いたくないっていうか。それにさ、これ以上水元を放っておいたら、どうなるかなあって」

「?」

「水元と今日の昼休みに話したんだよ。なんでも、俺の大切な人に攻撃し始める気なんだってさ。大切な人。風羅さんはないだろ? あいつにとっても大切な人なんだから。となると、友人辺りかなーって」

「…………」

「水元は、これから何をすると思う? 俺には分からない。今年の春に知り会ったばっかりだし。でも、話を聞く限りじゃ、一般常識の範囲内のことはしないと思うんだけど……」


 ここまで話して、俺はようやく金潟が、いつもの内気な彼女に戻っていることに気が付いた。

 加えて、下を向き、何かを悔いているような、何かとんでもないことをしてしまったような。例えるなら、大切なものを壊してしまった子供だろうか。裾を握り締め、目を見開き、呼吸を乱し、今にも倒れてしまいそうな。

 やり過ぎたのだろうか。つい、ヒートアップして不安を煽り過ぎたのだろうか。

 後悔ではなく、何か。そう……溜息。あと、疑惑。意外にも弱々しかった目の前の女子生徒に対する、失望に似た感情を胸に秘めながらも、俺はフォローのための言葉を探した。


「……まあ、何かする前に手を打つつもりだけどね。殴られて蹴られて、腹が立ってないといえば嘘になるけど。それでも、大事な後輩だし」

「…………」


 少しの希望に縋るように上げた顔に、涙はなく。ただ、絶望で顔は酷く、ぐちゃぐちゃにはなっていた。

 こんな、咄嗟に創作した言葉なのに。信じようとしてしまうのか。


「ああ、あと霧茅には言わない予定なんで。あいつは変に真面目だから、こういう時、めんどくさいんだよ」


 あわよくば、理由も聞けたら最高だったが、ここまできて話してくれるとは思えず。

 結果、金潟が落ち着くまで待ってから、俺は彼女を置いて帰った。










 翌日。教室に入った瞬間、俺のアンテナはまたもや不穏な空気を受信した。

 前回の続きか、それとも成宮が何か仕掛けてきたか。

 期待と不安を膨らませながら、俺は静かに自分の席に座って聞き耳を立てる。


 聞き耳を立てて。

 入ってくる情報を纏めた。


 『九賀羽凛が、後輩を虐めている』


 『九賀羽凛が、後輩に暴力を振るった』


 『九賀羽凛が、後輩を傷つけた』


 汗が一滴、机の上に落ち、俺はようやく揺れる視界を閉じた。

 心音が高まるにつれ、昨日の成宮に言った言葉が脳を駆け巡っていく。


 『変わらない』


 あの程度では、俺は崩れないと。状況は変わらないと。

 失言だと感じた俺の直感は、やはり正しかったようだ。


 成宮は、ここまで考えていたのか。


 ただ気持ち悪さだけが口の中を満たしていき、俺は思わず席を立ち、小走りで教室を出た。


 本物の後悔。取り返しのつかない事態。




 俺は、フラつきながらもトイレへと入った。

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