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第四十三話 M → S →(1/2)→ [G] → |N|

 十月九日、水曜日。

 朝、教室に入ってすぐに、俺の敏感なアンテナはある一つの違和感を受信した。

 視線、噂話をする時のような声量、視線、視線、視線、視線。

 気持ち悪さから、教室を出て行きたくなる気持ちを抑え、俺は自分の机に鞄を置き、噂話に耳を傾けた。


 『星喰(ほしばみ)


 一つのワード。


 『付き合ってる』


 ワード。


 『一年。アイドル。可愛い。会長の妹』


 ワード、ワード、ワード……。


「なあ、九賀羽(くがわ)


 これは、ワードじゃない。前から話しかけてきたのは、名前を知らないクラスメイトだった。

 なんで、俺は名前知らないのにお前は俺の名前を知ってるんだ。


「一年の星喰さんと付き合ってるってマジ?」

「いや、マジじゃない」

「えっ?」


 即答で否定。これには、男子生徒Aも唖然とした表情だ。

 しかし、やはりか。断片的に聞こえてきた単語から、そんな気はしてたけど。やはり、昨日一緒に弁当食べたのが効いてるのか。って、その程度でそういう噂が立つのか?


「いやいや、だってあの新聞部もそう言ってんだぜ?」

「新聞部?」

「D組の新聞部部長だよ。知らねえの? 鍋上(なべがみ)って名前なんだけど」

「いや、知らない」


 新聞部部長。ということは、文化祭実行委員会に大見得はって、後輩に苦労かけた奴か。


「それに、もう結構噂になってるぜ?」

「というと?」

「学校中で噂になってるって話だよ」


 このクラスメイトAは優しいな。そんな情報まで教えてくれるとは。

 まるで、RPGにおける序盤の村人Aじゃないか。是非、名前を訊きたいところだが、所詮は村人Aだし直ぐ忘れるからいいや。


「じゃあ、その噂の出処は鍋上さんだと」

「いや、出処は知らねえけど、広めたのは鍋上ってことになるな」

「そうか、ありがとう」

「お、おう」


 村人A、いや男子生徒Aはまだ何か言いたそうだったが、そのまま友人たちの元へと戻って行った。

 しかし、うちの学校はどうなってるんだ。校内新聞に、色恋沙汰を載せるのを許可するとか、モラルがどうたらこうたらだぞ。訴えられたら負け確定じゃねえの?


 まあ、いいや。訴える気とかさらさらねえし。

 それよりも、問題は噂の出処が何処なのかだ。生徒Aの話を信じるなら、少なくとも拡散させたのは新聞部部長である鍋上さんということが分かる。まさか、恩を仇で返されるとは。こんな事なら、一度顔合わせしとくべきだったか。

 まあ、拡散させたのはいい。新聞部である以上、それが活動方針だろうからな。もちろん、拡散させていいことと悪いことがある事はちゃんと理解してもらわなければならないが。

 問題なのは、鍋上が何処からその情報を仕入れたのか。例えば、俺と星喰さんが一緒に昼飯を食べていたのを偶然見たからといって、直様二人が付き合っていると記事を書くとは思えない。というより、書こうとしても同じ新聞部である螺咲(にしざき)さんが許さないだろう。真面目さが売りの彼女だ。確固たる証拠が無ければ記事を書かせないはず。まして、俺が言うのもなんだが、恩がある相手が関係する、加えてデリケートな内容なんだから、いつも以上に慎重になるだろう。


 なんにせよ、本人から直接訊くのが一番か。確か、D組とか言ってたっけ。D組なら霧茅(きりがや)が居るし、楽に見つけられそうだな。


 俺は、変わらない視線を浴びながら教室を後にした。











 噂話は、ここでも行われていた。

 だが、殆どの人が噂の渦中に居る『九賀羽(りん)』の容姿を知らないこともあってか、うちのクラスのように視線を浴びせられることはなかった。


 さて、あっちの教室に比べたら幾分も居心地の良いここで、さっさと鍋上さんを探しますか。


「――お、おい、り」


 急に目の前に現れ、名前を言いかけて自分で口を抑えたのは、霧茅だった。


「と、とにかく、廊下出ようぜ」

「霧茅。言わんとしてることは分かるから、そこまで焦らなくてもいいぞ」

「そ、そうか。じゃあ、冷静に外に」

「そうだな。でも、その前に鍋上さんが何処にいるか知らないか?」

「鍋上? 新聞部部長の? それがどうかしたのか?」


 霧茅は、今回の噂の拡散元が新聞部だと知らないらしい。

 友人知人から、噂について聞いてるなら、出処も聞いてると思うのだがな。


「ちょっと、そいつと話がしたいんだ」

「? ああ、分かった呼んでくるよ」

「うん。じゃあ、先に廊下に出てるわ」


 言って、俺は踵を返し廊下へと出る。

 しかし、あれだな、ちょっとした有名人気分だ。こんなコソコソと。

 そういえば、星喰の方は大丈夫だろうか? ただでさえ、水元曰く『同性人気が地に落ちてる子』だからな。色々、有る事無い事言われてなきゃいいけど。


「凛、連れてきたぞ」

「ああ、ありがとう」


 霧茅に連れられ出てきた、新聞部部長、鍋上。眼鏡をかけた気弱そうな男子生徒だった。


「じゃあ、ここだとあれだから屋上にでも行こうか」

「…………」


 少し怯えているようにも感じられる鍋上は、小さく首を縦に振った。

 いや、別に脅そうとか落とし前つけさせようとかは考えてねえよ? 普通に、原因究明のために協力してもらうだけだよ?


 そんな、俺無害ですよオーラも、今の彼の前ではあまり効果が無いようだった。











 厚い灰色の雲が覆う空の下。ひんやり空気が漂う誰もいない屋上に、俺たち三人は来ていた。


「先ず、確認だけど鍋上が今回の校内新聞の記事を書いたんだよな?」

「……はい」


 鍋上は、自信なさげに小さく答えた。

 今更なのだが、彼は俺が九賀羽だと知っているのだろうか。あまり、気にせずに連れてきてしまったが。


「そうか。なら、あの情報の出処はなんだ? ここまで話題になるってことは、それなりに、さも確定事項のように書いたんだろうけど。なら、新聞部としても何らかの絶対的証拠を掴んでいるということになるよな。例えば、俺か星喰さんに直接訊いたとか」


 明らかに怯えているような。追い込まれているような。鍋上は、ブレザーの裾を握り目線を下げていた。

 面白みがない。追求しがいがない。まるで、俺が悪者じゃないか。


「誰から聞いたんだ? まさか、自分で見た情報から適当書いたわけじゃないよな?」

「おい、凛」


 顔を青ざめているあたり、罪悪感はあるのだろう。つまり、彼は誰かから"無理矢理記事を書かされた"と推測することができる。

 となってくると、どうやって口を割らせるかだが……拷問のスペシャリストであろう水元と木窯でも呼ぶか?


「"成宮(なりみや)"か?」

「…………」


 反応はない。というか、疑問符を浮かべている。ということは、成宮じゃないのか?

 この手のタイプなら、正解を指摘されれば直ぐに反応に出ると思うのだが。


「…………」


 時間だけが過ぎていく。このままじゃ埒が明かない。

 こうなったら、適当に名前を羅列していこうか。


「少なくとも、自分で調べたわけじゃないんだな」

「…………」

「いや、答えたくないならそれでもいいけど。それならそれで、螺咲さんに訊くし」

「えっ? なんで、螺咲のことを」

「文化祭の時、新聞部にそこそこ良いネタを提供したのは俺だ。聞いてなかったのか? つか、俺が九賀羽だってことが先ず分からないか」


 この反応を見るに、今回の記事は鍋上が独断で作成した可能性があるな。もし、螺咲に相談してるなら、必ず俺の話題になるはず。ならば、自然に文化祭云々の説明が入るだろうから。


「螺咲は、関係ない。だから、訊きに行くのは、止めてくれ……」

「じゃあ、質問に答えろ。嘘偽りなく、真実を話せ」

「……それは」

「答えられないんだろ? なら、俺が螺咲さんに直接訊きに行く」

「…………」

「……はあ」


 鍋上が、螺咲さんに今回の件を追求されたくない理由が分からない。もし、螺咲さんの性格を考えるならば、否が応でも彼女から追及が来るだろうに。それを遅らせることに意味があるのか?

 もしかしたら、今回の記事を見た螺咲さんが、今まさにこちらに向かっている可能性だってあるのにさ。


「……霧茅、俺は今から螺咲さんのとこに行くから、鍋上のことよろし――」

「分かった! 分かったよ!」


 答えたのは霧茅でなく、額に汗を滲ませた鍋上だった。


「俺が説明する。だから、螺咲の所には行かないでくれ」


 このタイミングで折れた? 現在、鍋上としては俺と螺咲さんの接触を避けることが最優先事項だ。ならば、このタイミングは自然か?

 行動を起こそうとした時に、ストップをかけるように。

 ならば、その間、彼は何を考えていた?


「それで、情報の出処は何処だ?」

「……タレコミ、だよ」

「匿名希望さん、のタレコミか?」

「あ、ああ。あとは、昨日の昼休みの二人の行動から推測した」

「"タレコミ"と"推測"ね」


 言ってることが無茶苦茶だし、これならどっちにしろ確認しに行った方がいいか。『新聞部はタレコミと推測程度で記事を書くんですか』と。


「分かった。ありがとう」

「これで、納得してくれたよな?」

「ああ。『タレコミ』と『推測』で、新聞部が記事を書いているという事実が聞けて良かったよ」

「……いつもじゃない」

「一は百だ。新聞部なら、そういうのも考えて行動した方がいいと思うけどな」


 俺は、霧茅を手招きしつつ屋上から出た。

 もう、鍋上はいいや。これ以上の対話に意味があるとは思えない。


「なあ、凛。まだ、納得してないよな」

「さあて、どうでしょうか」


 不安そうな顔の霧茅に、俺はそう適当に答えた。











 時間は少し進んで昼休み。

 俺は、水元に螺咲さんのクラスについて訊くため、二年B組の教室に来ていた。


「みなもっとさーん?」


 小声で言って、俺は教室内を見渡す。しかし、水元の姿は見られない。

 入れ違いになったのだろうか? 最近は、風羅さん目当てでうちの教室に来ないから、自分のクラスに居ると思ってわざわざ来たのだが。


「仕方ないか」


 しらみつぶしに、各教室を当たって行った方が早そうだ。螺咲さんが、昼休みも部室に行くほど熱心に部活動されていないことを祈りつつ、な。

 取り敢えず、B組にはいないようだし、後はAとCとDとE組か。確か、二年は三年よりクラスが一つ少なかったはずだからな。


 そんな事を考えつつ、振り返った時だった。

 目の間には、つい最近見た表情の水元が立っていた。どうしたのだろうか?


「凛先輩。私は、友人か先輩なら友人の方を信じますよ」

「そうか。そんな宣言よりも、訊きたいことがあるんだがっ!?」


 躊躇いない右ストレートが、俺の頬数ミリ前を通過する。

 さすがは、水元。上園(かみその)を一人でポンとかグサッとかしようとしてただけはあるぜ。


「水元、俺は質問がっ!?」


 引いた直後、今度は右脚が俺の左脚膝部分に直撃する。

 所詮は女子の蹴りだが、絶妙な痛みと痺れが脚から脳天へと駆け抜けた。

 くそっ! こいつもしかして空手かなんか習ってたんじゃないだろうな!


「水元――!?」


 腹。鳩尾付近。体して鍛えていない俺の腹筋を抉る右ストレートは、胃辺りで溶けている昼食を逆流させるほどのものだった。


「ぐっ、うっ……」


 ここで吐くのまずい。不味いし、マズイ。

 冷や汗が噴出し、体温が急低下するのを感じながら、膝を崩した俺は逆流してきたものを、胃に強引に押し込んだ。


「水元、てめっ――!?」


 白。

 さすがに、顎に直撃した足先は、俺の意識を揺らすには、十分な、もの、だっ、た。


「…………」


 後頭部から床に激突し、俺は床に仰向けに倒れた。

 揺らめく意識と気持ち悪さ。痛みと寒さ、悪寒。背中全身に広がる痛み。後頭部から拡散される痛み。

 怒りなど沸かなかった。ただ、現状から逃げ出したいという恐怖のほうか大きかった。目的がわからない。相手が何に切れているのか分からない。

 俺が何をしたんだ……。


 そして始まるざわつき、声、声、大声、声、声、大声、白、追撃……追撃!?


 腹部に更なる一撃が加えられたが、当たりどころが良かったのか、今度は胃から何かが上ってくることはなかった。


 揺らめく意識が再覚醒を始める中、水元が誰かに――男子生徒に羽交い締めにされているのを僅かな視界が捉えた。

 白。やっぱ白じゃん。

 そして、俺を心配してくれる後輩の皆さん。二年B組の皆さん。

 白じゃん。殆ど白じゃん。


「大丈夫ですか!」

「先生呼んでくる!」


 …………痛みが引いてきた。落ち着いてきた。


「あの、大丈夫――」

「ああ、大丈夫」


 ゆっくりと身体を起こし、静かに頭を左右に揺らす。

 大丈夫。血は出ていない。おかしな点もない。


 俺は、まだ暴れ続ける水元を見上げた。

 見上げ、自然と笑みを浮かべていた。

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