第三十二話 マヨイビト
時刻は二十時過ぎ。
別荘から車で数十分の距離にある木傘山の入口にて、俺たちは組み合わせを決めるためのくじを引いていた。
「みんな引いたー? じゃあ、結果発表しまーす」
今から肝試しをするとは思えないテンションで、月下さんは組み合わせを読み上げ始める。
「一組目、上園君、風羅ちゃんペア!」
……は?
「月下さん。不正があったと思うんだけど」
「ごちゃごちゃ言ってると、金潟ちゃんのことバラすよ」
「すんませんでした!」
くそっ。こればっかりは運だから、なんも言えねえけどさ!
「さて次。二組目、蹴珠君、不地方ちゃんペア!」
「おおー。蹴珠君、よろしくね」
「ふむ、こちらこそよろしく頼みますぞ」
「蹴珠。薫に変なことしたら、マジで山に埋めるからな」
「あとで薫に訊くから。嘘ついても無駄だから」
「あれ? 我輩、信用無い??」
「ねえよ!」
珍しく、木窯と火七海さんの意見が一致した瞬間である。
さて、次くらいかな。問題は。
「じゃあ、三組目。霧茅君、金潟さん!」
「おっ、マジか。よろしく、一輝」
「よ、よろしく……」
この結果には、金潟さんも驚きを隠せない。
対する、橋元さんは月下さんをそれとなく睨みつけていた。
まあ、その反応は間違ってないさ。何故なら、俺が月下さんに霧茅に不正してくれと頼んだのだからな。
もちろん、最初は霧茅も渋っていたが、有耶無耶が一番良くないことを俺が力説したら、最後には理解してくれた。
ちなみに、月下さんはこの上なくあっさりと了承してくれた。まあ、霧茅が真面目に頼んできたのだから、了承せざるを得ないだろうが。
「じゃあ、四組目。九賀羽君、橋元さん!」
「橋元さん、よろしく」
「ええよろしく」
露骨に不機嫌な橋元さんは、俺に視線を返さずそう短く答えた。
そう、霧茅と金潟さんという二人きりの空間を作り出すために、邪魔者は徹底して排除しなければならない。つまり、橋元さんを監視する役目を担う人が必要になってくるわけだが……この結果を見るに、俺が選ばれたということになる。
実は、上園か俺かの二択で、そこは完全に運に任せようということになっていたのだ。
でも、今考えると、橋元さんと全く接点のない上園より、俺で良かったのかもしれない。いや、結果、上園が風羅さんとペアになってるから良くはないのか。
これなら、蹴珠が風羅さんとペアになった方が幾分かマシだ。蹴珠は女性耐性が低い時は低いからな。微妙に距離を取って歩くのは間違いないし、そのビビリプレイによってラッキーな展開になることも無い。
まあ、結果は結果。甘んじて……う、うけ、うけい、いれ、よう……。
「五組目は火七海ちゃん、木窯ちゃん!」
「ああ、悪い火七海」
「えっ? 何が!?」
「…………」
「ちょ、何か言いなさいよ!」
「こらこら、喧嘩するなら一人で行ってもらうよー」
「それは嫌!」
大丈夫だろうか。一応、木窯には後で釘刺しとこう。
「ラスト! 水元ちゃんと星喰ちゃん!」
「よろしくお願いしますっ!」
「うん、よろしく……」
今から肝試しをするとは思えないほど、楽しそうな星喰さんに対し、水元は気が気でないようだった。
大丈夫。きっと上手くいくさ。
「では、ルールはさっき説明した通りだから。一組目から順番にルート通り"歩いて"人形を取ってきてね」
ちなみに、ルール説明と同時に簡単な地図と懐中電灯が一人一つずつ渡されている。
その時にも強調していたが、やはり肝試しにおいて競歩以上のスピードで進むことはご法度だろう。
「じゃあ、行こうか」
「……うん」
上園と風羅さんは、ゆっくりと歩いて行った。
なんでだろ、握り拳が痛いや。
「二組目は十分後にスタートだからねー」
片道が大体十分程度らしいから、ちょうど人形があるチェックポイントに辿り着いた辺りでスタートになるのか。
まあ、要所要所で朝野さんと木七海さんがスタンばってるらしいから、多少は調整するんだろうけど。
「さてさて。待ってる間、怖い話でもする?」
月下さんの言葉に、不地方さんの背に隠れるように立っている火七海さんは即座に首を横に振った。
「そんなに嫌がることないじゃーん。これから肝試しやるんだから、怖い話してもしなくても一緒だって」
「いや、違うから! 全然、違うから!」
これには、俺も同意せざるを得ない。
結局、だらだらと各々の今夏の予定について話し、気づけば蹴珠、不地方さんペア、そして霧茅、金潟さんペアときて、俺と橋元さんの順番が回ってきていた。
ちなみに、既に上園、風羅さんペアは帰還していた。二人の表情を見るに――いや、風羅さんに限っては少し残念そうですらあるが、そこまで道中は怖いものではないのだろう。
しかし、風羅さんは意外とこういうのが好きなのかもしれない。残寝そうということは、期待外れということだろうし。……そういうところも可愛い。
「じゃあ、そろそろ九賀羽君、橋元ちゃんペア出発ねー」
「その前に、一つだけ確認したいのだけど」
風羅さんの方をニヤニヤと見ながら、懐中電灯がちゃんと点くかどうか改めて確認している俺の隣で、橋元さんは静かに言った。
「"不正は"無かったのよね?」
「そうだね。これは、"厳正なる"抽選の結果であって、第三者の手が加えられたなんてことは絶対にないよ」
橋元さんの真剣そのものな質問に、月下さんはいつも通りの口調で返した。
「そう。ならいいわ」
そして、意外にも橋元さんはそれ以上追求しなかった。
恐らく、橋元さんは不正があったことを確信している。だが証拠がないため、今この場でそこまで追求しなかったのだろう。
出来れば、肝試しが終わるまでそうしていて欲しい。穏便に。そうしたら、少なくとも橋元さんにとって悪い展開にはならないのだから。
ちなみに、橋元さんには今回の件について種明かししないつもりだ。水元曰く、もし暴露してしまったら、間違いなく橋元さんは金潟さんに追い打ちをかけるだろう、と。最悪、霧茅も同意していたと勝手に決めつけ、それをネタに完膚なきまでに叩き潰しにかかるだろう、と。
それを否定出来ないのが、残念なところである。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「ああ、そうだな……」
兎にも角にも、今は幽霊よりも何よりも、隣の橋元さんが怖い。
心から、俺はそう思った。
歩き出してから三分程度経ったところで、橋元さんは不意に足を止めた。
「ねえ、九賀羽君。月下さんの片道十分という言葉、どう思う?」
「えっ? いや、別になんとも」
「そう」
何が言いたいのだろうか? 片道十分は嘘だと? でも、だからといって、何か重大な問題が発生するとも思えないのだが。
「十分以上だとまずいのか?」
「十分でも二十分でも、私にとってはどうでもいい。むしろ、問題は彼女が複数の嘘をついている可能性があるということよ」
「複数の嘘?」
時折吹く風が木々を揺らし、静寂を乱していく。
「そう、嘘を、間違いなく、重ねて、自己暗示をかけて……」
「橋元さん?」
橋元さんの目は、明後日の方向を向いていた。
俺と話しているのに、そうじゃないような。
「動機なら大量にある。あいつは、私を嫌っていた。取られたくないと」
「橋元さ――」
「行かなきゃ」
「 私は 恋人
あの女に 取られる前に
穢される前に 汚される前に
まっててね 私は
公の恋人 恋人 恋人
恋人 恋人 恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人恋人
」
ボソボソと、呟くように、言い聞かせるように、まるで全てを見透かしているかのように、そして、彼女の顔は、
ぐりんと、こちらを向いた。
"あなたはあとでいい"
瞬間、詰まっていた歯車が、突然噛み合ったかのように、彼女は走り出した。
……………………。
静寂。
いや、また風が吹き、木がざわめき、俺は極めて自然に、足を前に出した。
俺は、また選択を間違えたのか。
いや、人の恋路に気づかれないように足を突っ込んだ時点で、決まっていたのだ。
余計なことをしたと。後輩の頼みとはいえ、やっていいことと悪いことがあると。
歪み出す世界を振り払おうと、俺は無我夢中で走り続けた。
そして、気づけば小さな広場に出ていた。
弱々しい月光が刺す、小さな広場。
そこだけ、まるで木々が避けているような。
「どうした? 迷子か?」
ふと、言葉が吹き抜け、俺は広場の中央に人が立っていることに気づいた。
何も持っていない若い男性。
手ぶらで、こんなところに何をしに来たのだろうか。
「迷子……かな」
「おいおい、自分が迷子かどうかも分からないのか」
「仕方ないだろ。無我夢中だったんだ」
人見知りする方だと思うのだが、彼には何故か、自然と言葉を返せていた。
「仕方ない……か。まあ、いいさ。せっかく会えたんだ。俺が元の道まで連れて行ってやるよ」
彼は笑顔を見せ、俺を先導するように歩き出した。
歩き続ける中、俺は二人を思い出していた。
今、どんな雰囲気で歩いているのだろうか。
今、どんな言葉を交わしているのだろうか。
既に、どれだけの言葉を交わしたのだろうか。
既に…………。
「悩みがあるだろ」
ふと、彼が言った。俺は静かに頷く。
「そういう時期だ。悩みなんて腐る程――いや、そういう表現は良くないな」
「合ってるよ。悩みなんて、全部が全部、必要なものとは限らない」
「そうでもないさ。感じ方は人それぞれでも、悩みに無駄なものなんてない」
話を戻そう。彼は、軽く咳払いをする。
「何に悩んでる?」
「自分の不甲斐なさ」
「そうか。何故だろうな。何故、動けないんだろうな」
「何処かで、諦めてるんだろ? 自分なんかには無理。彼女を手にすることなんて出来るわけない」
「言い換えると自身がないんだ。優しいからな。自分は彼女と釣り合わないと思ってしまう」
「もっと、割り切れればいいのか?」
「それは、良さを捨てることになる。嫌いな自分を無理して変える必要なんてないさ」
「でも、彼女を諦めきれない」
「分かってる」
「でも、だったら俺はどうすればいいんだ?」
「…………」
答えなら、もう出てるさ。
背を押され、俺は整備された道に出た。
振り返ろうとはしなかった。ただ、「ありがとう」と礼は言った。
「探さなきゃ」
今やるべきことは、橋元さんを探すこと。
俺は、小走りで先を急いだ。
いつしか三日月は厚い雲に覆われ、森から光が消失する。
懐中電灯の電池は切れ、俺はぼんやりと浮かぶ道をただ真っ直ぐ走っていた。
この道は何処に向かって伸びているのだろうか。
俺は、何処に向かって走りたいのだろうか。
無我夢中で手を伸ばした。それでも、何も掴めない。
何も掴めやしない。
機能を失った手の中の電灯に鬱陶しさを感じたが、俺はそれを投げなかった。
良心というやつだ。良心ってなんだ。
深い深い森の中。
上がっているようで下っている感覚を全身に受けながら、ふと、風の音に飽き飽きしていた耳に、何者かの声が届く。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」
終わった。
そうか、そのために走っていたのか。
良かった。良かった? 良かったのか?
友人想いか、ただのお人好しか、それともただの好奇心か――。
「――――――」
眼前の光景に、俺は心底――【落胆】――した。
あの顔は、あの目は、なんだったのか。
泣き崩れているのは、金潟さん。
勝ち誇ってるのは、橋元さん。
困惑しているのは、霧茅。
良かったじゃないか。作戦は成功したんだ。
これで、水元の願いは成就し、金潟さんが傷つくことも終わり、霧茅は迷う必要がなくなり、橋元さんは笑顔で恋人を楽しめる。
それでも。
また、一つ崩れていく。
しかし、時は進んでいく。
だが、これで一先ず終わり。
この物語の結末は、なんとも尾を引くものとなりそうだ。




