第二十二話 決行と調整
朝。二日連続で珍しく凄く早く学校に来た俺は、校内をぶらついていた。不思議なもので、昨日の朝と今日の朝は気分が大分違っていた。
「やあやあ、おはよう。九賀羽君」
昨日、霧茅にメールで訊いた通りだな。月下さんは朝にもの凄く強い。眠そうな感じがまるでしない。俺は、かなりしんどいというのに。しんどくて、挨拶を返すのも億劫になるほどだというのに。意識して朝早く起きることが、こんなにも辛いとは。
「九賀羽君も朝いけるタイプ?」
「……いや、偶々早く起きただけだよ」
「へえ、ちなみに九賀羽君はパン派? ご飯派?」
「パン派かな。それより、丁度よかった」
「ん? もしかして、何か用? ――あっ、風羅ちゃんか」
察しがいいな。
つか、今更だけど、朝早いなら昨日のも見られていた可能性があるか。
「うん。実は――」
「昨日の朝のことでしょ? いやー、九賀羽君、色々とやんちゃしたみたいで」
本当に察しがいいというか、何と言うか……。
つか、やっぱ昨日の見られてたか。
「どこから聞いてたの?」
「火七海さん乱入からかな。声が聞こえたから何事かなって」
「名前を知ってるっていうことは、火七海さんとは知り合い?」
「いや、九賀羽君がその子のこと『火七海さん』って言ってたからさ」
なるほどね。
「不地方さんと水元さんを利用して何かしたんだよね?」
「いや、実を言うとそれは違うんだよ」
「違う? いや、だって最後には風羅ちゃんに本当だって認めてたじゃん」
「まあ、話すと長くなるんだけどさ――」
言うほど長くもならないか。
俺は、月下さんに不地方さんと水元に関する事実の説明を始めた。
「――というわけ」
「ふーん、なるほどねー」
信じてくれただろうか。月下さんを信じさせないと作戦が前に進まないのだが。
「で、それを証明するために二年の頃、風羅ちゃんと交流があった私の力を借りたいと」
「まあ、そんな感じかな。あと、必要なら不地方さんと水元にも来てもらうけど」
「いや、いいよ。私、信用あるし」
そう、彼女は胸を叩いて言った。
自称信用有るは信用出来ないってね。いや、そう言ってくれるなら任せるし、今は月下さんしか任せられる人いないから、文句の一つも言えないんだけどさ。
「でも、誤解が解けたとしても、関わっていたことは事実だし、関係を修復するのは難しいかもね」
「それは仕方ないけど。でも、嘘を嘘のままにしておきたくないからさ」
「なるほどねー」
そもそも、今は風羅さんとの関係改善のために動いてるわけじゃない。風羅さんの誤解を解き、上園に間違いを訂正してもらい、諸悪の根源である火七海さんとの関係を拗れさせる。
我ながら性格が悪いと思うよ。
「じゃあ、早速。そろそろ風羅さん来るだろうし。九賀羽君はどうする?」
「俺はいいよ。今、風羅さんの俺への印象最悪だろうし」
居たら、月下さんの信用も下がりそうだ。そのくらい、今の俺は風羅さんにとって害悪でしかない。と思う。
「じゃあ、期待して待っててねー」
言葉通り軽い調子で、月下さんは小走りでかけていった。
なんと言うか、前も思ったけど本当に人生楽しんでるな、あの人。今から、大して仲良くない知人のために、これまた大して仲良くない友人に対する誤解を解きに行くなんて。
言葉は悪いが、暇人だと思うよ。月下さんは。
おおよそ、十分程度で月下さんは戻ってきた。
生徒の影が増えてきて、そろそろ下駄箱の前でボケっと立っているのがキツくなってきた所で戻ってきたので、俺としてはグッドタイミングと言わざるを得ない。
「分かってくれたよー」
開口一番、嬉しい言葉が飛び出した。
しかし、こうもあっさりと成功するとは。"月下さんの信用"は信用するに値するものなのかもしれない。
「ありがとう」
「いいってことよ。それより、B組戻ったら風羅さんと話しなさいよー」
そう言って、月下さんは再度、小走りでかけていった。忙しい子だ。
つか、風羅さんと話せって……うーん、難易度高いな。
誤解が解けたからといって、俺が上園と風羅さんの仲を引き裂くために色々してたことに変わりはないからな。それに、火七海さんが、俺が風羅さんのことを好きだって言っちゃってるから、凄い会いづらい。全く、余計なことを……。
まあいいや。あっちからきたら、ちゃんと話す。で、改めて謝る。でも、火七海さん経由の告白の話に関しては、適当に返せば追及はしてこないだろ。
さて、次は霧茅だな。
そろそろ、登校してくるだろうか?
「…………」
「よっ!」
「!?」
後ろから来やがった。いつの間に……。
「悪い悪い」
「お前はテレポーテーション使いか」
「テレポーテーション? あっ、回復薬か?」
「ポーション? いや、何でもないよ。それより、上園のことだけど」
「ああ。凛の言う通りだったよ。あと、もう一つ面白い事実が分かった」
「面白い?」
「あいつは、一人でいる子に片っ端から声をかけているらしい。中学の頃からやってるみたいで、あいつと親しい奴が言うには、そういう性格だからやってるだけで、ポイント稼ぎとかそういうのではないらしい。あくまで本人談だけどな」
「つまり、風羅さんに声をかけたのも」
「さあ、どうだろ。でも、キッカケはそれかもな」
きっかけがそうだった可能性。または、俺のようにただ一目惚れした可能性もあるか。
まあ、そんなことはどうでもいい。大事なのは、上園が俺の予想通り優しい性格だってことだ。これなら、アフターケアもバッチリである。と、同時に容赦無くやれるということだ。
「……なあ、凛」
「うん?」
「あまり、無茶苦茶するなよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと考えてるから」
「それならいいんだけどさ……」
心配してくれるのは有難いけど、さすがに俺もそこまで腹立ってないからな。
まあ、ちょこっとヒートアップして、ボロクソ言ってしまう可能性もあるにはあるが、あいつにも言われたからね。時間差痛み分けってやつさ。
……意味分からんな。教室に戻ろう。
既に教室にはクラスの半分程度の生徒が揃っていた。
うちのクラスの子らは早起きが得意らしい。今日初めて知った。
そんな健康な生活を送る生徒たちを横目に、俺は自分の席に座る。
座る。と、同時に横の列の一番前の席に座っていた子が立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。
「……あの」
およそ、二十四時間振りのセカンドコンタクトだが、やはり緊張は取れない。
高鳴る鼓動を感じながら、俺は彼女の表情を確認する前に先ず謝ろうとした。
「あの、この前は――」
「この前はごめん」
先ず、頭を下げての謝罪だった。先を越されてしまった……。
「その、あまりよく知らずに、決めつけちゃって……」
言葉を選ぶように視線をうろうろさせる風羅さん可愛い。
あと、普段話さない相手だからか、それとも異性が相手だからか、少し顔を赤らめてる風羅さん可愛い。
「月下さんから話を聞いて、その、勘違いだったって知って」
「……」
「でも、なんで九賀羽君はあの時、自分がやったって」
「いや、それは……」
あのまま、俺と火七海さんのいざこざに風羅さんを板挟みにするのは申し訳なかったから。加えて、どうせ叶わない恋なのだから、いっそ嫌われてしまった方が楽なんじゃないかと思ってしまったから。
なんて、言えるわけないよなー。
「いや、俺も急なことで混乱してたというか、なんと言うか……」
「そうなんだ。確かに急だったしね」
「うん」
「…………」
「…………」
やってしまった感。
でも、このお互いに言葉を選んでる時間が、こそばゆい一方で凄く気分的に満たされるというか、幸せというか、いつまでも続けばいいのにと思ってしまう。
あの時は、いっそのこと嫌われてしまえばいいやと思ったけど、でも、関係を修復出来るなら、こうやって、たまにでも会話が出来るなら、そんなこと口が裂けても言えないよなって。
ただ、そろそろ周りからの無い視線が気になってきたので、適当に返すとしよう。
「……あのさ」
「えっ?」
「その、出来ればでいいんだけど、風羅さんから上園の誤解も解いてもらいたいんだけど」
「……うん? うん、分かった」
「多分、昼休みに来ると思うから、その時にでも」
「うん、話しとく」
そういえば、俺が風羅さんを好きっていう話には触れてこなかったな。でも、風羅さんからしてもあまり触れたくない話題だろうし、出してこなくて当然といえば当然か。
俺も、これで「ごめんなさい」なんて言われた時には、早退する勢いだろうし……。
「……あのさ、九賀羽君」
「うん?」
「……えっと、ごめん。何でもない」
そう言って、風羅さんは自分の席へと戻って行った。
なんだろう? まあ、あまり深く考えても仕方ないか。
よし、これで完璧。昼休みに、という約束も守れた。
これで、仕込みは全部終わりかな。多分、残ってることはないだろう。
昼休み。
風羅さんの「あのさ、九賀羽君」の後に続く言葉が気になっていたせいもあって、時間が過ぎるのがとてつもなく早く感じた。
やはり、深く考えないようにしても、深く考えてしまう。まさか、俺が何か見落としてるんじゃないかとか、やはり不地方さんを使って上園との仲を引き裂こうとしていたことは許せないとか。
……考えても仕方ないのは分かってるのだが。それが、簡単に出来れば苦労はしないわけであって。
「――なあ、九賀羽」
「!?」
俺に話しかけてきたのは、上園だった。
今日は背後から話しかけられることが多い日だ。つか、お前飯はどうしたよ? まだ、昼休み始まって五分と経ってないぞ?
「昨日の話だけど」
「ああ、分かってるよ」
俺は、風羅さんの後ろ姿を横目に、彼女に聞こえないように小声で続ける。
「風羅さんに、昨日と同じように訊いてくれ」
「お前、まさか風羅さんに何か吹き込んだんじゃ――」
「それはねえ。ただ俺は、お前が一番信じるであろう人の誤解を先ず解いただけだから」
言って、まだ疑惑の目を向ける上園の腰を押した。
俺は腹が減ってるんだ。取り敢えず、飯を食わせろ。
「……分かった」
「あと、話が終わったら、風羅さんとは別に合わせたい人がいるから」
「? ああ」
でも、風羅さんが余所余所しかったらお前を許さねえからな。そんな感じの言葉を言いたげな表情のまま、上園は風羅さんの元に歩いて行った。
俺を信用出来ないのは分かるけどな。それだけのことをしたんだから。
「風羅さん、あの――」
「あっ、上園君」
飯を食いながら、恋をした相手と恋敵の会話を盗み聞く。
これ以上ない、最悪のおかずだな。
「あの、昨日の事なんだけど」
「私も、その事で話があって……」
なんか、地味にダメージ食らうから、もう聞かない。
カモン! イヤホン!!
ふっふっふ。音楽プレーヤーと繋げる必要はない。元々、遮音性は高いし、飯を噛む音でより聞こえなくなるからな!
………………。
時折、上園がこちらをチラチラ見てくるのだが、そんなに俺がイヤホン着けてるのが気になるのか。
………………。
ふう、ごちそうさま。
………………。
あっ、上園がこっち来た。イヤホン外そ。
表情から見るに、風羅さんの言葉を信用したっぽいな。
「九賀羽。一応、確認するけど合ってるんだよな?」
「ああ、何一つ嘘偽りはないよ」
「分かった。ただ、やっぱり俺は本人に訊くまで信じられない」
本人というのは、風羅さんに情報を流した張本人である火七海さんのことだな。
風羅さんから、聞き出したんだろう。そんな嘘を流した人は誰だって。
「分かってるよ。だけど、その前に会って欲しい人がいる」
そう、会って欲しい人。
火七海さんは、恐らく言い訳としてある言葉を使ってくるだろう。
これは、それの対処だ。
俺は立ち上がり、上園を連れ教室を出る。
予定では、木窯から連絡を受けた不地方さんが来てるはずなんだが。
「あっ、九賀羽くーん」
居た。いつも通りの感じで。前回、あんな事があったにも関わらず、それでもこうやって普通に俺と接することができる彼女は凄いと思う。
いや、別に見習いたいとは思わないけど。
「合わせたい人って、この前の」
「そう。不地方薫さん。この前、上園とぶつかった子だよ」
「この前はごめんなさい」
「あっ、いや、俺の方こそ」
いえいえ私の方こそ、とごめんなさい合戦になりそうだったので、俺は二人の間に割って入った。
「で、話だけど。火七海さんは、実は元々俺たちに協力してくれてたんだよ」
「……えっ?」
「だから、俺が不地方さんと水元を利用してるなんて嘘をついた。なっ、不地方さん」
「う、うん……」
これには、不地方さんも後ろめたさがあったようで。
そりゃそうだ。今やってることは、友達の罪を晒してるようなものなのだから。
「でも、なんで輝耶は俺と風羅さんの仲を裂こうとしてたんだ?」
「さあ? ただ、色々あって協力してくれるって話になったから協力してもらっただけだからな」
「そうか。分かった」
言ってもよかった。理由は、火七海さんが好きな上園に風羅さんを諦めさせるためだと。だが、さすがにそれは可哀想だろ。やり過ぎはよくないからな。
俺は、そのまま立ち去ろうとする上園の背に向かって口を開く。
「ただ、火七海さんは水元の方には全く関わってないし、不地方さんの時もその場にはいなかったからな」
「……分かった」
上園は再び歩き出す。恐らく、火七海さんに真偽を確かめに行ったのだろう。
多分、これで大丈夫。火七海さんが言い訳を使ってきても、それ以外でも。
「よお、面白いことになってんな」
直後、背後から話しかけてきたのは木窯だった。
これで、本日三回目の背後からの奇襲である。もちろん、三度目ともなれば驚くこともない。ちょっと、ビクッとなったけども。
「あっ、玲ちゃんー」
「木窯か。待ってたのか?」
「ああ。何か起きるなら昼休みだってお前言っただろ? あと、名前で呼ぶなよ、薫」
昨日、メールで木窯に、不地方さんに昼休みにここに来るよう一言入れといてと送った時に、ついでで書いておいたんだったな。
「さすがに、こっからじゃ何も聞こえねえな」
木窯が、そう言ったので俺も視線を前に戻す。
「気づかれてたかな」
ここから教室一つを挟んでD組の前。上園は、火七海さんと話をしていた。
教室内にいた火七海さんを呼び出したか、それとも偶々会ったから廊下で話しているのか。まあ、どちらでも良いさ。
「うーん。どうすっかな」
「木窯なら近づけるだろ?」
「でも、一応あいつと知り合いだからな。下手にヘルプ求められても困るし」
「なるほどね」
「ここからでも、火七海の顔は見れるからいいんだけどな」
「ほんといい趣味してるな」
「お前ほどじゃねえよ」
言うねえ。
でも、俺もそこまでエグいことやってないと思うんだけどな。単に、やられたことをやり返してるだけだし。言い換えれば、妄言を正してるだけだし。
だけど、確かに俺も人のこと言えないかもな。
「つかさ、火七海が本当のことを言う可能性はなかったのか?」
「本当のこと?」
「薫を利用したしてないの話だよ。友人を利用されたから嘘ついて嵌めたって言われたら、上園だって黙ってねえだろ」
「そんなことか。それなら大丈夫。上園の性格を考えれば、そんな事を言われても火七海さんが嘘をついていい理由にはしないはず。むしろ、印象は更に悪くなるだろうな」
「なるほどな。でも、お前の印象も悪くなるんじゃねえの?」
「上園にならいくら嫌われても気にしないさ。それに、俺は火七海さんに復讐しつつ、風羅さんとの亀裂を修復出来ればそれでいい。それに、俺は"利用してない"。これは紛れもない事実だよ」
上園は優しくて真面目だ。だから、嘘をついたという事実が事実だと分かった時点で、例え友人がどうのという話になったとしても問題はない。その件について、再度俺に訊きに来たとしても、不地方さんを使えばいいだけの話だ。そうすれば、利用したという悪意のある表現が嘘であることが分かり、火七海さんにとっての状況が悪くなるだけだろう。
にしても、酷いもんだ。
火七海さんの表情が暗く、後がなくなっていくのを見ていると背筋がゾクゾクしてくる。自然と口元が緩んでいく。昨日の朝、俺に対して復讐の成功を確信し、口元を緩ませた彼女の姿はもういない。あるのは、絶望から逃れるために必死に想い人に縋りつき、即席の言葉を投げるという醜態を晒す姿だけだ。
「ちょっと、可哀想なんじゃねえの?」
「オーバーリアクションをしてるから、そう見えるんだよ」
「…………」
「普通の言葉じゃ通じない、だから身振り手振りを使うし、情にも訴える。でもまあ、ここまで必死になるほど上園が好きだったとは予想外だったよ」
「……やっぱ、お前最高だわ」
「いや、そんなことないよ」
……いや、そうなのかもしれない。
ここまで、精神的に傷つく彼女を見てもなお、最後の仕上げをしようと画策してしまう。
まだ、足りない。まだ、やり足りない。
「じゃあ、私はそろそろ行くわ。薫も行こうぜ」
「……うん」
上園が火七海さんに背を向け、こちらに向かって歩き出したところで、木窯と不地方さんは自分の教室に向かって歩き出した。少し悪いことをしたな、不地方さんには。
それにしても、酷いもんだ。そんな女々しい姿を、よくこんな人のいる廊下で晒せるな。
俺は、お前を尊敬するよ。火七海さん。
「――九賀羽」
気づけば、上園が目の前に立っていた。
「言っただろ? 証拠を見せるって」
「悪い。まさか、輝耶が嘘をつくなんて」
俺もびっくりだよ。火七海さんは、もっと賢い人だと思ってたのに。
「彼女には彼女なりの考えがあるんだよ。それに、だからといって俺が悪いという事実に変わりはないからさ」
「そうだけど。でも、嘘は良くないから。輝耶には、九賀羽に謝っとくよう言っておいたけど」
「別にいいよ、そんなの。それよりも、火七海さんのことを嫌いになったりしないでくれよ」
「九賀羽……。ああ、分かってるよ」
二人は、ずっと前から付き合いがあるんだ。今更、こんなことで関係が崩れるとは思ってないが……。
「じゃあ、俺はそろそろ戻るよ。ほんと悪かった」
そう目の前で頭を下げ、上園は戻って行った。
本当に優しい奴だな。俺が二人の仲を裂こうとしていた事実は何も変わってないのに。
さて、俺も自分の教室に戻るか。
放課後。
適当に教室で時間を潰し、殆どの生徒が帰るのを待ってから俺は教室を出た。目的地は、失意の底に沈んでいるであろう火七海さんが居るであろうE組の教室だ。
「やっぱりな」
夕陽が照る教室の中、窓際の席に座り某然としていたのは火七海さんだった。
心ここに在らず。失恋、かどうかは知らんが、それが彼女の心に与えるダメージというのは、かなりのものだったらしい。まあ、俺だって似たような傷を味わったんだ。だからこそ、そうなるのも分かるさ。
しかし、居たらラッキーくらいに考えてたんだけどな。まさか、ここまでとは。
「よう、火七海さん」
声だけでは誰か判断出来なかったのだろう。俺の姿を視界に写した瞬間、その目は血走っていった。
「九賀羽、凛!!」
まるで獲物に飛びかかる獣のように、歯を食いしばり立ち上がった火七海さんは、そのまま俺の襟元を荒く掴んだ。
「あんたのせいで! あんたのせいで、私は!!」
「龍に嫌われちゃったな」
「――!!」
「残念残念。始まる前に終わっちまったな。お前の恋」
「…………」
襟元から手を離した火七海さんは、そのまま力なく席に座り、項垂れた。
もう、反抗する力もないか。
ああ、口元が緩んで仕方ないよ。どうしてくれんだよ。今の俺、多分悪人面だぜ?
「こうなることは分かってたんだろ? お前は、それだけ無茶苦茶な賭けに出たんだからさ」
「…………」
「友達のためとはいえ、もう少し考えて行動すべきだったな。やろうと思えば出来ただろうに、もったいないなあ」
「――悪いのは全部あんたでしょ! あんたが、あんたが薫を利用して、龍と風羅小夜の仲を裂こうとした。誰がどう見たって、悪いのはあんたよ」
「ああ、悪いのは俺だ。でも、だからといってお前が風羅さんに"嘘をつく"という悪いことをした事実は変わらない」
「……なんでよ。私は、ただ薫が利用されたのが許せなかっただけなのに」
「残念、俺も同じだ。俺も風羅さんとの仲を裂かれたから、こうやってお前を貶めた。やられたからやり返した。ただ、それだけのことだろ?」
何を言っても、その全ては論破される。
当然だ。嘘をついたという、事実を捻じ曲げたという罪は、どのような理由の前でも罪で有り続けるのだから。
「もし仮に、お前が事実をそのまま上園に伝えてたら、もう少しお前にとって良い展開になっただろうな」
「……もういい。終わったんだから、そんなことを考えても仕方ない」
「終わったのか?」
「終わったわよ。あんたも見てたでしょ? 嫌われたの。龍に。私は」
「……本当にそう思ってるのか?」
火七海さんは、顔を上げた。涙に濡れた、酷い顔を。プライドなど影も形もない、面を。
「上園と幼馴染なんだろ? ずっと、一緒に居たんだろ? なら、あいつがどういう性格なのかはお前が一番よく知ってるだろ」
「…………」
「あいつは優しいよ。まだ、少ししか話してないけど、それでも俺はそう感じた」
何かを考えるように、何かを思い出すように、火七海さんは視線を下げた。
上園は優しい。だから、そう簡単に人を嫌いになったりはしない。どんな罪を犯そうとも、そこに何らかの理由がある限り、あいつはそれを受け止めるだろう。
「……じゃあ、俺は帰るわ」
言いたいことは言ったから。いや、興が冷めたからだろうか。
俺は、振り返り教室を出ようと歩き出す。
「待って」
声に、俺は歩みを止めた。
「あんたは、そこまで考えてたの? そこまで、考えた上で私を――」
「まさか。そんなお人好しがいるわけないだろ」
苦笑しながら言って、俺は再度歩き出した。
偶々だよ。偶々、そうなったから。特に何をするでもなく、上手い具合にピースが嵌ったから、そうしただけに過ぎない。
そんなもんだろ? 別に、俺が何もケアしなかったとしても、同じ展開だったさ。
教室を出てから、ふと窓の外に目をやる。
夕陽が眩しい。眩しいから、早く帰ろう。疲れたから、早く帰ろう。
一つ息を吐いて、俺は再び歩き出した。




