第6話「知らない彼女」
8月22日
祭りから1週間が経った。
あの日から、すとりーとの動画をさらに漁った。ネタはもちろん、ラジオや昔のインタビューまで。気づけば、かなりの量を見ていた。
おかげで、陽菜ちゃんとの話題も少しずつ増えていった。
「KENって昔からあのキャラだったんだね」
「そうなんですよ! 小学生の頃からずっと変わってなくて。地元のインタビューで昔の話してるの聞いたとき、なんか安心したんですよね」
「じゃあRYUの方は?」
「そっちはあんまり詳しくなくて」
そんな他愛もないやりとりなのに、不思議と楽しかった。
共通の話題があるって、こういうことなんだと思った。
その時間に身を預けながらも、頭のどこかでは別のことを考えている。
あと十日ほどで、夏休みが終わる。
このバイトも終わる。
そして、この”当たり前みたいに話せる時間”も、終わる。
……考えても仕方ない。
今は今で、ちゃんと楽しめばいい。
そう思った、そのときだった。
ドアベルが鳴った。
顔を上げると、坂本颯太が店に入ってきた。
「あ、颯太! どうしたの、いつものとこで待っててくれたらよかったのに」
陽菜ちゃんが、いつもの調子で笑う。
いつもの、とこ。
その何気ない言葉が、引っかかった。
バイト終わりに、いつも待ち合わせているのか。
頭の中に、勝手にその光景が浮かんでしまう。
胸の奥が、少しだけ重くなった。
颯太と目が合う。けれど彼はすぐに視線を陽菜ちゃんへ戻した。
「どうしても、早く言いたくて」
少し興奮を抑えきれない声だった。
「あと三十分くらいで上がれると思うんだけど——」
「もう上がっていいぞ、陽菜」
カウンターの奥からマスターが声をかけた。
「今日暇だし、どうせすることもない」
「え、いいんですか?」
「構わん」
「ありがとうございます! じゃあ着替えてきますね」
軽く頭を下げて、陽菜ちゃんが奥へ消えていく。
静かになった店内で、颯太がカウンター席に腰を下ろした。
「アイスティー、一つお願いします」
「あ、すぐ来ると思うんで大丈夫ですよ」
「走ってきたんで、喉カラカラなんです」
「じゃあすぐお持ちしますね」
氷の音が、やけに大きく響いた。
アイスティーを出すと、颯太は一口飲んでから、何気なく口を開いた。
「陽菜、頑張ってますか」
「もちろん。最初はミックスジュースも満足に言えなかったのに、今じゃ常連さんの顔と好みも全部覚えてますよ」
「初日に言えるようになったの、すごい喜んでたんですよ」
「……そうなんだ」
その返事は、少しだけ遅かった。
報告してたのか、その日のうちに。
「真面目ですよね。メモもしっかり取ってて」
「でもあれ、小さすぎて読めないでしょ」
颯太は当然のように言う。
……よく知ってるな。
「昔からそうなんです。やりたいことができると一直線で。小学校のときも、児童会長やるって言い出して、本当に立候補して、そのまま当選して最後までやり切って」
「へえ……あの子らしいね」
だめだ。勝てない。俺の知らない陽菜ちゃんを、こいつは知りすぎている。
そう思った瞬間、胸の奥に妙な敗北感だけが残った。
そのまま曖昧にグラスへ視線を落としていると、奥から足音がして、陽菜ちゃんが戻ってきた。
「お待たせしました! 何の話してたんですか?」
「陽菜の小学生の頃の話」
「何それ!? 颯太、変なこと言ってないでしょうね」
「言ってないよ」
「ほんとに?」
「ほんとだって」
陽菜ちゃんはじとっと颯太を見たあと、今度は俺の方へ視線を向けた。
「先輩、ご迷惑おかけしました。じゃあ行きます」
「お疲れ様」
「お疲れ様でした!」
深く頭を下げると、陽菜ちゃんは颯太と一緒に店を出ていく。
ドアベルが鳴って、二人の声が少しずつ遠ざかっていった。
「青春ねえ」
奥からマミさんの声がする。
「お前は最後まで居ろよ」
いつまでも見送っている俺の背中が気になったのか、マスターが続ける。
「わかってますよ」
そう答えて、グラスを磨く手を再開した。
※※※
この日は結局一日中暇なままだった。
閉店作業を終えてロッカーからスマホを取り出すと、陽菜ちゃんからLINEが来ていた。
『先輩、相談があるので終わったら連絡ください』
心臓が跳ねた。
相談。陽菜ちゃんから、俺に。
なんだ、何の話だ。仕事のことか、それとも——
考えすぎだとわかっていても、指が少し震えた。
『ちょうど今終わったよ』
返信して、スマホを握ったまま待つ。
既読がついた瞬間、着信が鳴った。
「お疲れ様です、先輩。あの、相談があって」
「どうしたの?」
「一度決まったシフトって、変えることってできないですよね」
「何かあった?」
「来週の29日に、颯太が試合に出れることになって。見に来て欲しいって言われたんですけど、その日シフト入ってて」
颯太の試合か。
少しの間、黙り込んでしまった。
「……先輩? やっぱり、ダメ、ですよね?」
しまった、不安にさせてしまった。
「自分で入れてもらったシフトだし、急に言うのって迷惑ですよね。変なこと言ってごめんなさい」
矢継ぎ早に言ってくる。声に、申し訳なさと罪悪感が滲んでいた。
気持ちはわかる。俺も最初はそうだった。一度入れたシフトを変えることが、取り返しのつかない迷惑をかけることみたいに思えて、なかなか言い出せなかった。
「29日って、来週でしょ?」
「そうです」
「だったら全然大丈夫だよ。1週間も前に言ってくれてたら、店の都合もつけやすいから」
「でも、私が入れてもらったのに」
「誰でも急用くらいあるって。それに急じゃないし、ちゃんと前もって言ってくれたら大丈夫」
しばらく間があった。
「……本当にいいんですか」
「いいって。マスターにも俺から言っとくよ」
「いえ、それは私から言います」
即答だった。
迷惑をかけたなら自分で言う、という声だった。
「じゃあお願いします。本当にすみません」
「気にしなくていいって」
「ありがとうございます。じゃあマスターに連絡してみます」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい」
電話が切れた。
俺はそのままロッカーにもたれて、天井を見上げた。
颯太の試合か。
……まあ、仕方ない。幼馴染なんだから見に行きたいよな。
それより陽菜ちゃんが「ありがとうございます」って言ってくれた。あの嬉しそうな声、なんかよかった。
陽菜ちゃんの役に立てたことがこの上なく嬉しくて、気づいたら鼻歌が出そうになっていた。
しばらくして、店の電話が鳴った。
マスターが出る声が聞こえてくる。
陽菜ちゃんからだろうな、と思いながら着替えていた。
「今、陽菜から連絡あったけど。来週休みたいってことでOKしといたぞ」
ロッカー室のドアが開いて、マスターが顔を出した。
「俺も聞きました。俺なら大丈夫ですから」
「そうか」
マスターが少し間を置いた。
「その日、お前の送別会だけどよかったのか」
手が止まった。
そうだった。
29日は、マスターとマミさんとマイさんが閉店後に送別会を開いてくれる日だった。シフト最終日の31日は片付けや引き継ぎで慌ただしくなるからと、二日前に早めに開いてくれる予定だったのだ。
もちろん陽菜ちゃんも来るはずだった。
……陽菜ちゃんが、いない。
「……忘れてました」
「そうか」
マスターがそれだけ言って、ドアを閉めた。
さっきまでの鼻歌気分は、跡形もなく消えていた。




