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喫茶ストーンリバーのバイト日記  作者: 水無月菜乃花


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第5話「夏祭り」

8月8日


陽菜ちゃんの友達が来店してから、3日が経った。


あれからも陽菜ちゃんは変わらず接してくれている。いつもと同じ笑顔で、いつもと同じ声で。それだけは確かだ。


ただ、あの日の友達の反応が怖くて未だに聞けていない。


あの日俺がやったことを思い返すと、今でも胃のあたりが重くなる。野球を見抜くくだりも、プリンのくだりも、全部滑った。颯太とかいう幼馴染が陽菜ちゃんと楽しそうに話していたのを横目で見ながら、グラスを磨き続けた時間のことは、なるべく思い出さないようにしている。


そんな事を考えながら開店準備を進めていると、陽菜ちゃんの声がした。


「あ、すとりーと来るんだ」


カウンターから目を上げると、陽菜ちゃんと麻衣さんが店の壁に貼られたポスターを見上げていた。地元で毎年開催されている夏祭りのポスターだ。いつ貼られたのか、今まで気にしたこともなかった。


「知ってるの?」


マイさんが少し目を丸くした。


「好きなんですよ、昔から。マイさんは?」


「私も。結構前から知ってて」


「えー、そうなんですか」


二人の声が弾む。俺はカウンターの中で手を動かしながら、その会話に混ざらずにいた。


二人の会話が断片的に聞こえてくる。どうやらその夏祭りに来るお笑い芸人の名前らしかった。KENが、とか、RYUが、とか。漫才の話、ネタの話。楽しそうに話す二人の声を聞いていると、そのコンビのことを本当に好きなんだなというのが伝わってきた。


俺にはよくわからない話だった。


「……すとりーと」


名前だけは、しっかり心に刻んだ。


※※※


「へー、地元出身なんだ」


その日の夜、家に帰ってすとりーとについて調べまくった。


RYUとKENの二人組で、高校の同級生同士でコンビを結成、卒業後すぐに地元を出て大阪で下積みを始めて約8年。最近少しずつ売れてきているらしい。


ネタも動画でいくつか見た。普段お笑いをそこまで見るわけじゃないが、地元ならではのネタがあったりして、気づいたら笑っていた。


ただ、見ていくうちに気になることがあった。


幼馴染のネタが多い。幼馴染に再会するとか、幼馴染に告白するとか。そういうものが妙に目につく。


陽菜ちゃんが昔からこのコンビのファンだと言っていた。もしかして——そんなことが頭をよぎってしまって、動画を閉じた。


とにかくこのすとりーとが、来週地元の夏祭りにやってくる。陽菜ちゃんも絶対見に行くと言っていた。つまりこの日、確実に陽菜ちゃんが祭りにやってくるということだ。もしかしたら浴衣で、なんてことも……


そんなことを考えていると、スマホが鳴った。小学校からの友達の直樹(なおき)からのLINEだった。内容はたわいもないことだったが、通知を開いたまま電話をかける。


「おお、康介。別にLINEで良かったのに」


「そんなことより来週暇?祭り行こうぜ」


「いきなりどうした?」


「すとりーとが来るんだよ」


「芸人の?お前お笑いなんて興味なかっただろ」


「興味持ったの」


しばらく間があった。


「ふーん。どうせ女子関係だろ」


図星だった。何も言えなかった。


「まあ面白そうだから行くわ。どんな子か見てみたいし」


「……来んな」


「お前が誘ったんだろ」


笑いながら行くと言う直樹と待ち合わせ場所を決めて、電話を切った。


来週の夏祭り。絶対に、うまくやる。


※※※


8月15日、夏祭り当日。


直樹と待ち合わせて祭り会場に着いたのは、ステージの前に人が集まり始めた頃だった。


「早くね?」


「ちょうどいいだろ」


「ライブまでまだ一時間あるぞ」


直樹が呆れた顔をした。構わず人混みに目を向ける。浴衣姿の人が多い。陽菜ちゃんも来ると言っていた。もしかしたら——


「いた」


「え、誰が」


「なんでもない」


少し離れたところに、陽菜ちゃんの姿が見えた。


「行くぞ」


「どこに」


返事をせずに歩き出した。さりげなく、自然に、近づいていく。陽菜ちゃんの少し手前まで来たところで、俺は前を向いたまま言った。


「いやー、楽しみだなー」


「急になんだよ」


直樹の声が後ろから飛んできた。


「すとりーと、生で見るの初めてだから」


「さっきまで黙って歩いてたくせに」


「康介先輩!」


陽菜ちゃんが気づいて声をかけてきた。


「あ、陽菜ちゃん。奇遇だね」


我ながら白々しかった。


「先輩も来てたんですね!」


陽菜ちゃんが嬉しそうに笑う。思った通りの浴衣姿。…可愛い。思わず目が止まりかけたところで、横から声がかかった。


「あ、榛名のバイトの先輩じゃん。こないだはどーも。まじカッコよかったっすよ」


声のした方を向くと、この前お店に来た派手な女子だった。その隣にあの時の男子と、坂本颯太。今日もこの四人で一緒に来ているらしい。


「……ああ、どうも」


揶揄われている。そうとしか思えなかった。あの日の自分を思い返せば、当然だ。


「いや本当に。ねえ」


隣の男の子に話を振っている。


「うん、なんか大人の人って感じがした。」


そっちまで頷いている。もう愛想笑いを返すので精一杯だった。


颯太と目が合った。


「……どうも」


「どうも」


一瞬、空気が張った。


「すとりーと好きなんですか?」


颯太が聞いてきた。


「まあね。昔から見てたから、最近ようやく売れ始めて——嬉しいような、寂しいような」


なぜかわからないけど、つい見栄を張ってしまう。


「どのネタが好きですか?」


「うーん、どれも好きだけど……やっぱりあれかな。駄菓子屋のやつ」


くる直前に動画で見たばかりのやつだった。


颯太の目が少し動いた。


「あれいいですよね。あの駄菓子屋、緑町の丸井屋が元ネタなんですよ。KENが子供の頃よく行ってたところで」


「え、そうなの?」


思わず声が出た。


「すごいな」


(詳しいな、こいつ。)


続けようとしたところで、ステージから歓声が上がった。


司会に紹介されて、ステージの上にスーツ姿の二人組がやってくる。会場がどっと沸く。


ふと横を見ると、陽菜ちゃんがステージを見上げていた。


楽しそうだった。さっきまでとは少し違う顔で、ただまっすぐ、ステージの上を見ている。


本気で好きなんだな、と思った。


昔から見てた、なんて言っておきながら、つい最近動画を漁っただけの自分が、急に居たたまれなくなった。


※※※


「面白かったですね!」


ライブが終わると同時に颯太が振り返って言った。思わず同じテンションで返してしまう。


「新ネタのあのくだり、緑町の公園のことだよな?」


「分かりました?俺も昔よく行ってたんで懐かしかったです」


「あそこ、今もあるのかな」


「どうですかね、変わってそうで怖いですよね」


気づいたら普通に話していた。さっきまでの張り合いはどこかに消えていた。


「ねえ二人とも」


陽菜ちゃんの声がした。


「仲良くなってる」


嬉しそうに笑っている。


その顔を見た瞬間、我に返った。


……何やってんだ俺。


ライバルと談笑して、当の本人に仲良くなってると喜ばれて。完全に本末転倒だ。


颯太の方をちらりと見る。さっきまで普通に話せていたのが腹立たしい。話してて楽しいと思ってしまったのが余計に腹立たしい。せめて少しでも嫌なやつであってほしかった。


少し離れたところでは、直樹と後の二人が何か話しながら笑っていた。いつの間に仲良くなったのか、あいつはあいつで勝手に楽しんでいるな、と思った。


そのとき、ドンと音がして、空が光った。


「わあ」


陽菜ちゃんが空を見上げた。


花火だった。一発、また一発と上がるたびに、会場から声が上がる。


横に立つ陽菜ちゃんが、口を少し開けたまま空を見ている。浴衣姿のまま、ただまっすぐ上を向いている。

挿絵(By みてみん)

まあ、いいか。


細かいことは、全部どうでもよくなった。


今日、陽菜ちゃんと花火を見られた。それだけで十分な気がした。

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