第4話「年上と幼馴染」
8月5日
今日は陽菜ちゃんのシフトが入っていない日だった。
マスターとマミさんと3人で店を回す。別に珍しいことじゃないし、2年間ずっとそうしてきた。なのに今日はなんとなく、カウンターが広く感じた。
「康介、ぼーっとするな」
カウンターの中からマスターに言われて、グラスを磨く手を動かした。
「してませんよ」
「してたぞ」
「してません」
「陽菜ちゃんがいないから寂しいのよね」
奥からマミさんがにこにこしながら言った。
「違いますよ」
「あら、そう?」
全然信じていない顔だった。
昼過ぎ、マイさんが顔を出した。
「康介、相変わらず顔に出やすいわね」
「何がですか」
「陽菜ちゃんがいなくて寂しいって、顔に書いてある」
マイさんがカウンターに腰を下ろして、コーヒーを頼んだ。
「今から陽菜ちゃんが友達と来たいって言ってるんだけど」
「……え?」
「LINEで聞かれたから様子見に来たんだけど、今なら暇そうだし大丈夫って送っとくね」
「そうですか」
「そんな言い方して、本当は嬉しいくせに」
マイさんが呆れたように笑った。
俺はグラスを磨く手に、余計な力が入るのを感じた。
※※※
三十分後、ドアベルが鳴って陽菜ちゃんが入ってきた。
その後ろに——
「……」
まず目に飛び込んできたのは、派手な女子だった。
明るい髪に、アクセサリーをじゃらじゃらつけて、遠くからでもわかるくらい“派手”。いかにもギャル、というやつだ。
その隣にも、似た空気の男子。同じように明るい髪で、軽そうな笑い方をしている。たぶん、あれも同類だ。
……無理だ。苦手なやつらだ。
視線を外そうとして、もう一人に引っかかった。
少し後ろを歩いている男子。
背が高くて、無駄のない体つき。騒いでいる二人とは違って、落ち着いているのに、妙に目に入る。
——たぶん、こっちだ。
陽菜ちゃんの幼馴染。部活をちゃんとやってきたやつの体だ。
「……行かないの?」
背中越しに、マイさんの声が飛んできた。
「いや……」
視線を窓際に向けたまま、言葉が詰まる。
「ああいうの、ちょっと……苦手で」
「は?」
振り返ったマイさんが、呆れた顔をする。
「賑やかすぎるんですよ。なんかこう……ノリが」
「だからって固まってどうすんのよ。あんたバイトでしょ」
「わかってますけど」
一歩が出ない。あの輪の中に入っていくイメージが、どうしても湧かない。
マイさんが小さくため息をついた。
「しょうがないわね。最初だけよ」
「……すみません、助かります」
「一つ貸しだからね。ちゃんと返しなさいよ」
「はい」
マイさんは肩をすくめて、窓際のテーブルへ向かった。
※※※
しばらくして、常連の松本さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「よう、康介くん。今日は賑やかじゃないか」
「ええ、まあ」
松本さんはカウンターに腰を下ろしながら、窓際のテーブルをちらりと見た。
「あそこで陽菜ちゃんと一緒にいる子、もしかして坂本颯太くんじゃないか?野球部の」
「知ってるんですか?」
「孫が中学から野球やっててな。少し詳しくなったんだが——」
松本さんは思い出すように目を細めた。
「去年の中学の県大会、優勝した学校のキャプテンだった子だよ。地方新聞にも載ってたし、高校でも期待されてるって話だ」
「へえ……」
相槌を打ちながら、視線だけを窓際に向ける。
県大会優勝校のキャプテン。新聞にも載った。高校でも期待されてる。
言葉が、そのままそいつの輪郭に重なっていく。
「強い子らしいよ。会えたら孫が喜ぶんだがな」
松本さんがコーヒーを一口飲みながら言う。
「凄いんですね」
答えながら、頭の中では別のことを考えていた。
最初から、なんとなくわかっていた。
こういうやつが、選ばれる側なんだろうなって。
——で。
それが、陽菜ちゃんの幼馴染。
※※※
「どうした、また暗い顔して」
マイさんが戻ってきた。
「暗くないですよ」
「嘘つかない。さっきの話、聞こえてたわよ」
「……まあ」
「気にしすぎ」
「気にしてないですって」
「その言い方がもう気にしてるのよ」
軽く言われて、言い返せなくなる。
マイさんはカウンターに肘をついて、少しだけ声を落とした。
「ねえ、康介。幼馴染ってさ、近すぎて凄さがわかりにくいのよ」
「……どういうことですか」
「毎日一緒にいたら、どんなに凄い人でも“いつものあいつ”でしょ」
窓際の方にちらっと視線をやる。
「外から見たらすごくても、本人にとっては当たり前なの」
「……」
「だから、あの子がどれだけすごくても——陽菜ちゃんからしたら、ただの幼馴染」
言われてみれば、そんな気もする。
でも、それで埋まる差かと言われると。
「……そうですかね」
「そうよ」
即答だった。
マイさんは少しだけ口元を上げる。
「で、逆よ」
「逆?」
「知り合って間もないあんたには、ちゃんと“武器”がある」
「……武器?」
思わず聞き返す。
マイさんはわざと間を置いてから、にやっと笑った。
「あんたの方が、あの子たちより年上ってこと」
「……それだけ?」
「あれくらいの年齢だとね、2つ上ってだけで別の生き物に見えるのよ」
「そんな単純な……」
「単純よ。だから効くの」
ぴしゃりと言い切られる。
「あんただって、最初うちの父さんのこと、ちょっとカッコよく見えてたでしょ」
その瞬間、奥からマスターが顔を出した。
「おい、それどういう意味だ」
「なるほど、確かに」
「納得しすぎだろ」
マスターが眉をひそめる。奥でマミさんがくすくす笑っている。
「ほら」
マイさんが、ぽんと軽く背中を叩いた。
「年上の余裕、見せてきなさいよ」
「余裕って……」
まだイメージが湧ない。
「どうやるんですか?とりあえず褒めるとか?」
「それくらい、自分で考えなさい」
※※※
ドリンクをトレーに乗せて、窓際のテーブルに向かった。
「お待たせしました」
「あ、先輩! 突然来てすみません」
陽菜ちゃんが少し恐縮した顔で言った。
「全然構わないよ。みんな陽菜ちゃんのお友達?美男美女揃いだね」
「え、なにそれ」
派手な女の子が笑う。
「いきなりそういうこと言う感じなんだ」
ちょっと反応が怖い。もしかしてやらかした?
「いや、まあ……見たままというか」
自分でも言い方を間違えた気がするが、今更止まらない。
「こっちの二人はオシャレだし。センスいいね」
「ふーん、ありがと」
軽く返される。さっきよりも更に温度が下がった気がした。
そのまま流れで、体格のいい方に目を向ける。
「で、キミは——いい体してるね。野球とかやってそう」
「え、何で?わかるんですか?」
一拍遅れて返事が返ってくる。
「まあ、なんとなく」
自分で言っておいて、少しだけ滑った感じがする。
「……すごいっすね」
間を埋めるみたいな声だった。
「あ、これサービスね」
小さなプリンをテーブルに置いた。
「いいんですか、ありがとうございます」
「お代は陽菜ちゃんのバイト代から引いとくから」
軽く言うと、
「え、ちょっと先輩、それひどくないですか?」
陽菜ちゃんがすぐに食いついてくる。
「冗談だって」
「絶対ちょっと本気でしたよね」
「そんなことないって」
笑いながらやり取りを続ける。
「……」
他の3人が何となく気まずそうにこっちを見ている気がした。
「あー、はいはい。じゃあごゆっくり」
自分で切り上げるみたいに言って、そのまま軽く手をあげて、その場を離れた。
※※※
「どうだった?」
マイさんが、面白がるような顔で待ち構えていた。
「……やりすぎました」
「どのへんが」
「全部」
一瞬間があって、麻衣さんが吹き出す。
「あんた、年上にどんなイメージ持ってんのよ」
「わかりません」
「てか『野球とかやってそう』って」
マイさんがわざとらしく口調を真似た。
「さっき松本さんに教えてもらっただけじゃない」
「ほっといてください」
「ははは、あれでよく突っ込んでいったわね」
「……」
俺はカウンターに戻って、グラスを磨き始めた。
少しして、窓際のテーブルから笑い声が聞こえてくる。
陽菜ちゃんの声だった。
いつもより、ずっと自然な笑い方で——
あの颯太って男子と、楽しそうに話している。
少し身を乗り出して、距離も近い。
……歳上だから何なんだよ。
グラスに映った自分の顔を、なんとなく見た。
やっぱり幼馴染の方が強いじゃん。




