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喫茶ストーンリバーのバイト日記  作者: 水無月菜乃花


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3/10

第3話「LINE交換と男友達」

8月1日


陽菜ちゃんがストーンリバーにやってきて、10日が過ぎた。


この短期間で、陽菜ちゃんは基本的な仕事をほとんど覚えた。最初はミックスジュースひとつ運ぶのに戦地に赴くような顔をしていたのに、今ではひとりで軽々とこなしている。


常連の田中さんや松本さんとも、気づいたらすっかり仲良くなっていて、まるで昔からずっとここにいたような、そんな存在になっていた。


本人も毎日楽しそうで、それを見るのが俺も嬉しかった。


ただ、昨日だけは少し様子が違った。


小さなミスが重なって、閉店の頃にはすっかり落ち込んでいた。「私、向いてないのかもしれないです」と呟いた声が、帰り道もずっと頭に残っていた。


2年間働いてきた俺にはわかる。こういうことは意外と引きずるもんだ。今日もへこんでいるだろうから、先輩としてしっかり励ましてやろう。そう思いながら店のドアを開けると——陽菜ちゃんの明るい笑い声が聞こえてきた。


「そうなんですか? あ、康介先輩、おはようございます!」


陽菜ちゃんが話の途中で俺に気づいて、ぱっと顔を向けた。昨日あんなに落ち込んでいたのに、もう顔色が戻っている。


「おはよう、今日も元気だね」


「昨日はすみませんでした。今日からまたよろしくお願いします!」


深々とお辞儀をする。


心配するようなことでもなかったな、と思った。


「今、康介先輩のこと聞いてたんです」


「俺の?」


隣を見ると、見慣れた顔があった。


マスターとマミさんの娘、マイさん。俺より6つ上の24歳で、普段は別の仕事をしているが、夏休みや年末年始など忙しい時期になると手伝いに来てくれる。俺がバイトを始めた頃からの付き合いだ。


「あ、康介」


マイさんが俺を見てにやっとした。


「あんた、辞めるんだって? 私に相談もなしに」


「相談するようなことじゃないですよ」


「二年もいてそれ?」


「学校の決まりなんで」


「そんなのほっとけばいいのに」


マイさんが呆れたように笑った。


「真面目なんだから。まあ、あんたらしいわね」


「……どうも」


「でも」とマイさんが陽菜ちゃんに向き直った。


「陽菜ちゃんだっけ?この子がいてくれるなら何とかなりそうだし、まあ辞めてもいいわよ」


「何ですかそれ」


「事実じゃない」とマイさんが笑う。「ね、陽菜ちゃん」


「私、そんなに頼りになりますかね」と陽菜ちゃんが首を傾けた。


「なるなる。何てったって今日は私が教えてあげるんだから」


「ありがとうございます!」


陽菜ちゃんがまた深々とお辞儀をした。


マイさんがちらりと俺を見て、小さく口の端を上げた。


何かを言いたそうな顔だったけど、俺は見なかったことにした。


※※※


その日、マイさんが陽菜ちゃんに教えていたのはソフトクリームだった。


「これが作れないと夏は乗り越えられないわよ」


マイさんがコーンを持って、機械のレバーを引く。なめらかな白いクリームがくるりと巻かれていく。


「はい、やってみて」


「え、いきなりですか」


「こういうのはね、習うより慣れろ、よ」


陽菜ちゃんが恐る恐るコーンを構えた。レバーを引く。クリームが出てくる。少し歪んだけど、ちゃんと巻けた。


「できた!」


陽菜ちゃんが振り返って、俺に向けて差し出してきた。


「康介先輩、見てください!」


「……まあまあだね」


「まあまあ!?」


「上出来だよ、初めてにしては」


「最初からそう言ってください」


マイさんが「ふふっ」と笑った。


「康介が初めて作った時なんてひどかったよ。クリームの量が分からなくてレバー引き続けて、そこらじゅうソフトクリームまみれになって」


「言わなくていいですよ」


「お父さんに怒られてたもんねえ」


「言わなくていいですって」


陽菜ちゃんがぷっと吹き出した。


「康介先輩にも、そんな頃があったんですね」


「あった、あった」とマイさんが嬉しそうに続ける。


「やめてくださいって言ってるじゃないですか」


陽菜ちゃんがまた笑った。


俺はその笑顔を見ながら、そっぽを向いた。


でも、悪い気はしなかった。


※※※


しばらくして、常連の田中さんの注文が入った。


陽菜ちゃんがドリンクを作りながら、確認するように言った。


「田中さんってシロップ二つなんですよね」


それを聞いたマイさんが少し驚いた顔をして言う。


「まだ始めたばかりなのによく知ってるわね」


「全部メモしてますから」


得意そうに語る陽菜ちゃんに、マイさんがさらに続ける。


「それと、今日みたいな暑い日は氷を少し多めにするといいのよ。頼まれなくてもね」


「そういう気遣いがあるんですね」


「常連さんはそういうので喜ぶから」


陽菜ちゃんが「なるほど」と言いながらメモ帳を取り出した。


「それも書くの?」とマイさんが笑う。


「書いた、という事実が大事なんです」


「またそれか」


つい横から口を出してしまう。


「いいじゃないですか、私のやり方なんですから」


「読めない字で書いても意味ないだろ」


「読めますよ、だいたいは」


「だいたいって何だよ」


「完璧じゃなくてもいいんです、書いた事実が——」


「それはもう聞いた」


マイさんが俺たちのやりとりを見ながら、くすっと笑った。


「2人とも、仲いいわね」


「いや、そういうわけじゃ…」


「はい!」


陽菜ちゃんが即答した。相変わらずズルい。


マイさんがドリンクを持っていくと田中さんが受け取りながら、顔を上げた。


「あら、マイちゃん。久しぶりじゃない」


「お久しぶりです、田中さん」


「新しく入った陽菜ちゃんって、麻衣ちゃんにそっくりね。姉妹みたい」


「そうですか?」と陽菜ちゃんが少し照れたように聞いた。


「そうよ。洋平さんが採用した理由がよくわかるわ。あなたがなかなか顔出さないから寂しかったんじゃないの」


「もう、田中さんったら」とマイさんが頬を染めた。


陽菜ちゃんが「マイさんに似てるなんて、嬉しいです」とにこにこしている。


次に田中さんが俺の方を見て言った。


「康介くんは両手に花ね」


「え?」


「美人二人に囲まれて、楽しいでしょう?」


「そんなことは……」


「あら、違うの?」


田中さんが楽しそうに笑いながら顔を戻す。


マイさんがこちらをちらりと見て、口元を押さえた。


陽菜ちゃんは「両手に花って何ですか?」と首を傾けていた。


俺はドリンクを作る手に、妙な力が入っていた。


※※※


閉店後、締めの作業を終えて休憩室に向かうと、扉の向こうから声が聞こえてきた。


「陽菜ちゃんって、彼氏いるの?」


思わず足を止めて、耳を澄ませてしまう。


「そんなのいませんよー」


「でもモテるでしょ?」


「そんなことないですよ。仲良い男友達とかはいますけど、付き合うとかまだよくわからなくて」


なんとなく、それ以上聞くのが怖くなって、扉を開けた。


「お疲れ様です」


「あ、康介先輩。お疲れ様です!」


陽菜ちゃんがぱっと振り返った。聞いていたとは気づいていない様子だった。


「お疲れ、康介」とマイさんも笑った。


こっちは多分気付いてる。


俺はロッカーに向かって着替え始めた。


背中越しに二人の会話が続いている。


「陽菜ちゃん気に入っちゃった。もっといっぱい話したいな」


「私もです! マイさんって面白いですよね」


「でしょ。あ、LINE交換しよ?」


「はい!」


スマホを取り出す音がした。


これはチャンスかも。


バイトの連絡は基本的に店の電話で済む。だから陽菜ちゃんとLINEを交換する自然な機会がなかった。でも今なら、この流れに乗れば——。


俺は急いで着替えを済ませて、ロッカーからスマホを掴んだ。椅子に腰を下ろして、さりげなくテーブルの上に置く。画面が上になるように。


しばらく待った。


「……あ、同じ機種ですね」


陽菜ちゃんがようやく気づいた。


「そうだね」


「そのケース、かわいいですよね。私も欲しかったんですけど売り切れてて」


「……そうなんだ」


「どこで買ったんですか?」


「ネットで」


「ネットかあ……」


会話が終わった。


マイさんがこちらをちらりと見た。「だめじゃん」という顔だった。


少し間があってから、マイさんが口を開いた。


「そういえば康介、あんたのLINEって知らないわ。二年もいたのに今更だけど、交換しとく?」


「あ、そうですね。お願いします」


QRコードを読み込む音がした。交換が終わったところで、マイさんがちらりと陽菜ちゃんの方を見た。(ほら、早く。)目が完全にそう言っている。


今しかない。


「……陽菜ちゃんも、どう?」


声が少し上ずった。我ながらぎこちなかった。


「はい、ぜひ!」

挿絵(By みてみん)

ピコン、と音がした。


友達リストに「森陽菜」が追加された。アイコンは犬の写真だった。


「犬飼ってるの?」


「はい、大好きなんです!」


「……可愛いな」


「でしょ!」と陽菜ちゃんが笑った。


本当に、可愛い。


※※※


陽菜ちゃんが先に帰った後、マイさんが俺の隣に腰を下ろした。


「感謝しなさいよ」


「……何がでしょう」


「交換できたの、私のおかげでしょ」


「なんのことだか」


「とぼけなくていいって」


マイさんが笑う。


「どうせその前の話も聞いてたんでしょ」


「いや、そんなことは」


「彼氏いないって聞いた瞬間、入ってくるの遅くなったわよね」


図星だった。何も言えなかった。


「でも仲のいい男友達がいるって聞いた後は急いで入ってきたわね」


「……別に」


「その男友達って、部活頑張ってる友達のことかもね」


「……その話も聞いたんですか」


「いろいろ話してくれたわよ」


バイトを始めるきっかけになった幼馴染。その子が男の子かもしれないと思った途端、なんだか胸が苦しくなった。


「ま、頑張んなさいよ」


「だから何をですか」


返事はなかった。


マイさんはそのまま休憩室を出ていった。


俺はしばらくその場に座ったまま、スマホの画面を眺めた。


友達リストの「森陽菜」。アイコンの犬。


…仲のいい男友達。


……気にすることじゃない。


でも、気になった。

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