30・どうやら私は病気らしい
「アリシア様! またステップが間違っています! これでは、結婚式に間に合わないですよ!」
今日も王妃教育の時間。
家庭教師の叱責が飛ぶ。
彼女はマルグリットさん。
王城に長く仕え、先代王妃も彼女に教えてもらったらしい。
眼鏡をかけた美人なんだけど……マルグリットさんは決して妥協はしない。私が少しでもミスをすれば、こうして叱るのも珍しくなかった。
「す、すみませんっ!」
すぐに立ち上がる。
社交ダンスを教えてもらっていたんだけど……また同じところで転んしまったのだ。
せっかく一生懸命に教えてくれるマルグリットさんに申し訳ない。
「全く……」
マルグリットさんは眼鏡の奥で眼光を鋭く光らせ、こう続ける。
「少しはよくなったかと思ったら……最近のアリシア様は集中力がありません。なにかあったんですか?」
「うっ……」
図星すぎて、なにも言い返せない。
陛下と対面してから……日常のいかなる場面でも、頭にライナス殿下の甘い顔が思い浮かぶようになった。
もちろん、ライナス殿下の私の心に占める割合は大きい。彼のことを考えても仕方がないけれど……ここまではなかった。
そのせいで、いまいち王妃教育にも身が入らない。
「す、すみません! 今度は間違えませんから! もう一度、お願いします!」
深く頭を下げる。
今の私に出来ることは謝って、謙虚に教えを請うこと。ただでさえ、基本的な貴族作法も知らずに、出遅れているからね。
マルグリットさんはそんな私の顔をじーっと見つめ、
「……やる気はあるようですね」
と溜め息を吐く。
「とはいえ、あまり根詰めてもしょうがありません。今、一番怖いのは怪我ですし」
「ですが……」
「一度、休憩しましょう。お菓子タイムです。アリシア様のために、美味しいカヌレを手に入れたんですよ。休憩するのも次期王妃の大切なお仕事です」
とマルグリットさんは表情を柔らかくする。
……やっぱりマルグリットさん、厳しいことには違いないんだけど、それも私のことを考えてくれているからだ。
私はマルグリットさんの指示に従い、カヌレを食べながら彼女と世間話をするのであった。
「はあ……」
「どうしたんですか、アリシア様。溜め息なんて珍しいですね」
王妃教育を終えて。
ミレーユさんと一緒に外に出て、私は洗濯物を干していた。
ただでさえ式が近いのに、やらなくていい……とミレーユさんからは散々言われているが、これをやらないと落ち着かないのだ。
だから無理言って、ミレーユさんを手伝っている。
「いいえ……私、本当にダメな子だと思いまして」
先ほどのダンスレッスン、マルグリットさんは優しかったが、私の覚えが悪いせいで彼女に迷惑をかけてしまった。
マルグリットさんも歯がゆい思いをしているだろう。
それが感じるからこそ、明るい気持ちにはなれない。
「自分のことをダメ、って言ったらいけませんよ。そんなことをしたら、本当にダメになってしまいます」
「ふふっ、そうですね。ですが、これでも前より少しはマシになったんですよ?」
ライナス殿下と婚約したばかりの自分なら一日中落ち込み、他のことが手に付かなくなっていた。
それを思えば、私も成長したものだ。
「でも……私、最近おかしいんです。四六時中、ライナス殿下のことを考えてしまって……そのせいで王妃教育もいまいち集中出来ず……」
「ははーん」
私の言ったことに、なにか思い当たりがあったのか。
ミレーユさんがにんまりと笑みを浮かべる。
「アリシア様、あなたの病名を教えてあげましょう」
「びょ、病名!? 私、病気なんですか!?」
「はい。恋の病──という名の病気です」
……恋?
思いもしていなかったことを言われ、一瞬思考が停止してしまう。
「恋の病にかかったら、集中力がなくなるものなんでしょうか?」
「はい!」
ミレーユさんは干そうとしていたシーツを胸で強く抱き、こう続ける。
「アリシア様は、ライナス殿下に恋をしているのですよ! ずっとお相手のことを考え、他のことが手につかない! アリシア様の症状はまさしくそうでしょう。アリシア様も、相変わらず見せつけてくれますね」
「恋……」
胸に手を当てて、じっと考える。
……巷では、そういうのがあるというのは知っていた。
しかし、今までお父様や屋敷の中にいる使用人の男性以外とは接触したことがないので、私には無縁のものだと思っていた。
もちろん、ライナス殿下のことは好きだ。
だから今までは彼に迷惑をかけないようにと、必死だった。
しかし、最近では余裕も出来、私とライナス殿下の関係をじっくりと考えることが増えた。
いつの間にか彼への気持ちを強く自覚し、恋の病にかかってしまったということ……?
「そ、その病気を治すためには、どうすればいいんでしょうか? このままでは王妃教育に身が入りません」
「それは難しいですね。なにせ、恋の病はなかなか治らない。唯一、治すための手段はライナス殿下を嫌いになることですが……無理ですよね」
「はい。私が彼を嫌いになるなんて、想像も出来ません」
これは本当のこと。
だったら、胸のドキドキはずっとこのままなのだろうか。
「た、大変です。このままじゃ私、殿下にも迷惑をかけてしまいます」
「無理に治さなくていいんですよ。それとも……恋の病にかかって、あなたは辛いですか?」
じっと私の目を見つめ、問いかけるミレーユさん。
辛い……そんなこと──。
「いえ、辛くありません。私の片思いなら別かもしれません……ライナス殿下からの愛は疑ったことがありませんから。私、今とても幸せです」
実家にいる頃は虐げられて。
魔力で全て決まる世界で、私はずっと一人だと思っていた。
だけど、孤独な私をライナス殿下が救ってくれた。
こんなに幸せなことなんてないのに、辛いなんてあるはずがない。
「だったら、いいじゃないですか。アリシア様、恋の病は治すものではありません。付き合っていくものですよ。それこそ、一生をかけて……ね」
「一生……」
そう──私はライナス殿下に添い遂げる。
隣で彼を一生支えていくことになるし、そのことをなによりも私は望んでいるのだ。
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