第52話
二組にとって修学旅行の最大の懸案事項であった班編制が済むと、あとは事前に決めるべき計画や準備をひとつずつこなしていくだけであった。
クラス単位での行動スケジュールは、旅行計画にあらかじめ決められていて動かせない。
クラス内での決めごと、宿での部屋割り、班単位での行動の計画やルートを決め、役割分担などを割り振っていくのである。
太郞たちの班で最初に揉めたのは、班長を誰にするかであった。
真っ先に名前が挙がったのは太郞自身。
しかし、太郞が「……ぼくじゃない方がいい気がする」と尻込みしたため、そこから先はかなり議論が迷走した。
太郞の懸念は自分がリーダータイプではないと思っていることに加え、何より外山の起こす騒動に手を取られることを心配していたのだった。
その外山はといえば、話し合いにはほぼ参加せず、「おれじゃなければ誰でもいい」と言い捨てて、おしまいまでそっぽを向いていた。
結局、部活でキャプテン経験のあるのがことりだけ、という理由でことりが班長に推されることになり、ことり自身も「わたしでいいなら」ということで、班長に任命された。
班行動の行き先についても、議論は白熱した。
自由行動時間はそれほど多くない。
決められた時間内で移動可能なことを考えると、観光の時間も要るため普通なら二箇所以下、多くて三箇所までがせいぜいだ。
広くて観光スポットの豊富な東京で、たった二つか三つしか選べないとなると、相変わらず「めんどくせえ」と言って意見を出さない外山を除いても、五人の要望がきれいに揃うのは容易ではなかった。
「原宿は外せないでしょ?」
「いやそこはお台場だろ」
「あ、観覧車乗りたいね」
「そんなゆとりあるかな……? でもあそこなら科学館は行きたい」
「そこ行ったら、それこそほかのとこ行く時間なくなるでしょ?」
「やっぱり渋谷ったら渋谷! スクランブル交差点渡ってる写真撮るの!」
「スカイツリーも上ってみたいなぁ」
「え、じゃあ東京タワーは?」
「二手に分かれて良いなら、あっちとこっちでお互い眺めてみても面白そうだけど」
「スカイツリーといえば、雷門もすぐ隣よね」
「雷門ならたぶん、観光バスで前だけは通ると思うよ?」
「それでも観たことになるかしら?」
「微妙……」
「秋葉原はどうなの?」
「あそこはいま、何の街なんだっけ?」
「さあ?」
「わかってないのに行くの?」
「わかってないから行くんじゃないの?」
「修学旅行でその選択はどうなのかしらね」
「じゃあ上野は?」
「わ、パンダ?」
「見たことないけど……うーん、パンダか、なんか子どもっぽくね?」
「あんたは十分にお子ちゃまだけどね」
「いっそ、山手線に乗ったまま二周くらいしてみるってのはどう?」
「は? 何言ってんの? いくらかかると……あ。変わんないのか」
「そう。乗った駅と降りた駅だけで運賃は決まるからね、何周乗っても同じだよ」
「すごい、さすが東京……」
「そこ感心するのって、田舎者丸出しだぞ」
「いやほんとに田舎者なんだから仕方なくない?」
「でも電車乗ってるだけってのは、やっぱちょっとね」
「乗り物なら、空港も見てみたいのよね」
「えー? あたしこの前行ったばっかりだもん」
「あ、そっか。海外行ってきたんだもんね。いいな、わたしまだ飛行機乗ったことないのよ」
太郎たちの班に限らず、どの班でもいつまで話しても議論が終わらないため、担任の五十嵐がいったん話し合いの時間を打ち切り、次回までに班の意見を確定するよう言い渡して、その日の作業は終わった。
帰り道でも、やはり話題は修学旅行のことになる。
「太郞ちゃんは、東京行ったことあるんでしょう?」
ことりが尋ねる。
「うん」
父の浩太は実は東京生まれである。
23区内ではないが、まだ実家も都内にある。
さらにいまは海外赴任のため、浩太の一時帰国の際の送り迎えなどのタイミングが休みに重なれば、家族揃って東京へ行くのが常であった。
またそもそも赴任前にも海外出張の機会は多かったので、空港へ行く日程で、ついでに東京観光をすることも以前からあった。
「いいなぁ東京。わたし行ったことないからなぁ」
地方の住人にとっては、東京は別格の土地と言える。
どの地方にもローカルのニュースはあるが、東京の話題はいわば日本共通の話題となって報道されるためだ。
東京在住の人間に地方の細々した情報は届かないが、地方には東京の様々な情報があふれるのである。
その結果、ことりのような一度も東京に行ったことがない中学生にも、東京の地名とそこがどんな街であるのかといった情報は行き渡っている。
ただそれはあくまでイメージであって、実際に思っていたとおりの街であるのかどうかは、行ったものにしかわからないのだ。
だから太郞自身は、東京に過分な憧れは持っていない。
たまたまではあるが、父方の祖父と祖母は東京都民で、そこにはちゃんと地に足の着いた生活があり、東京だからといって太郎たちとまるで違うものがあるわけではないことを知っているからだ。
しかも浩太の実家は都内と言うだけで、周辺には地方から想像した東京のイメージにふさわしい都市の景観はない。
しかしそれをことりに言っても意味がないこともまた、太郞はよくわかっている。
東京が自分にとってどんな印象の土地となるのか、それは直に行ってみてそれぞれが感じ取ればよいことだと太郞は考えていた。
「うまく行き先決まるといいね、班長」
太郞が笑いを含んだ声で言うと、ことりはげんなりした顔になる。
「……あー。決まるのかしら。なんか決まらないような気がしてきた」
「大丈夫だよ、きっと。初めての東京なら、どこ行ったって楽しいと思うよ」
「……なるほど、それもそうか」
そうよね、どこだろうと結局初めて行くところには違いないのよね、とつぶやいたことりは、どこか吹っ切れた表情で太郞に向き直る。
「ありがとう、太郞ちゃん」
「ど……どういたしまし、て」
不意を突かれて太郞は口籠もってしまう。
ことりの真っ直ぐな笑顔を向けられるのは、いまだに慣れることができない。
赤くなっているかもしれない顔をそっと背けながら、太郞にとっても、ことりと一緒に行ける東京は、きっと楽しいものになるだろうと期待が膨らんだ。
その後もいくらかすったもんだはあったものの、決められた期日までには何とか相談もまとまり、班ごとの行動計画を五十嵐に提出し終えると、あっという間に出発当日となった。
早朝に駅へ集合、東京までは新幹線で向かう。
旅行の間は依託した旅行会社から派遣される添乗員がクラスに一人ずつ充てられ、その指示でスケジュールをこなしていく。
新幹線では車両単位で東部中の貸し切りになっているため、多少は羽目を外してもほかの乗客の迷惑にはなりにくいが、教員も当然同じ車両にいることから、はしゃぎすぎて叱責を受ける生徒は何人か出た。
その一人が加藤で、太郞はことりが早くも深いため息を吐いているのを見てちょっと申し訳ない気持ちになる。
(別にことりさんのせいじゃないんだし、班長の責任、感じすぎなければいいけど)
このうえ外山が問題を起こした日には、ことりの反応はため息では済まないだろう。
太郞にも自分に何ができるのかはわからなかったが、可能な限り気を配って、ことりの心労を減らさなければ、と考えていた。
東京駅まで着くと、そこから先はクラスごとに分かれて観光バスで移動することになる。
太郞の席はことりの横……ではなく、当然のように外山の隣りである。
意外だったのは、外山の機嫌が悪くはなかったことだった。外山にとっても修学旅行はやはり楽しみであったのか、それともほかに理由があるのかはわからない。
しかし、外山が不機嫌なときはクラス全体の雰囲気が重くなるくらいに影響が大きいため、上機嫌でいてくれるのならそれに越したことはなかった。
旅行初日は全行程が団体行動であって、生徒たちも好き勝手に動くことがない。
バスで回る名所観光では、添乗員に連れられてぞろぞろと歩くだけであり、ガイドのしゃべりも概ね知っていることばかりの太郞にとってはいささか物足りないものだったが、教師も全員同行しており、外山への警戒をとくに考えなくて済むぶん、気は楽だったと言える。
バス移動と聞いていたことでたいていの生徒は甘く見ていたが、バスを降りて歩く距離はおそらく意図的に多めに計画されていて、夕方になって一泊目の宿に着く頃には、みな思っていたよりも疲れが出ていた。
ちなみに太郞は疲れてはいなかったが、猛烈にお腹を空かせていた。
自宅と違い、旅行中に提供される食事はどれも、あくまで普通の一人前であるため、ご飯などおかわりできるもの以外は我慢せざるを得ないと太郞は覚悟を決めていた。
とはいえ、太郞にとって食事量が絶対的に足りないのは事実で、覚悟していてもこれはなかなかに辛いものがあった。
ことりが心配そうに太郞を見ているのに気がつくが、さすがにクラスのみなが見ている前でことりの分を分けてもらうわけにもいかない。
さらにことりとて一人前の量は同じであり、仮に分けてもらえるとしても、太郞のためにことりに我慢を強いるようなマネはなおのことできない。
太郞としては、やせ我慢の自覚を持ちつつも、笑顔を返すしかなかった。
都内でも昨今数が減ってしまったという、こうした団体旅行に対応できる宿は決して新しい建物ではなかったが、きちんと清潔で、中学生相手の客あしらいもぞんざいにならず丁寧なものだった。
昼間は添乗員に引率を丸投げしてきた教員たちも、宿の中では仕事の時間となる。
男女別で分けられたフロアにそれぞれへの侵入を試みる生徒の抑止、短時間で順番に入らせる大浴場の利用管理、数名ごとに分けた各部屋で飲酒、喫煙などを行わせないことはもちろん、消灯後の騒ぎに備えた夜間の見回り、さらに当然禁じられている宿からの夜間外出を目論む生徒への警戒などなど、気の休まる暇がないほどやることはいくらでもあった。
部屋割りでも太郞と外山はまた同室にさせられていて、しかし外山は予想を裏切るように何も騒ぎを起こすことなくさっさと寝てしまう。
太郞にとっては拍子抜けだが、だからといって何かあって欲しいわけではないので、自分も早々に眠ることにした。
おかげで二人と同じ部屋になったほかの男子たちは、外山(と太郞)を起こしてしまう恐怖から、一部生徒が楽しみにしていた枕投げや、消灯後の長話もままならず、静かな不満を抱えての一泊目となったのだった。
旅行二日目は、昼食までが引き続きバスを使った団体行動、そしてこの日の午後にいよいよ問題の班行動が始まる。
外山がもっとも楽しみにしていたのは、実はこの時間であった。
外山自身も意外であったことに、ほかの生徒と一緒に観光をしている時間は、思っていたほどつまらなくはなかった。
観光という行為自体は下らないとしか感じなかったものの、これまで同級生に対して友人や仲間といった関係の希薄であった外山には、周りと他愛のない雑談に興じたり、遊びも含めてつるんで行動してみたり、といった経験がほとんどなかったのである。
三宮との喧嘩を見てからというもの、外山にも理由はわかっていないが、太郞とは普通に会話ができるようになっていた。
そして太郞が間にいれば、今回同じ班になった加藤やことりたち女子生徒とも、比較的自然なやりとりができたのだった。
そうした体験は、外山にとって決して不快なものではなかったため、あえて何かやらかすような不満を溜め込むこともなかった。
とはいえ、やはり外山がいちばん楽しいと思えるのは、強い相手との喧嘩に勝つことで、それにはまったく揺るぎがない。
バスによる行動中は、当然ながら周り全部が東部中である。
太郞を除いて、自分の相手になるような生徒のいないことがわかっている東部中ではなく、まったく未知の強さを持った東京の不良連中と出会えるとしたら、この班行動のときしかないのだと、外山はチャンスを虎視眈々と狙っていた。
それまで何もしなかったのは、する必要がなかったことに加え、団体行動中に機会を窺うのは無駄だと考えていただけであった。
それこそ、行き先などどこでもよかった。
地元の柄の悪い連中と遭遇できそうな繁華街などが途中にあれば、それでいいと外山は思っていた。
ようやく、その機会がやって来たのだ。
外山は内心舌なめずりをしながら、好機を逃すまいと目を細めた。
それは移動途中の電車乗り換えのタイミングであった。
駅の改札と言えば一箇所、あるいは多くても二箇所程度しかない鉄道会社ばかりの地方出身者にとって、首都圏の迷路のような路線図は鬼門と言える。
目的地となる駅までの正しい乗り換えを理解するだけでもひと苦労であるが、たとえネットの乗り換え案内の情報検索は簡単でも、実際に乗り換えのために足を運ぶとなるとことはそう単純でない。
いくつもある改札のどこを使えばよいのか、また地上と地下の両方にある場合はどちらがよいのか、使うべき出口は、そして通路はどこが最適か、迷わず行くための目印には何があるのか。
そういった多くの課題が目の前に立ち塞がる一大イベントなのである。
ターミナル駅の一つで、太郎たちはJRから地下鉄に乗り換える必要があり、一度ならず来たことのある太郞にとっても、確認抜きでさっさと向かうには手強かった。
以前来たときにはなかった駅内工事のせいもある。
さらに駅を利用する人の数も、太郎たちが普段地元で目にする混雑に数倍する人出が平日の昼日中に当たり前にあることに圧倒され、人の流れに逆らうと、あやうく班がばらばらにされかねなかった。
そうして、ようやく乗り換え先の地下鉄の改札までたどり着いたとき。
「あれ? 外山君は?」
ふと振り返ったことりが声を上げた。
ぎょっとなって太郞たちも周りを見渡したが、あの目立つ図体が視界のどこにも見当たらなかった。
「……いない。まずいな」
「ええ? いつはぐれたんだ? 迷子かよ、まいったな」
加藤が舌打ちするが、ほんとうにただ迷子になったのならかわいいものだと太郞は思った。
外山が自分の意志で班から離れた可能性を考えないわけにはいかないのだ。
「どうしよう? 探さなきゃ」
ことりが焦った声を出す。
「ちょっと待って、電話してみる」
太郞が、修学旅行中は特別に持ち歩くことの許されている自分の携帯端末を取り出し、外山を呼び出そうとしたが、案の定、電話に出る気配はなかった。
「……出ない」
「どうしようか……」
ことりが唇を噛んで考え込む。
少なくとも、このまま五人で移動するわけにはいかない。
あれほど注意が必要と思っていたのに、と太郞は歯噛みした。
「電話に出るまで何度でもかけてみては?」
「みんなで手分けして探す?」
「いったん先生に連絡するのはどう?」
「駅の構内放送ってやってくれないかな?」
「端末のGPS機能で……って登録してなきゃ調べようがないか」
メンバーから口々に意見は出るが、どうすれば早急に外山と合流できるのか、最適解は誰にもわからなかった。
「ひとまず、これ以上バラバラになるのは避けるべきだと思う」
太郞はことりに向かって言った。
「うん……でも、そうしたらどうやって探せば……」
「……ぼくが探してくるよ」
きっぱりとした太郞の宣言に、えっ? という顔で、班のメンバーが一斉に太郞を見た。
「でも穂村君、外山君がどこにいるかなんて、わかるの?」
佳子が怪訝そうに訊く。
「わからない。でも、探すしかない」
太郞が首を振って答える。
「ええ?」
「そんな無茶な」
「無理だろ、この状況でそんなの……」
太郞が無言でことりを見た。ことりは太郞を見返して、はっとしたように目を見開く。
「……見つけられるのね?」
太郞はやはり無言で、だがしっかりと頷いた。
「じゃあ、お願い。わたしたちはここで動かずに待ってるから、外山君を連れてきて」
「はぁ?」
「ちょっとおおとり、あんた何言って……」
ことりの言葉にみなが慌てて反応するが、太郞は「わかった」と言ってすぐさま踵を返し、雑踏に分け入って見えなくなる。
「……ミイラ取りがミイラに」
「大丈夫、穂村君ができるって言ったんだから」
佳子の言葉を遮って、ことりが断言した。佳子と真理は顔を見合わせて、肩をすくめるしかなかった。
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