第53話
「東京モンの喧嘩ってのはどんだけ強ぇのかと思ったのによ」
ペッと吐いた唾に、少し赤いものが混じっていた。口の中を切っていたらしい。
「……たいしたこたねぇんだな、ええ?」
外山は自分の前に倒れて唸っている三人の男たちに向かって言い放つ。
「てめぇ……」
「くそっ、ガキが調子に乗りやがって」
「田舎モンが東京なめんじゃねぇぞ、ああ?」
口では脅し文句を言っているが、相手はみな地べたに倒れたままである。
外山は呆れてフンと鼻を鳴らした。
この三人と出会ったのは、ほんの数分前のことである。
乗り換えの移動途中、前からいかにもな雰囲気を垂れ流しながら歩いてくる不良っぽい三人組がいることに、外山は気がついていた。
体格は、一番大柄なものでも自分より少し小さいくらいである。
ただ年齢は中学生ではなく高校生以上に見えたが、喧嘩上等の旗印を立てているのは間違いないと外山は踏んで、にやりと笑みを浮かべた。
そうしてすれ違いざま、そのうちの一人に肩をコツンと当てたのである。
「……おい」
すれ違って三歩も歩かぬうちに、その相手から呼び止められ、外山はにやけ顔が止まらなくなりそうだった。
「……呼んだか?」
振り返って外山がとぼけると、たちまち相手は歯を剥き出して凄んできた。
「呼んだか? じゃねぇぞコゾー。当たっただろうが、肩がよ」
「お? なんだこいつは? おれらに因縁付けようってか」
「いかにもさっき田舎から出てきましたって感じの、イモっぽいガキじゃねーか」
ほかの二人も外山に気づいて挑発を始めた。
ああ、期待通りの反応だ。外山がぞくぞくと喜びに震えているのを目にすると、肩の当たった男が嘲笑う。
「何だよ、ブルってんのか? おとなしくワビ入れりゃ、見逃してやんぜ?」
「くくく、田舎モンには優しくしてやんねーとなぁ?」
「ぼくちゃん、ちゃんとごめんなさいできるでちゅかねー?」
ぎゃははと笑い始めた三人の前に立ち、外山はニタッとした笑みを見せつける。
「御託はいいからよ。やんのかやんねぇのか、はっきりさせろよ、東京モン」
これほど人通りの激しい都会であっても、ふっとエアポケットのように人のいない路地裏というのがあるものなのだな、と外山は感心していた。
メインストリートからほんの少し脇へ入っただけなのに、外山が三人に連れ込まれた場所には見事なまでに人目がなかった。
三人は、二人が先導し、一人が外山を逃がさないためだろう、途中であえて外山の後ろに付くような位置取りで、人気のない行き止まりの場所に外山を連れて行く。
そうして先行した二人がニヤニヤしながら振り返った瞬間、外山も振り向きざまに、後ろにいた一人の腹へ全力でボディーブローを叩き込んだ。
「ぐえぇぇっ?」
くの字に身体を折り曲げて悶絶する相手に、さらに追撃のフックをこめかみに命中させると、それで一人は片付いてしまう。
「この野郎!」
「いきなり何しやがる!」
背中から罵声が聞こえるが、向こうも当然やる気でここまで来ているのだ。
いきなりもへったくれもあるかと外山は動きを止めずに二人目に向かって間合いを詰めた。
一発殴り入れる間にその当人からの反撃と、側面からもう一人の、思ったより息の合った同時攻撃で外山自身も被弾はするが、ダメージはたいしたものではない。
(三宮さんの方がだいぶ速いな)
外山にはそんなことを考える余裕さえあった。
無論、太郞のスピードとは比べるべくもない。
二人の連携が上手かったので多少手こずったが、程なくして二人とも、外山の足下に倒れ伏す結果となったのだった。
ただ外山の失敗は、最初に殴り倒した一人目を、もう終わったものとして放置したことであった。
口は回るものの、起き上がる気配のない三人を見下ろして、この場はもう終わりかと外山が引き揚げようとしたときだ。
「おいおい、何やってんだおまえら」
「何だよ、コゾーひとりにいいようにされてんのか? 情けねぇなぁ」
口々に好きなことを言いながら、連れ込まれた入口側を塞ぐように、わらわらと新たに五人の不良然とした男たちが現れたのである。
「うるせぇな」
「ちょっと卑怯な不意打ちを喰っただけだ」
(なーるほど、仲間を呼びやがったのか。いつの間に? ……ああ、倒れてた奴が連絡したってことか。慣れてやがんな、これは。ちょっと厄介だ)
外山は新手の五人を眺め、その強さをざっと値踏みする。そこそこやりそうなのが二人はいる、と見た。
仲間の到着を待っていたかのように、倒れていた三人もむっくりと起き上がって入口側に回る。
とはいえ、それぞれが受けたダメージは容易に回復するものではなく、まだふらついたり痛みに唸ったりしながらである。
「さて、ぼーず。第二ラウンドといこうぜ」
「まさかここで逃げるとかねーよな?」
「……へぇ。そっちの三人は、あれだけあっさりぶっ倒されたのにまだやれるのかい。お仲間が増えた途端に気が大きくなるんだな?」
外山の軽口に、始めの三人が気色ばむが、実際まだ彼らは続きができるほどは回復し切っていないだろう。
とはいえ、合計八人はさすがに外山の手に余る。
全員が素手とは限らないし、それにもしかしたらこれで終わりではなく、まだ増えるかもしれないのだ。
おそらくこのあたりを縄張りにしている連中に違いない。
いまも五人のうちの二人は、入口後方で外山の退路を断ちつつ、通り側を見張る位置にいて、手慣れた感じを見せつける。
逃げ切るのは難しそうだった。
自分一人で何人倒せるかはわからないが、最終的には袋叩きにされてもおかしくない。
(……まあ仕方ねぇ。行けるところまで行くだけだ)
こうした状況は初めてではなく、まして自ら望んで飛び込んできたものだ。外山は軽く覚悟を決めた。
そのときであった。
「……やっと見つけたよ、外山君」
不意に太郞の声がしたかと思うと、本人が外山のすぐ隣りに立っていたのだ。
外山は唖然として太郞の顔をまじまじと見下ろした。
(いなかった。……いまのいままで、こんなところにいなかったぞ、こいつは)
外山だけではない。
集まってきた不良連中も、一様に驚きの表情だった。
いつの間に?
どうやって? とそれぞれの表情が、考えている疑問を雄弁に物語る。
思わず入口側の二人を確認するように振り返ったものもいたが、二人は「見てない」と首を振るばかりだった。
「班行動なんだから、勝手にいなくなっちゃダメだよ。戻ろう」
そんな周りの雰囲気など一切お構いなしに、太郞が外山に告げた。
ことりたちから離れた太郞は、いったん大きな柱の陰で立ち止まり、人の流れから出たことを確認すると、深呼吸を繰り返した。
(さて、どこまで広げられるかな)
外山を探すのに、黄がやって見せてくれた、『気』を広げていく方法を試してみようと考えていた。
ただあのときは、皮膚を押し広げる感覚で膨らませていった『気』の範囲は、せいぜいが道場の庭程度までである。
視界内にいない外山に対してどこまで『気』を広げたらいいのか、また必要な大きさにするのに自分の力で足りるのか、太郞にもわからない。
しかし、いま思いつく方法はこれしかなかった。
(ふうぅ……。さあ、やるか)
目を閉じて呼吸を整え、始めはゆっくりと、次第に加速させて太郞は『気』の薄膜を広げていった。
膜はあっという間に、置いてきたことりたちに届いて飲み込み、彼女らの不安と苛立ちを伝えてくる。
(ごめんね、すぐに探すから)
太郞は捜索範囲をどんどん広げていった。
とにかく周りにいる人の数が多く、範囲が大きくなるにつれ、返ってくる気配も莫大な量になって行く。
中にはびっくりするような気配や興味を惹かれる気配がいくつもあったが、いまはそれらに構っているときではない。
ひたすらに外山の気配だけを探して、範囲を拡大して行った。
『気』の膜でできた球体の半径が、太郞を中心としたおおよそ300メートルほどになろうかというところで、太郞は閉じていた目を開く。
(……いた!)
外山の『気』が、知らない三つの『気』と一緒にいるのがわかった。
あからさまにそこへ向かって移動して行く『気』もいくつかあるようだ。
しかもかなり殺気立っている。
(あー。やっぱり暴力沙汰だな、こりゃ)
想像していた通りの展開に、太郞はため息を吐きながら動き始める。
方向と距離はわかっているが、道まではわからないため多少もたつきながらも、その後はわずかな時間で、太郞は外山のいる場所までたどり着いた。
見ると通り側の手前には、見張り役と思しき二人組がいたので、太郞は『気』の操作で気配を極力希薄に抑え、二人の横をすり抜けた。
こうすると、まず相手の気を引かないので気づかれにくいことと、気を留められにくくもなることで、仮に目に入っていても容易には意識されなくなるようだった。
そのまま太郞は誰にも気取られることなく、外山の横に並んだ。
中にいた外山の顔には殴られた痕がしっかり残っており、既に一戦交えたのは間違いなかったが、いまはまだ外山も無事に立っていて、また相手側にも自分で立っていられないようなひどい怪我をしたものはいなさそうだった。
しかし外山も相手の集団も、ぎりぎりまで張り詰めた緊張感を保っており、いつ殴り合いが再開されてもおかしくなかった。
「……外山君」
そこで太郞が外山に声をかけたことにより、全員から太郞自身が認識され、注目を集めた。
その場の緊張感に戸惑いと警戒が加味される。
この雰囲気を和ませるような方法は太郞にはわからなかったので、素直に要求だけを外山に向かって言った。
「戻ろう」
ややあって、「……おう」と気の抜けた外山の返事と、「待てやコラ!」という相手側からの怒鳴り声が同時に返ってきた。
「何だおまえ、どっから湧いて出やがった?」
「こいつの仲間か、てめえは?」
「戻るだと? ふざけんなよ!」
「このまま帰すと思ってんのかこのちび!」
最初の声をきっかけに、たちまち罵声の嵐がやってくる。
激高する相手を眺めつつ、太郞はさて、どうしたものかと考える。
一人を大勢で取り囲もうとしていた時点で、遠慮の要らない相手だとは思っていたものの、さりとて怪我をさせるのはやっぱり気が進まない。
一人ずつ相手をしても、おそらく一分かからずに全員無力化させられるのはわかっていたが、時間をかければそれだけ想定外のことも起きるかもしれない。
いまにも飛びかかってきそうな連中を前に、悩んでいられる時間は多くなかった。何か一度に解決する方法はあるだろうか? と思案して、ふと太郞の頭に思い浮かんだアイディアがあった。
太郞は相手に向かって無造作に立つと、呼吸を整えて練り上げた『気』を一気に前方へ押し出した。
相手に触れていなければ伝わらない発勁と異なり、これは先ほど行った、『気』の膜を広げていく技の応用であった。
膜状の『気』であってもそれが触れれば、きちんと修行や鍛錬を積んだものはもちろん、敏感なもの、天賦の才に恵まれたものなら、触れたことを感じ取れる。
そうであるなら、その『気』に圧力と指向性を強め、相手にぶつけることでダメージを与えることもできるのではないか、と太郞は考えたのだった。
遠当て、気当て、百歩神拳といった技は、ネット動画でも見たことはあった。
離れた相手に打撃を加えるイメージのものが多く、動画で見た限りではやり方もわからないし、起きていることもトリックなのか真実なのかは判別ができなかった。
それでも距離の空いたところに置かれたろうそくの炎を消して見せたり、人が衝撃で吹っ飛んだりするものが何種類もあり、技のイメージはそれらと同じである。
自分ではよくわかっていないが、反町らのいう、とにかくバカ容量の太郞の『気』であるなら実際にやってしまえるのではないか、と思ったのだ。
一点集中ではなく、相手の全員を一度にカバーできる広い面のイメージで『気』を分厚く押し出し、さらに急加速してぶつけてみた。
加減がよくわからなかったが、もともとそんな広範囲で威力の出せる技ではないと思えたので、あまり遠慮せずにぶっ放したところ……。
「あ」
分厚い『気』の膜……というかほぼ壁に近いものが通過したあとの八人は、八人とも白目を剥いてばたばたとその場に倒れたのだった。
(できちゃった……てか、もしかしてやりすぎたかな?)
太郞は倒れた一人に歩み寄り、首筋にそっと触れて状態を確かめる。脈も呼吸もあり、気脈も正常。単純に気絶しただけであるようだ。
「……よし、結果オーライ! 外山君、行こう!」
振り返って呼び掛けた太郞に、顎が外れそうなほどあんぐりと口を開けて見ていた外山は、はっとなって慌て出す。
「穂村……いやてっぺんよ!」
そこ、言い直す必要ある? と太郞は思ったが、外山はそれどころではないようだった。
「おまえ、いま何をやった……?」
「うーん、気合いで圧したって感じ?」
「気合いでって……そんなことで? 触りもしねぇで、八人をいっぺんに倒すとか……おまえ、いったい」
わなわなと唇を震わせる外山に太郞は取り合わず、早く行こうと促す。
「みんな待っててくれてるからさ、急いで」
それでも呆けた外山の足が動くにはまだ少しの間が必要だったが、外山自身も、これはもう自分が考えてわかるようなものではない、考えるだけ無駄だとあきらめたのだろう。
無言で太郞に従い、乗り換えの改札までおとなしく付いて行ったのであった。
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