第二十五話 櫻の意志
『お前に櫻守の炎を見せてやる! 何故この異なる炎が櫻を守ることになるか、よく見ておけ!』
櫻守正樹は、大樹にそう言い残し、自分の異なる炎の中で焼け死んだ。
異なる力、大樹には心当たりがあった。
昨年の風凰神社で対峙した翠色の鳳凰のブレスを撃ち抜いた時、魂の奥底から底冷えするような悪寒が駆け上がった。それは大樹の炎に伝導すると、人工神のブレスを打ち破るばかりか、その顔を一部焼き払った。
あれが自在に使えるようになれば強力な武器になる。もう足手まといにならなくて済む。
強烈な日照りを繰り返す酷暑の夏休み、中止を余儀なくされた昇格試験から帰った大樹は、異なる力の真実を櫻守家当主である父の一樹に聞きに行った。
大樹の質問を一通り聞き終えた一樹は、天宿の庭にある大きな桜の木の元に大樹を連れて移動した。この桜は昨年のオリバーの強襲を生き残った樹齢四百年を越える大樹であり、今年の春も満開に花を咲かせていた。
蒸し焼きになるような外の世界で見事な緑色の葉が茂る桜を見上げて、一樹はようやく口を開く。
「魔が蔓延る夜の闇の中、人々を月が導き、月が欠ければ人々を星が護り、暗雲が空を覆うならば人々を櫻が支える。月は月永を、星は星月流を、櫻は天子を指している。この宣誓、月と星には月永と星永が応対するのに対し、創まり三家の中でなぜ櫻は櫻守を指さない? 櫻守はなんなのか」
一樹は振り返り、真剣な表情の大樹の視線を受け止める。二回目の成長期に入った大樹の身長は一七○センチ後半、そろそろ一樹にも追い付きそうであり、きちんと筋肉が付いた体は日頃の鍛錬の成果だ。
一樹は少年の殻を破ろうとしている息子に、まずは時を伺っていた理由から述べる。
「この話をするならば、我らの力についても話さなくてはならない。今まで話さずにいたのは、この力が、力が足りないからと、負けてしまいそうだからと、感情に従って無闇に揮っていい力ではないからだ。故に、成人するか、蒼に昇格する時に話し、教え伝えようと思っていた」
風凰神社でその鱗片を大樹が見せたと、玲菜から報告を受けた時、一樹は迷った末に一旦見送る決断をした。それは、大樹がまだ感情に振り回されていると判断した為だった。一度習得してしまえば、怒りや憎しみに飲まれてしまったら、使い切ってしまう。それを何よりも一樹は怖れた。
だが、いくつもの事件を経た大樹は、無力を痛感し、優里菜に置いていかれないように実力を伸ばし、自分を取り巻く確執に目を向け始め、その果てを見聞きしてきた。
子供のままではいられないのだと、足掻く変革の意思が見て取れる。
その変化を見て、一樹は最後の覚悟を決めた。
「大樹、この力は戒めの力であり、諌める力。時を見極めて揮わなければならず、私欲で使うことは決して許されない。謂わば、煉獄の業火だ」
「煉獄の、業火……」
正樹が義朋にした説明を、一樹も大樹に説く。
「いつもの天力を正の力とするなら、これは負の力を持った異なる力だ。天子を燃やし浄める為の炎」
「負の力……魔力は」
「魔力は天力とベクトルが違うだけで、同じく与え加える力。この力は奪い削る力だ」
少し話がそれているが、ピンときていない大樹に一樹は例を出して質問に答えた。
「そうだな……学生のお前にわかり易く言うのなら、天力がx軸で魔力はz軸のズレたy軸の力、両方とも+の方を向いているが、異なるの力はーを向いている」
「それなら強い+の力の前にはーー」
一樹は首を振る。
「この力は奪い削る。相手の力を喰い、より強くなって削っていく」
大樹はその力の特別さに息を呑む。それが本当ならば無敵に近い力を手に入れることになる。
強大な力を手に入れるチャンスに、心が高揚しそうな大樹に一樹はしっかりと楔を打ち込む。
「そしてこの力は、命が代償だ」
「え」
「昨年、魔術師のクルスが言った通りに、命が魂を肉体に留めておく為の器なのだとしたら、正しくこの力は命を代償にしている」
使い過ぎれば、命を落とす。天力が魂を枯渇させるよりも先に、異なる力は命を食い潰す。
これが今まで一樹が話さなかった一番の理由だった。
「だから使う時を選ばなければならない。櫻守はその時を、月が道を外れた時、星が櫻を傷つけた時と定め、乱用を戒めている。わかるか、大樹。櫻を守る為に我らは、命を賭して彼らを諌めるんだ」
「……」
「これが、我らが櫻ではなく櫻守である所以であり、月永当主に仕える我らの役目だ」
大樹はその事実を前に一文字すら声にならなくなっていた。
「心せよ、大樹。決して感情で使ってはならない。濁ってしまった彼らの不浄を絶つ為に遣うのだ」
月永が暴走しないように楔として傍にいる、それは言い換えれば、万一の時には彼ら彼女らを殺す為にいるのだから。
「俺に、俺が優里菜さんや隆也さんを殺せってこと?」
「……月永が道を外したら、だ。それまでは月永を客観的に見ながら近くで仕え、常に力添えし、時に諌めなさい」
大樹は一樹の話を飲み込めなかった。
初めて知る櫻守の意味と創まりの三家でありながら、どこの天守にもならずに月永の側仕えをし続けている本来の理由。
分家が台頭し、宗家を傀儡にしようとする現代では月永を支えることも役目の一部ではあるのかもしれない。しかし、最初期の役割はそんな協力などではなく、喉元に突きつけた鋒、後頭部に突きつけた銃口だった。
いつも見ているぞ、という忠告だった。
大樹は奥歯を噛み締め、肩が震えるくらい両拳を強く握る。思い浮かぶのは、幼い頃からよく知る優里菜と隆也の顔だった。幼馴染みのように過ごして共に成長してきた優里菜と、兄のように慕いその背中を追いかけさせてくれる隆也。いずれ鳴上の中核になる二人を道を誤ったからと言ってこの手にかけることができるのか。
櫻守正樹が永瀬義朋を焼き払ったように、跡形もなく燃やし殺すことができるのか。
「使い方を教えてほしいって言ったけど……」
櫻守の意味を知らなければ子供のままだった。
けれど、一族の役目を知ってしまったら今まで通りにはいられない。
その力を身に着けてしまったら、笑って隣にいることなんてできない。
二人を殺す為の力なんて、欲しくなかった。
大樹は全身の強張りを暗い息と一緒に吐き出す。
「少し考えさせて」
桜の木に背を向けて天宿に戻っていく。その背中はここに来た時とは一転し、まだ何も知らない昨年の頃のようだった。
一樹はその背中に声をかけることなくただ見守り、息子の姿が見えなくなると物悲しそうな顔で空を見上げる。
蒼く生い茂る桜の向こう側は、雲ひとつ無い快晴の空に地上を灼き尽くしてしまいそうな太陽がさんざめいていた。
***
お盆が明けた日の夕方。
大樹は夏休みの宿題に身が入らず、演習用の広場が見える天宿の縁側に腰掛け、そのまま体を大の字にして倒している。
天気は相変わらず雨が降らず、台風すら来ず、太陽が相変わらず大地を散々熱しており、日が傾いても涼しいとは程遠かった。
遠くからバイクのエンジン音が聞こえ、そして天宿の駐車場あたりで消えた。隆也か紫鶴が帰って来たのだとなんとなく大樹は思う。ゴールデンウィークにバイクの免許を取ってからドハマリしてしている隆也と、元々ツーリングやドライブが趣味の紫鶴ぐらいしかバイクを乗り回す者はこの天宿にいなかった。
エンジン音に邪魔された大樹の思考は再び、異なる力へと戻っていく。
一樹から櫻守の異なる力の真実を聞いてから、何にも気力が持てず、自分の力についてぐるぐると思考を巡らせる毎日だった。せっかく夏の特訓の予定を立ててくれた講師にも、身が入らないと意味がないと特訓を中止され、自分の力について整理するいい機会だと、もやもやが晴れるまで鍛錬も見ないと言われてしまった。
突き放されたわけではないことは分かるが、だからといってアドバイスは『答えは自分の中にしか無い』の一言だけ。
(殺す力が欲しい訳じゃない)
大樹がその力を手にしてからずっと望んできた力は守る力だ。父の教えの通り、誰かを守る力。優しい笑顔を向けてくれる、名家の直系とは思えない不遇を強いられている兄妹を傍で支え守る力。
それなのに、櫻守に運命づけられた力は真逆の力。名も知らぬ天子を守る為に、彼らを傷つけようとする上に立つ天子を討つ力。
事件の時、あの地下空間で細川頼人から聞かされた永瀬義朋による非道の数々。いや、各地で行われてきたであろう畜生の極み。正樹が事件を起こすきっかけにもなり、大樹が生まれる前に鳴上でもあった陽本と櫻守の悲恋の話も聞いた。天子を一方的に殺せる力を持つということは、大樹は彼らと同じことができてしまう力を持つことになる。
(同じなのか? あんな奴らと。あんなのと!)
逆に、力を持ってしまったら、嫌う彼らと同じに変わってしまうのだろうかと大樹は自分の変化も怯れていた。
怒りと悔しさが顔に出てしまう直前、ここ最近聞いていなかった人の声が耳に心地よく入ってくる。
「中に入らないと熱中症になっちゃうよ」
声の主は丈の長い青色のスカートから素足を覗かせ、白いシャツから伸びたいくらか日に焼けた左手には買い物袋が、右手ではハンカチを顔に当てて汗を拭っている。長い髪を御下げにした彼女は今日も可愛らしい。
一瞬にして悩んでいた思考が飛んでいき、いつも通り見惚れそうになるところを急ブレーキをかけて、大樹は平常心に堪え残る。体を起こして、大きくなった心臓の音を隠すようにこの二週間近く、鳴上を留守にしていた理由を尋ねた。
「優里菜さん……帰ってたんですね。特訓はどうでした?」
「ーーーー」
瞬間、優里菜が固まった。
暑さによるものだけじゃない汗が滲み出てきているように見える。
「?」
「ーーーー…………う、うん。まあ、うん、その……地獄って本当にあるんだね」
カタコトに近いイントネーションでそう言うと、ハンカチを持つ手が震えだした。
優里菜は双剣の師である円と広輝の判断によって、岳隠で行われる地獄の特訓メニュー[森林編]行きにされていた。あの試験後でもあって相応の緊張感を持って出発し、帰ってきた結果がこれである。
「思い出させてやるな。余程きついしごきだったらしい」
「は、はい。隆也さん」
優里菜の後からライダースジャケットとペットボトルが入った買い物袋を持った隆也が苦笑いで現れた。あのバイクの音は隆也のもののようだ。
「ほら入った入った。アイスが溶けちまう」
隆也に促されて大樹は縁側から足を上げて、さっきまで夏休みの宿題をしていた部屋に入っていく。畳の上に長方形のテーブルと座布団だけがあるシンプルな部屋だが、ばっちりエアコンが効いている。テーブルの上に大樹がやりかけていた問題集やノート、筆記用具が散らばっており、大樹がさっと片付けてスペースを開けた。自分の部屋で勉強しないのは、ただでさえ考え込んでしまうのに、さらに注意が逸れるものがあれば宿題は一ページとして進まないと思ったからである。
隆也の持っていた袋からは二リットルの炭酸ジュースとお茶が出て来て、優里菜の袋から種類の違うアイスと少しのスナック菓子、それから紙コップがテーブルの上に広げられた。
もうすぐ夕食なので少し罪悪感を持ったが、大樹は炭酸ジュースと特大モナカアイスに手を伸ばすのだった。
それぞれがそれぞれのアイスを口に付けたところで、隆也が悩める弟分の為に切り出す。
「で、ここ何日も何に悩んでるんだ」
「ーーーー」
二口目をかぶりつこうとして大きく開けた口のまま大樹が静止。かぶりつくこと無く口を閉じて、モナカアイスを持った手をテーブルの上にそっと置いた。
「……」
二人はまた手を差し伸べてくれる。躓いたり、悩みがあれば、それをどちらかが察して、いつだって相談に乗ってくれた。
今までは見てくれているのだと嬉しく思ったことが、今の大樹には苦しかった。
二人の為にも強くなりたいと思いとは裏腹に、櫻守の力はこの二人を殺す為の力。この力について二人に相談することは憚れた。二人には相談しないと思っていたのに、この場を作らせてしまった自分の不甲斐なさに嫌気が差して、顔に一層影を落とした。
隆也と優里菜は、今までに見たこともないほどの大樹の暗い表情に目を見合わせ、頬張っていたアイスを一旦口から遠ざけた。
そして隆也が大樹の悩みの原因を言い当てる。
「櫻守の力について、か」
「……どうして」
「あんな事件があったし、その力を優里菜も目の前で見ている。そうともなれば、知っている人にちゃんと説明してもらうさ」
「え……じゃあそれがどんな力なのかも」
「ああ、解っている」
大樹が視線を優里菜にも向けると、優里菜は隆也と同じく全部理解している目でしっかりと頷いた。
「俺が欲しいのは守る力です。守れる力です。殺す為の力なんかじゃない」
顔を伏せ、肩を震わせる大樹。異なる力、命を賭して支えたい人を諌める力……大樹がほしかったのはこんな力ではなく、共に生きて支えて行ける力だ。望んだ力とは反対の力を宿命付けられていたことを呪いそうにもなっていた。大樹は暗く、黒い思考の闇夜の中にいた。
そこに、優里菜が月明かりのように一筋の光をさす。
「これは円さんによく言われるんだけどね」
耳がタコになりそうなほど聞かされ続けている二人の師からの言葉を、円のマネをするように言う。
「『力はただ力でしかない。そこに善も悪もない。君のその力は使い方次第でいかようにも変わっていくんだ。傷つける力にも守る力にも』」
それは岳隠の、星月流の教えだった。力を手に入れた者たちが、その力を目指すきっかけとなった初志を思い出し、己に刻み、決して忘れないようにする儀式。力ある者が暴力を振るわず、守る為に使うようにする戒めの儀式。優里菜も例にもれず初伝を賜ってから、事あるごとに訊かれ続け、その度に自分の信念を口にしている。決して、その力を見失わないように。
優里菜は円が、広輝が自分に問うように大樹にも問い掛ける。
「大樹くんはどう使いたい?」
大樹は暗闇に差し込んだ一筋の明かりを見上げるように顔を上げた。
微笑む優里菜の隣りにいる隆也が自分たち兄妹の思いを告げる。
「俺は、俺たちはお前ならいい。その力の意味、櫻守の役目を聞いた時、そう思ったし今でもそう思ってる」
大樹は「なんで」と思ったが言葉にならなかった。
隆也がその理由を続ける。
「大樹が俺たちを止めようとしてこない限り、俺たちは迷いなく進んでいける。お前が支えてくれることが何よりの証拠になるんだ」
大樹は胸を貫かれた。それは、二人からの絶対的な信頼に他ならないのだから。
「知ってるか? イエスマンで周りを固めるトップの組織より、意見を言える参謀を添える組織の方が上手く回るらしいぜ。敵ばかりも困るけどな」
隆也が隆也らしいいつもの笑顔を大樹に向ける。
それは大樹がこうなりたいと思う兄貴分が、自分ならいい、と認めてくれている証。普段だったら歓喜に飛び上がりそうだったが、今は同じくらい困惑もあった。
「俺が間違っていたら、どうするんですか」
大樹は間違っても自分が頭がいいと思っていないし、二人より正しいなんて露とも思っていない。バカ正直、愚直だと自認している。二人よりも間違えると断言できてしまう。
その間違った論理で感情のままに二人に詰め寄っている自分の姿が容易に想像できてしまった。そうなれば二人との全面戦争に入ってしまう。
優里菜によって光が差し、隆也によって晴れかけた大樹の暗闇が再び雲に覆われそうになった。
「その時はもう一つの三家に聞きに行くさ」
その解決方法は大樹の暗闇に月明かり差す雲間を維持するには十分な答えだった。
自分に宿命付けられた力がどんな力だろうと自分の意志のままに使えるのならば、その力はそういう力となる。もしも間違ったとしても自分を止めてくれる手段がある。二人と共に歩いていける。
大樹は自分の暗闇が晴れていっているのを感じた。
そんな嬉しさに嫌な風が加わる。
「それにな、大樹。鳴上にはもっと怖え奴がいるだろ。派閥の違う幹部会議だろうとズケズケと殴り込んでく奴が」
「……」
「正直、あいつより怖くなってもらわないと、その力を持ってても櫻守としての立ち場が霞んじまうぞ」
異なる力は諌める力。しかし、そんな力を持たずとも、大樹にとって、無神経で不躾で無礼で、嫌味をたっぷり含んだ忠告で諌めてしまうだろう星の力を持った天子が一人いた。
大樹の迷いが一気に晴れていく。決して望んだ役目ではないが、あんな奴に奪われてたまるかと。
「絶対にものにします。そして、お二人を支えられるようになります」
大樹の目が"やってやる"という力に満ち満ちていた。
「頼むぜ」
「お願いね」
「はい!」
アイスを食べ終えた後、大樹はその足で父の元に向かっていった。




