第二十二話 一つの終わり
「武闘演」→「天武演」へ名称を変更しました。(2023/12/4)
日が傾き、西の空が赤く焼け始めていた。
緋炎が憎悪と殺意を燃料にして森を焼き尽くさんとする勢いで燃え上がっている。薪なる木々、焼け落ちる枝葉。森は青々としていた植物を贄に炎の森へと変わっていく。
広輝と戦っていた時とは別人のように憎悪を露わにし、白鷺拓真は全力で炎を撃ち出していた。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!」
「ーーーー」
「お前が、お前たちさえいなければ!!」
拓真が放った特大の炎を、斯波康臣は強固な鉄の盾を作り出してこれを往なす。康臣が天力を込めなければ、この鉄は余裕で熔解している。
「どうだかな。貴様の兄、あいつは貴様たちに対して相当な劣等感を抱えていた」
康臣は当時のことを思い出す。始まりは義朋が東へも権力を伸ばしたいと暗に示唆したことだった。中部は星永の、関東は月永と陽本の領域、自然と東北に足が伸びた。そこで見つけた不和と歪が織り混ざった白鷺家を筆頭とする銀羽支部。傀儡にできそうな力無き権力保持者。康臣はすぐに彼を利用しようと画策した。
しかし、それが無くても白鷺の一連の流れはーー
「俺は奴の針を進めたに過ぎない」
遅かれ早かれ……というのが康臣の見解だった。
「黙れ外道!」
「分家以外の妾を持ち、血統主義から離れようとした前当主。清いだけの政治を執り続けた貴様たちの父親。分家の不満だって相当だっただろう。やはり、いずれ爆発した燻りだ」
「死ね!」
拓真が再び炎を纏い、燃え上がらせた炎を撃ち放つ。
ーー天術・火炎車 三連発。ーー
康臣は盾を大きく、強固に増強。マグマのような灼熱の炎と大岩が砕け飛びそうな三回の爆撃を耐え凌ぐが、その後に飛んできた渦炎でその盾を捨てざるを得なくなった。康臣の天力を炎が上回り、鉄が融解して赤くドロッとした液体が地面を滑る。
真っ赤に燃え上がる森の中、康臣は一人観戦を決め込んでいる広輝に目をやった。
「おい堕天子。見てないで手伝え」
今の状況は、天会に害を成している拓真が昇格試験の重鎮を強襲している構図である。蒼色である広輝が朱色の康臣に協力するのは当然のことに思えた。しかし、天位の外側にある広輝の理念、それが康臣への助力を拒絶した。
「……報いは受け止めるべきです。少なくとも僕はそうしてきました」
康臣は小さく舌打ちする。拓真が掲げている次なる炎への対処のため、再び武具を造り出す。
拓真が上空に作った炎は巨大な炎玉。広輝が乱華月でなんとか打ち破った炎……よりも強力に見える。
拓真が掲げた手を康臣に向けると、炎はまっすぐに康臣に向かう。周囲の空気を取り込み、木々を一瞬で焼失させる様はまるで小さな太陽。その炎熱だけで肌を焼き、肉を溶かし、白骨だけにさせられそうだ。
その炎に康臣は正面から立ち向かい、己の天力で造り出した巨大なその武具を振り下ろした。
「ーーはあっ!」
空破斬による斬撃。大炎を真っ二つに一刀両断した。分かたれた炎の半球は康臣の左右に落ち、内包した炎を撒き散らして周囲を焼き払った。
康臣が造り出した武具は重剣・バスターソード。巨大な剣身と護拳部が厳重に造られた長い柄。燃え盛る炎の中、康臣はその巨大な武具を肩に担ぎ、悠然と立っている。白鷺の名に恥じぬ拓真の天術を防ぎ、打ち破り、尚も余裕ある振る舞い。その姿は強者そのもの。
「これでも武永の系譜でな。一通りの武具の使い方は心得ている」
「それが、どうした!」
ーー天術・紅蓮弾ーー
正樹から伝授された櫻守の天術を拓真が繰り出てくる。炎を何重にも重ね合わせ、手のひらサイズにまで濃縮させた炎の弾丸は、やはり広輝に使った時よりも遥かに濃密に緋く燃えていた。
康臣はそれを難なく斬り伏せる。剣が炎玉に当たると、炎が解放され康臣の視界を埋め尽くした。
「バカの一つ覚えが。……!」
その炎に隠れて拓真が重剣の間合いの内側まで接近していた。康臣は体の前に剣を縦に構えて防御姿勢。右拳に装備した拓真の火炎車を受け止める。
灼熱が康臣を覆い尽くした。
「お前の腐った魂、この鉄クズ諸共燃やし尽くす!」
「やってみろ。何が秩序を成しているかもわからぬ若造が」
康臣は周りの火炎ごと拓真を押し退け、横振りの構え、そのまま振り抜く。
「ふん!」
紙一重で躱され、拓真の腹部の服をぱっくり斬る程度で終わった。が、康臣はその力の流れを止めることなく、己の体を使いこなし、振りかぶる姿勢を整えると、重い武具を振った後の隙きを付いてきた拓真に向かって重剣を思い切り振り下ろした。
「っ!?」
康臣の脇を通り抜けるように拓真が飛び込んできて、辛うじて岩をも砕き割る一撃を避けきる。康臣は思わず舌を打った。けれどそれも一瞬も無い間だけ。康臣も拓真も、二人の思考は次の攻撃に移っていた。
康臣の視線が後方の拓真を捉え、彼の接近を想定し、地面を叩き割った重剣を横に二七○度振り抜くと、康臣の背中に放たれていた緋炎を見事に斬り裂いた。
直後に拓真が迫り、今度こそ重剣の隙きを突いた。
重剣が康臣の手を離れ、地面に突き刺さる。康臣は両腕を中心に天力を集め、拓真の緋炎を受け止めた。
「手放したな、武器を!」
「それがどうした。いくらでも造れる!」
康臣の両腕にはスパイク付きの手甲が出来上がっていた。
そこから二人の戦いは殴り合いの白兵戦に移行。康臣は拓真に強力な天術を行使する時間を、拓真は康臣に新たな武具を造る時間を与えない為だ。
二人の徒手の技量は拮抗していた。お互いにまともな一撃を加えられないまま、森の火が空を焼いているかのように、空が夕日で真っ赤に染まるまでそれが続いた。
そして、康臣が再び重剣を手に取ったことで天秤が再び揺れ動く。重剣の直撃はそのまま勝敗に直結する。
拓真は一旦距離を取らざる得なくなった。けれどそれは拓真も望むところだった。殴り合いの中で、別に収束させていた天力を爆発させる好機。自分と康臣を中心に炎の渦を展開し、逃げ場を無くした。
「こんなものが貴様の奥の手か」
康臣は依然として余裕の表情。ゆったりと重剣を構え、拓真の次の攻撃に備えた。しかし拓真の忠告で顔色を変えることになる。
「炎の竜巻、火災旋風。炎に耐性の無いお前がいつまで耐えられる?」
「! はあ!」
康臣は天力をより一層厚く纏い、拓真に斬りかかったが、拓真は炎の中に姿を隠した。そして断続的な攻撃が四方八方から康臣に降りかかる。拓真の目的は康臣を呼吸器官から焼くこと。康臣はその攻撃を捌きつつ、頭をフル回転させた。
渦の壁を無理やり通り抜けるーー渦は康臣を中心に移動し続けた。
この渦を飛び越えるーー康臣の跳躍力では不可能だ。
拓真を仕留めるーーどこに居るかもわからない相手を斬るのは困難。
結局、力技しかない。
康臣は膝を曲げ重心を落とすと、重剣を両手で持ったまま肩に担ぐように構え、天力を急速に練り始めた。拓真の攻撃で焼けぬ程度に全身を天力で纏い、他は全て重剣に。拓真の攻撃は止まらず、隙きだらけになった康臣を焼く。炎こそ康臣の纏が防ぐが、その熱は伝導し、康臣は高温に包まれる。
けれど、それもすぐに終わる。
重剣が黒みを帯びた赤紫色に発色。
「はあああ!!」
溜め終わった康臣が重剣を振り抜き、黒い赤紫の斬撃が炎の渦を輪切り。続けて重剣を真上に振り抜く。鉄に変質してない天力のみの空破斬で渦を縦に斬ってみせた。
炎の渦が消える。
散って消えていくばかりのはずだった炎がある一点に収束していく。まだやることがあると、意志を持っているかのようだ。
赤く、緋く、炎が轟々と煌めいていく。
そこは康臣の真後ろ。重剣を全力で振り切った後の、出し切った後の男の死角。
「ぬるいわ!」
康臣は体を反転させ、収束していた炎を真っ二つに両断した。但し、手に持つ武具は重剣ではなく、偃月刀。重剣から必要な鉄量を抜き取り、偃月刀に変えていた。
今度こそ炎の残滓が消滅する。康臣は拓真の奥の手を破った。
「残念、止めはこっちだ」
最後の手を残して。
「!?」
ーー天術・緋染の暁天ーー
康臣を殴り殺すように撃たれた拓真の炎は、鮮烈な緋色の光熱を発した。それは夜明けを告げる朝焼けのように美しく、茜色の空をも灼くほどだ。
緋色の炎は一瞬で塵も残さず一帯を焼き払い、燃えカスすら残さず燃え散らした。
緋色の光熱が止み、焼け焦げた大地の上に倒れる一人の男。
白鷺に災いを齎した男。
白鷺拓真の怨敵。
拓真はとどめを刺すべく、殺意を隠さず歩み寄っていく。
「そこまでです」
広輝が割って入る。
拓真の殺意の乗った視線を広輝は真正面から受け止める。その目は広輝が何度も見てきた目だ。長い間、受け止めてきた眼だ。だからなのか、広輝は一切臆することなく拓真に対峙できた。
「この人を殺せば貴方は正真正銘天会から追われることになる」
「それがどうした」
既に今回の件で天会を追われることになる。拓真にとっては些細なことだ。
「尖兵にさせられるのは白鷺です。それが温情であり責務であるかのように」
「ならばそいつを殺して自分の炎で死のう」
「止めてくれる人がまだいるのに、ですか」
広輝が左に視線を向け、拓真もそれに倣った。
一人の少年が駆け寄ってくる。
「拓兄!」
「……絆」
拓真の殺意が一気に鎮まっていく。
彼は拓真の想い人である朱鷺坂紬の年の離れた弟。事件があった十年前はまだ六才だったが、拓真に遊んでもらった記憶が確かに残っていた。
「拓兄……やっと会えた」
「すっかり男前になったな」
「そ、そうかな?」
拓真はぎこちなくはにかむ絆の頭に手を伸ばそうとして止めた。今の自分の手で、どうして彼に触れることができるのか。
拓真が本当の弟のように可愛がった男の子だった。抱き上げた感触を、駄々をこねられた情景を、咲かせてくれた笑顔を、拓真は憶えている。十年という月日が絆を立派に成長させているが、かつての面影がまだ残っていた。男前とは口では言ったが、絆も紬と同じく母親に似ており、その顔はかなり中性的だった。"男前"に喜んでいるところを見ると、その外見を気にしていそうな為、拓真は紬にも似ていると言うのを喉までで留めた。
絆は言いたいこと、伝えたいことがあったはずなのに、全て忘れてしまったかのように拓真を見つめるばかりになってしまっている。拓真もまた唇を動かさずにいた。
そのもどかしくも良い雰囲気に、久下広輝という男は何も進まないと見るや遠慮無く踏み込んでいく。
「今回の件で膿は露呈しました。暗黙のルールに対してこれだけの反発の意思があり、多くの命を脅かすまでになっている。これには上も動きました」
「……なんだと」
「先程通信が回復しました」
広輝は天会の専用端末を取り出し、黒の決議が記載されたメールを開く。
拓真と絆に一度目を合わせてから、端末に目を落とした。
「読み上げます。一、天子協会はーー」
鼓膜を撃ち破るような一発の銃声が乾いた大地に響いた。
「が、はっ」
「……え?」
鳩尾を撃ち抜かれた拓真はその衝撃で僅かに宙に浮いた後、数歩後ろのところで膝をつく。鳩尾を手で押さえるが、出血は止まらず、逆流してきた多量の血を口から吐き出した。
「拓兄!?」
絆がすぐに拓真に駆け寄る。
拓真が苦悶の表情で睨む先に、広輝が驚愕で言葉を失いながら振り向いた先に、大型拳銃の銃口をこちらに向ける無精髭が特徴的な大柄の男がいた。
「一、天子協会は、本人の合意の無い婚姻をさせない。二、天子協会は、いかなる犯罪行為に対しても法に則りこれを罰する。三、天子協会は、本部直下に監察官を置き、定期的な支部の査察を実施する。これが黒の決定だ」
その男を広輝は知っていた。同時に櫻守正樹の名を、いつ、誰から聞いたかも思い出した。
「……匠、さん?」
「おう。ご苦労[堕天子]」
銃口を拓真に向けたまま、匠は悪びれもなく近づいてくる。人を、人間を撃っても罪悪感をまるで感じない。何も特別なことをしていないという風だ。
「なぜ、何故撃ったんですか」
「紅の任務だ、わかれ。おっと、そこの坊主、治癒禁止だ。俺はお前さんを撃たなくちゃいけなくなる」
匠はもう片方の手に持っていた銃を絆に向けた。
「そんなの知ったことか!」
「よせ絆」
「僕は拓兄に帰ってきてほしーー」
銃声が轟いた。
匠は躊躇なく引き金を引いていた。
広輝が銃弾の軌道を変えようと匠の手に向かって飛び込んでいだが、間に合わなかった。匠には撃った反動で肘を上に曲げられ、さらっと避けられた。匠の前を通り過ぎた広輝は転びそうになる体勢を整え、急いで絆たちを見る。拓真が絆を庇ったらしく、左肩からも出血し仰向けに倒れており、絆が泣きそうな顔で拓真を呼びかけていた。
広輝は信じ難いものを見た驚愕と躊躇なく撃った匠への怒りを全力でぶつけた。
「なにしてんですか!?」
「言ってんだろ、任務だってよ。お前さんこそ邪魔するな」
「子供を撃つことが任務ですか!?」
「白鷺拓真と櫻守正樹の殺害が任務だ。任務遂行を邪魔するならその輩も排除しないとなあ?」
「撃つ必要がどこにありますか」
「即死じゃなく、死に際を用意してやった温情もわからないなら、とっとと失せてほしいもんでね。おい坊主! 二度目は無えぞ」
匠が再び引き金に指を添えた。
広輝は一瞬で天力を腕中心に纏う。そして匠の脇腹を目掛けて右腕を力いっぱいに伸ばす。この時、匠の指の動きがスローモーションに見えるほど広輝の集中力は高まっていた。
しかし、広輝の腕は匠に蹴り上げられる。続けて拳銃を瞬時に逆手に持ち直した匠の拳が広輝の腹部を打ち抜き、倒れ込みそうな広輝の顔面を匠の脚が蹴り飛ばした。
「がはっ!」
広輝は地面を引き摺るように地面を転がった。
「弁えろ[堕天子]。紅は任務遂行が絶対優先、知ってんだろ? 変えたきゃ隊長に直訴して天会の命令を取り下げさせるんだな」
「くっ……っぁ」
「……視座を高く持て、全体を俯瞰しろ。ここだけじゃない、お前の大事なもの、お前がしなければならないこと、全部だ。そのうえで判断しろ」
「っ……」
広輝は今、匠を一睨みするだけで精一杯だ。すぐに立ち上がれないほどの痛みが腹部と頬、首筋にあった。気を抜けば胃の中のものを吐き出してしまいそうだった。首も咄嗟に自分から蹴り飛ばされる方向に跳んでいなければ折れていたと思うほどの衝撃だった。それでもなんとか立ち膝程度に体を起こすと、かつて天武演で闘った青年が覗き込んできて背中に手を当ててくれた。
「大丈夫か、広輝」
「光さん……」
鉄次からの通信の後、麻美子の発案で光たちは二班に分かれたはずだったが、独走する匠に光はあっという間に引き離され、追いついたのは広輝が蹴り飛ばされた今だった。
光が状況を見渡せば、康臣が匠の足元で倒れ、匠はその指を未だに引き金に添えており、泣きじゃくる絆の傍らには治癒もされず血を流す拓真。そして、味方のはずの匠に食って掛かった広輝。遅れてきた光でもだいたいの見当がついた。
「説得、できそうだったのか?」
「…………」
広輝が視線を地面に落として答えずにいると光は「そうか」と一言告げた。広輝は光に肩を抱かれ、ゆっくりと立ち上がる。
「一応言っとくぞ。邪魔するならお前も問答無用で撃つ」
急に匠にそんなことを言われた為、広輝が匠に目をやれば、匠に訝しげな目を向ける光が視界に入った。なぜ最後に来た光が匠にそんな目を向けるのか広輝には分からなかったが、不満そうにすると先程の質問から、光がこの状況だけである程度察したのだと広輝も何となく気づくのだった。光が視線を匠から絆たちへ移すと、光の横顔の向こうで匠が肩を竦めていた。
肩を光に支えられた広輝は、絆たちの元へ向かう。涙を流す絆の傍らには、留めなく流れる血の上で拓真が倒れていた。今、この場にいる天子が彼に治癒を施せばもしかしたら間に合うかもしれないが、匠は絶対にそれをしないし、許さない。もし仮に拓真を救おうと動くとしても、紅の隊長である武永将弦の懐刀でもある彼に勝てる見込みがあるのだろうか。それがたとえ、広輝と光が万全な状態だったとしても……。それだけの力量の差を見せられたばかりだった。
思い通りに行かない歯がゆさを噛み締めながら広輝たちは、既にいくつかの言葉を交わした絆と拓真の横に辿り着いた。
「拓兄、僕は……僕は……」
「悪かった、巻き込んで」
拓真の周りには彼の血溜まりができており、黒くひび割れた大地がその血を飲み込んでいる。拓真は右手を腹部に当てているが、彼自身の治癒が進んでおらず、僅かな延命に留まっている。康臣との戦いで彼の天力もほとんど底をついていた。
拓真の体に広輝と光の影が重なると、拓真は目を絆から二人に向けた。そこに苦虫を噛み潰したような、悔しさを必死に噛み締めているような、そんな顔が[堕天子]の名を持つ少年にあった。
「……つくづく評判通りじゃないな、久下広輝」
冷酷とも評されるその冷静沈着振りが嘘のようだ。正樹が広輝を誘わなかった理由を今の拓真はなんとなく理解できた。
「感情は晒し出してるつもりが丁度いいぞ、お前たちの場合」
拓真がかつて彼を彼と知らず、数回だけ酒を飲み交わしたあの精悍な青年を思い出して広輝を重ねた。普段は穏やかに笑い静かに悲しむが、酒が入ればにこやかに笑い、涙を流して悲しむ面白い男。アルコールが入っている彼の方が拓真は好感をもった。
しかし彼と最後にあった時、彼は黒いスーツに黒いロングコートを羽織り、刀を一振り携えていた。その姿は若くして[帝]の字を冠する星の継承者。彼は常に冷静に、常に正確に状況を俯瞰し、常に隙きがない。
騙していたのかと怒りが沸いた。だから酒の席でだらしなくデレデレとした笑顔で語っていた弟分を貶した。彼の錆と揶揄されている彼の唯一の弟子を、その名の通りに。その時の噴火前の煮え滾ったマグマのような激怒と圧には今思い出しても苦笑いが自然と浮かぶ。冷静沈着に振るまっていても、ちゃんと感情があるじゃないかと。
「錆ではなく誇りになれ。そうすればきっと」
彼が言った通りになるだろう。
「もしかして、先生と?」
目を丸くして驚く広輝に拓真は満足する。痛い疵を隠して平気な振りして、痩せ我慢を続けるよりも余程健全だ。
残り僅かな力で意味深に笑みを浮かべるだけで、拓真はそれ以上を語らなかった。
込み上がってきた血を咳き込んで横を向いて地面に吐き出す。
「拓兄!」
「……逝く立場になってようやくあいつの気持ちが解るなんてな」
もう一度見上げた義弟の顔は、もう霞んでいた。やけに涙だけが他よりもまだ見えた。
「向洋には済まなかったと伝えておいてくれ」
「うん、うん……!」
腹部にあった右手がゆっくりと絆の頬に向かい、優しく触れた。手の平についた血が絆の頬を赤く染めるが、拓真には触れることができたという感触しか無い。絆がその右手を両手で包み込み、握ってくれた感触を最後に感じた。
「絆……どうか健やかに」
右手から力が抜け、絆の頬を滑り落ちる。
「拓兄!?」
左頬が真っ赤に染まった絆は拓真の右手を力強く握りしめた。
「拓兄!」
唇が微かに動くが、それ以外の反応がない。絆が何度も呼びかけても反応がない。
広輝は絆と拓真の姿に、あの真冬の夜を思い出していた。去来する多くの感情・思いが心をぐちゃぐちゃにして、泣くことしかできなかった自分。腕の中には赤く染まった大切な人。彼女が最期に望んだことは何だったか。
広輝はその望みを神妙に言葉にした。
「笑ってやれ」
「え?」
「悲しい顔よりも笑顔の方が嬉しいらしい。逝く人にとっては」
広輝に肩を貸す光が少し目を大きく開いた。広輝の真剣な横顔を見て、同意を絆に示す。
「そうだな。俺もそう思う」
もう傍に居られない人への最後の餞。それは心残りを無くし、安心させること。
絆は震える唇を目一杯噛み締めて止め、小刻みに動く上下の瞼を閉じて、留めなく溢れ出ていた涙を腕でゴシゴシと拭き取り、意を決した力強い眼を拓真に向け、咽び返りそうな喉で一音一音しっかり鳴らし、餞の言葉を紡いでく。
「拓兄、僕ちゃんと強くなるから。もう二度とあんなこと起きなくて済むように、拓兄や姉ちゃんが心配しなくて良いように、ちゃんと強くなるから。だから、だから……」
拓真の右手を包むように握り直し、今できる精一杯の笑顔を拓真へ贈った。
「どうか安心して」
拓真の口角がほんの少し上がったような気がした。




