第二十一話 風の砲撃
天子協会鳴上支部の天守である月永大悟は疲れた顔で執務室から出ると、首に手を当ててぐるりと首を一回り。肩こりを解すように右肩を回し、左肩も同じように回した。腰に両手を当てて背中をぐぐぐっと反ると、会議結果を反芻した。
天位:黒の会議は、天会の秘匿回線と異能を利用した特殊な遠隔通信システムを使って行われた。そこで主犯の要求に対する答えは、大悟の思いの外あっさりと決定した。血統主義の最右翼である永瀬義朋が人質にされている為不在だったことと、特務隊隊長の武永将弦による根回しが効果的に働いていた。しかしその逆、根回しがあったが為に主犯への処罰を考える時間があり、その後のことを各自考えてきていた。今回巻き込まれた者とその家族、議決により不利益を被る者の溜飲を下げさせる罰。今後同じようなことを起こさせない為の見せしめ。今後を憂いた故の主犯への厳しい処遇を、人道的な方向に抑えることに大悟たちは時間を要し、『死を持って償わせる』ところでようやく妥結された。
大悟は溜まった疲れを吐き出すように深い息を吐くと、櫻守当主の一樹から声をかけられた。
「天守」
「おお、そっちはどうじゃ。こちらは、まあ、妥当なところに落着したぞ」
「はい、特務隊が動いたと聞き及んでおります。しかし、こちらは進展がなくなりました」
大悟の顔が曇る。
「ーーいつからじゃ」
「会議に入られる前から。現在、現場の誰とも連絡が取れません」
囚われた天子たちが天力を奪われる映像が送られてから何の情報の更新がないということ。
大悟は永江の出し惜しみなども思い浮かんだが、それならばそうと一樹が報告するはずである為、その考えをすぐに消した。
黒だからできることを考える。
「近隣の天宿から……そうか永瀬か」
どういう訳か、永瀬義朋も人質になっている。映像には頼人の凶行に異を唱えず、結界から出ようともせず、ただ静かに座って待つ義朋が映っていた。本当に出られないのか、他の思惑があるのか、外からは全く計り知れない。
ともかく犯人の手の中にいる以上、永瀬の傘下は下手に手出しできずにいる。無理やり斥候に出させて義朋が死んだらかなり厄介なことになる。
リミットまでの数時間を使ってでも九州の雀宮か、話のわかる四国の瀬戸に動いてもらうか……などと思案し始めていると怖い顔をした玲菜がやってきた。
「父様」
大悟はそれだけで玲菜が心の中に秘めた煮え滾る罵詈雑言が聞こえた気がした。父としての冷や汗を当主の鉄仮面で隠し、天守として対応する。
「感情論は抜きにせよ。現在状況の把握と即座な現場対応が必要じゃ」
玲菜は開きそうだった口を一度締め、一呼吸置いてから持ってきた案を提示した。
「政府は動かせないの?」
「天会内の揉め事じゃぞ」
「最終手段に出る時、結局自分たちでも現況は確認しに行くでしょ。夜より日が出ている内が良いんじゃないの」
一理ある、と大悟は即座に思った。
天子協会が現場を制圧する戦力を現場に展開するには少なくとも一両日はかかり、統制を取るにも骨が折れる。
しかし自衛隊ならば。統制に問題なく、現地に到着するのも天会よりも遥かに早い。常日頃から訓練された彼らが兵器と物量で攻めれば、たとえ紅クラスの天子と言えども無事では済まず、加えて対異能力部隊が天会本部からの打診によって存在していた。そんな彼らに任せることが最終手段である。
人質と面子を天秤にかけ、今回は人質を取ると玲菜は判断し、大悟に提案していた。
大悟は年季の入った懐中時計を取り出し、時刻を確認すると一樹に指令を出す。
「……一樹、結果が出たらすぐに伝える。下準備をしておけ」
「畏まりました」
「玲菜、その気があるなら隆平を手伝ってやれ」
大悟は再び執務室に戻った。
***
鳴上支部天守の孫娘、月永優里菜は命綱無しのハイダイビングを千花と共になんとか成功させた後、大量の人形を相手に双剣を振るい続けていた。
その物量に押し潰されてしまいそうなほど優里菜たちは包囲され戦いを余儀なくされていたが、先に戦っていた味方がいた。
「優里菜様、紅と共にお逃げください」
「このままではジリ貧です、優里菜様!」
鳴上支部で正樹たち側についた永江家の息子二人、蒼の司と翠の満である。
四人は直前までの立場を捨て、背中を預け合っていた。
優里菜は二人の忠告をありがたく聞き流し、絶望的に思えるこの状況で自分も含めて周りを鼓舞する。
「ここで人形を引き付けていられるなら、それだけで意味があります。主戦場に人形を行かせないことが今の私たちの役目です。がんばりましょう!」
優里菜が馬型の人形の脚を斬って転倒させると、千花が止めを刺し、人形を型どっていた天力が霧散した。その千花に襲いかかるヒヒを優里菜が水の天術で撃ち抜き、千花が氷の斬撃で胴をぶった斬ると今度は魔力が霧散する。ペア戦での経験から、優里菜と千花は役割分担がはっきりとしていて連携が形になっていた。
「終わるんですかね、これ」
「ーーがんばろう!」
「ですよね」
千花は必殺の役割に徹する。辛うじて拮抗を保っているものの崩れれば一瞬だ。陥っている状況を把握する為に一人で人形の軍勢の中を突き進んでいった翠が戻るまでは、四人でこの均衡を維持しなければならない。
戦いの最中に司と満から聞いた状況は、すぐに敵味方の垣根を悠々と超えさせるほど逼迫していた。
天道人形および魔道人形の反乱。
正樹と拓真から外部の介入を妨げる為の戦力だと聞かされていた大量の人形たち。異変は予定通りに人質を全員捕えた頃だった。外縁を守る天子同士の定期通信が入らなくなり、外部との連絡も取れなくなった。紅の反撃が始まり、洋館との連絡も取れなくなって、不安が広がりきった頃、突如人形が牙を向いた。最初は持ち場の仲間と一緒に抵抗した司と満も数に押されて退避を選んだが、人形の奔流に飲まれて散り散りになってしまった。死が現実味を帯びてきた時、二人の近くに空から人が降ってきたらしい。なんとかその天の助けに合流を試みて、彼女たちの一人が優里菜だとわかった司と満の複雑な心境は十分に察せられる。
優里菜は二人がここにいる理由を考える間もなく共闘に入った。翠と千花が苦笑していた事にきっと気付いていない。
休む間もなく戦い続け、さすがに息継ぎの時間が欲しくなり始めると、遠くから重くて鈍い音が断続的に聞こえてきた。男勝りな女性の勇ましい声と一緒に。
「どらあ! どけどけどけ!」
殴り蹴りのたった一撃で人形を霧散させていく[嵐鎧]の翠である。人形の合間を縫うとか、木の上を飛び抜けるとかそんな小細工一切せず、目の前の邪魔な人形を逐一殴り飛ばして突き進んでいた。正に人間ブルドーザーである。
「おらああ! うっし、まだ生きてるな?」
翠は人形の軍勢を行って帰ってきたはずなのに傷一つ負っていない。まだまだ余裕が見える。その規格外さと二重人格を疑うほどの男勝りに豹変した翠に四人は一様に苦笑いだ。
「さっきも思ったんですけど、キャラ違いません?」
「戦ってる時はこれが素だ。今は敬語使う相手がいないから、な!」
千花の質問に答えながら翠が突進してきた大きな猪をぶっ飛ばした。その猪に潰されて数体の人形が霧散していく。
「あと一時間くらい戦ってれば終わりが見えてくるぞ。お前ら気張れ!」
翠は発破をかけたつもりだったが、四人には悪い知らせになった。
一時間。途方も無い時間に思えた。しかも終わりでは無いらしい。
司と満が音を上げ、優里菜もそれに続く。
「さすがに体力が……」
「続かないですね」
「同じくです」
避暑地で、森の中とは言え、今は真夏。全身から汗が流れ続け、シャツは絞れそうなほど汗を吸っている。脱水症状になるのも時間の問題だ。
翠としてはこのまま戦い続けることも吝かではない。人形を屠りながら半ば投げやりに優里菜に返した。
「あん? だらしねえな。どうにかなんねえのよ? 水龍の巫女」
「ドっ……天力を練る時間がないです!」
「昨日は一瞬だったじゃないですか!?」
翠ではなく千花が思わず突っ込んだ。昨日の試験では、光の雷槍を吸収した五つの水柱は多くの天力を使用していたはずである。それを光との戦闘中に準備して行使したのだから、優里菜には余裕だと千花は思っていたのだ。
優里菜は千花の援護をしながら必死の弁明を行う。
「昨日は、なんか、すごく集中できてて嵌ってたの。今できない! ごめんなさい!」
昨日の試合の後"流水"を何度か試してみたが、同じ効果を得ることはなかった。円に教わったタスクフォーカスを行おうにも今の状況は優里菜の同時並行処理できる量を超えていた。敵は大量で、千花を援護しながら司と満との位置関係を考慮した位置取りをし、自分自身も守らなければならない。考えることが多すぎた。
千花は、優里菜が翼を打ち抜いて落ちてきた巨鳥の首を斬り落とし、紅が紅と呼ばれる所以に縋ってみた。
「翠さんこそ何か無いんですか、紅ですよね」
「悪いな、俺はこれしか無いんだ!」
一人称までも変わっている翠は一つ目の巨人の横っ腹を打ち抜き、その巨人で満に迫っていたワイバーンを轢き潰した。
翠が天力に目覚めたのは四年前であり、それまでは異能に無関係な世界にいた。加えて、天会に所属してからも多くの天子が教わる天術のいろはを教わり切る前に特務隊に誘われた。それほどにレディース時代に磨かれたケンカのセンスと唯一できる攻防一体の天術[嵐鎧]の相性が噛み合い、万夫不当・一騎当千の戦士になっていた。
その為、今まで他を試してこなかった。しかし今、なぜだか段々強くなる人形と味方の疲弊を鑑み、打開策になればと天術を少し考え始める。
「でもまあ、やるだけやってみるか。詠唱って適当でいいのか?」
「「「「イメージし易いので!!」」」」
全員からのフルツッコミ。質問が初歩的すぎて微妙に怒りも混じっていた。今一番天位が高いのはずの彼女に向かって。
翠は苦笑いをすぐに消して、想像に入る。ぱっと浮かぶイメージは、拳と同時に解き放たれる風だ。左手で右拳を包み、右脇腹近くで溜める。右手が萌葱色を帯びた。それを突進してきた象ほどの大きさもある黒妖犬の鼻っ面目掛けて撃ち放つ。
「フル、バースト!!」
黒妖犬の顔がひしゃげ、その巨体が浮き、翠から解き放たれた渦巻く嵐に飲まれて彼方へ飛んでいく。
横薙ぎの竜巻だった。
翠の腕から生まれた大嵐は、その線上にあった樹木をねじ切り、地面を抉り取り、何もかも跡形も無く吹き飛ばした。もちろん人形の一体も残っていない。
大嵐の余波を受けた木々の枝がパラパラと落ち、緑葉が枯れ葉のように舞っていた。
翠は自分の右手を見て、自分に感動した。
「できた……」
まさか一回で成功するとは思っていなかった。紅の同僚は置いておいて、天術に苦労している天子を何人も見てきている。彼らを差し置いて一発で成功した。翠は充足感を覚え「まさか天才なのでは?」とか調子のいいことを考えていると、しっぺ返しの爪が左側から飛んできた。
躱しきれず、左腕を少し切られた。
「っげ! だめだこれ。隙ができる」
纏っていた天力が完全に解けていた。翠は再び嵐鎧を纏って戦い始める。
翠の規格外の天術に度肝を抜かれ目を奪われた四人の意識も目の前の的に戻っていく。
今求められているのは全方位天術。千花がひらめく。
「優里菜さん一発何秒いりますか? 昨日の噴水でも構いません。最短詠唱できますよね!?」
「じゅ……八秒?」
「五秒で!」
「がんばる!」
「びしょびしょにしてくださいね!」
たとえ十秒でだろうが、あの放出量をそんな短時間で練り上げる腕はさすがとしか言いようがない。普通の、一介の天子には不可能だ。
辺りを水浸しにする作戦を聞き、翠はピンと来たが、岳隠の天子ができるのか疑問に思った。
「できんのか?」
「できます」
千花は納刀して力強く断言すると、翠はその覚悟に乗る。
「よーし、男ども。女子二人全力で守れよ!」
「はい!」
「了解!」
司と満は頷き、瞬時に生き残る戦い方から短期決戦戦い方に変えた。
充填していた全ての天力を使い、接近する敵を全て追い払う。術後は再び天術を使えるまでに時間を要するが、それは本命に任せる。
土が盛り上がり、森の木々よりも高い土の堤防になると、その堤防は人形どもにを飲み込むように倒れて、人形どもを押し潰した。
一体の人形から二体の人形へ、二体の人形から四体の人形へ……次々と雷筋が繋がり、バチッと火花が飛ぶと雷光と共に爆散した。
これで近くの人形は消えた。が、まだまだ多くの人形がやってくる。
十分な時間だった。
「 三つ首の水龍! 」
優里菜の手から解き放たれた三頭の龍が空を目指し、その龍を仰ぎ見る千花は半分呆れた。
(いや、だから……)
千花からの注文は一頭分の雨である。それが何故たかだか数秒で三倍になるのか。岳隠のダイダラボッチの時もそうだった。円は水龍一頭を頼んだつもりで、千花もそのつもりでいたが、実際に出てきたのは五頭。食堂で並盛を注文したら特盛や大食いチャレンジ並の量を出された気分である。[水龍の巫女]の二つ名はもう仕方が無いように思えた。
水龍は三方に落ち、接近してくる人形を足止めした。人形は水に足を取られている。
千花は自分のやることに集中した。
天力を練り、収束し、両手を地面に当てる。
イメージは氷の世界。全てが凍結した寂しくも美しい清廉な幻想。誰もが見惚れて思わず息を飲んでしまう氷結の景色。
牢獄ではない、凍獄ではない、誰かを苦しめる地獄ではない。憎しみも苦しみも、後悔も贖罪も超えて、歩んでいく新たな決意。
(今は不完全でいい)
千花は詠唱を抜いて、術名を唱えた。
「 氷結された世界ーーコキュートス 」
千花を発端に凍気が森を駆け抜ける。黒く湿った土が白く化粧をし、葉に付いた水滴が植物を凍らせた。真夏の森に息づいた息吹が次々に活動を止めて停止していく。人形も例に漏れず、足下から・体の端から凍結していき、やがて動きを止めた。白い氷の結晶が全てを覆い包むと、凍った木の葉から漏れる日の光が乱反射し、冷たくも暖かな光が輝く幻想的な世界が浮かび上がった。
まるで異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。
そこに氷が砕け散る音が耳を打った。
「ぼけっとしてないで砕け!」
翠の掛け声に意識を引き戻された月永組が翠に倣って人形を破壊し始める。いくつか砕き割ると、凍った人形がかなり脆弱になっていて、ほぼ例外なく簡単に破壊できることに気付く。三人は余裕を持って詠唱し、それぞれの天術で多くの人形を一掃してみせた。
「おお、さすが月永」
白兵戦を続けていたら一時間以上かかると目算していた量の人形を氷漬けとは言え、ほぼほぼ片付けてみせた技量と天力量は翠もさすがと言う他ない。
しかし、これで終わらなかった。
人形が破壊されて霧散した力が一箇所に収束し始め、新たな形を成していく。
蹄を持つ四足の脚に首から上に人型の上半身、二本の大剣を持ち、巨身を鎧で包み込んだその風貌は、優里菜がかつて見たケンタウロスそっくりだった。
鎧の紋様に沿って赤い流体のようなものが流れると、兜の向こうの禍々しい赤い瞳が翠たちを見下ろした。
「へえ、こいつは俺向きだな」
翠は笑みを浮かべて胸元で右拳を左の手の平に合わせる。
意気揚々に戦う気満々の翠。このケンタウロスの危険性をよく知る優里菜は翠を制止しようとした。
「翠さん! このケンタウロスはーー!」
しかし翠は、既にケンタウロスの胸元の高さまで跳んでいた。再び右拳を左手で包み、右脇腹近くで溜め、萌葱色を発するまで天力を収束させる。
その翠に向かってケンタウロスは大剣を振り下ろした。
剣が翠に当たる直前、翠は右拳を全力で解き放つ。
「フルバースト!!」
ケンタウロスの上半身が一瞬で消し飛んだ。
強固な鎧も、強靭な躯体も無意味だった。残った獣部分の下半身は、力なく膝を折り、地面に倒れるケンタウロスが握っていた大剣が無様に地面に突き刺さると下半身と一緒に霧散していった。
「気に入ったぜ、これ」
一瞬でケンタウロスを屠った翠は、自分の右手を握ったり開いたりして自分の新しい天術に大変満足そうにするのだった。
絶句する優里菜たちを置いて。




