第十九話 永瀬義朋
ーー優里菜や鉄次たちが脱出した少し後ーー
地下室では鉄次と同じ区画に囚われていた天子たちが氷漬けになった頼人を監視している。
鉄次が頼人を尋問しても魔術による結界の解除方法を割らなかった為、鉄次は彼らに「頼人がこの氷から脱出を図らない限り、くれぐれも殺すな」と厳命していた。逆に言えば、氷から出ようとしたら殺せ、ということ。下級天子にどこまでの覚悟があるか、鉄次にも推し量れないところだったが、彼らの安全の為にそのように命令していた。
そして今の地下空間は、不安と期待が入り混じった雰囲気の中にある。
首謀者の協力者である頼人は目の前で身動きできずにおり、もう無理やり天力を奪われる心配がない。地上では自分たちを救う為に、もう半分の紅が動いてくれていた。受験者の中でも実力者の四人がそれに協力しに行っている。
待っていれば、きっと救出してもらえる。
そんな空気が流れていた。
しかしそれを、別の形で壊す者が現れた。
「頃合いか」と誰にも聞き取れない声で呟くと、その老人はゆっくりと腰を上げて立ち上がる。頼人から暴露された真相など意に介した様子もなく、堂々とした様子で結界の中央から結界壁まで静かに歩いていく。手を伸ばせばその壁に触れられる所まで行くと、隣の区画を一瞥して言った。
「康臣、征くぞ」
「ーーはい」
気絶していると誰もが思っていた男は、ロボットの起動スイッチを入れたかのようにパチリと目を開け、さっと立ち上がった。
老人、永瀬義朋は結界壁に手を当てる。青白い光がジリジリと散り始めた。肌が焼け焦げるはずの反発反応だが、義朋は顔色一つ変えない。青白い光がその手を覆うほど大きくなった時、結界が剛衝撃を受けたようなガラスの如く砕け散った。
「この程度か」
湯気のような煙を上げる右手を見ながら義朋は言った。その手には、傷一つ無い。
義朋は康臣の結界にも手を当てると、今度は青白く光った瞬間に結界を破り捨てた。
「ありがとうございます」
「良い」
義朋は康臣を従えて、氷漬けの頼人に近づいていく。
鉄次から彼の監視を命じられた天子たちが、冷や汗を流しながら身構えて動かない。吹けば吹き飛びそうなほど力が入っておらず、身体を小刻みに震わせていた。
義朋は言った。
「退け」
と。
彼らは後ろ足で頼人から離れていく。それは自ら直感に従った、命を守る行動であり、鉄次も彼らを責めることはないだろう。
そもそも九州と京都周辺以外の西日本を牛耳る永瀬の首領。現在と未来を鑑みても義朋に楯突くメリットは無い。
彼らは義朋から可能な限り離れて避難した。
監視が離れてもなお、頼人は氷から脱出することはない。今は本当に殺されかねない。いや、死期は近い。
首と視線だけ動かして、義朋がしたことを尋ねてみる。
「何を、したんです?」
「天力を魔力の流れに逆流させただけだ。奴らがやったこととそう変わりない」
義朋は造作もないことのように言った。しかし、わざわざ康臣の結界を自らの手で破壊したことから、義朋は康臣には難しいと思っていると推測できる。
たとえ紅でも、果たして何人がこの男と同じことができるのだろうか。
頼人は結界の強度を確かめる為に、美怜に協力を依頼したが、彼女は脱出できなかった。残り二人、白蓮と勝炎はこのテストに協力しなかった。
「さて、我が片腕の細川頼人よ」
氷に覆われている頼人の頬に冷や汗が伝った。
義朋は頼人の胸辺りの氷に左手を当てる。
「ご苦労だった」
そのまま頼人の上半身ごと撃ち抜いた。
地下室には悲鳴が木霊する。
胴胸部を失った両腕と首が床に落ちて血を流し、半身が残った氷の土台から、火山のように血が噴いていた。
***
永瀬義朋が現れた。
他の人質と同じように地下室で囚われているはずの天子協会の重鎮。
真夏だと言うのに灰色のジャケットまでをビシッと着て、整然とした白い髪と髭は汗に濡れていない。
終戦の空気がガラリと変わり、はっきりと掴めない緊迫感に場が包まれる。彼の存在感は敵味方の立場を超え、全員を警戒させていた。
義朋に慣れている蓮王が一番に質問を投げる。
「けっこう強力な結界に入れられたって聞いてたんだけど?」
「あの程度の魔術、どうということもない」
「捕まったのはわざとってこと?」
「そうだ。今の両腕を失うのは惜しかったからな」
義朋にとって康臣はまだ死なせるには惜しく、頼人の思惑を見通す必要があった。虎穴に入らずんば虎子を得ずーーとまで身の危険を感じた訳ではないが、その方が効率が良さそうだとは思った。
結果は今に至る通りである。
「その割には一人なんだ」
「頼人は処分した。康臣は白鷺と堕天子のところに置いてきた」
処分。道具を捨てたかのように言う。義朋の精神性を窺い知れる台詞だ。
しかしこれは序の口に過ぎない。
義朋は蓮王の隣に立ち上がった白蓮に視線を移した。
「さて、白蓮」
「……」
「永瀬の子を作れ」
「…………は?」
「それで今までのことは水に流そう」
「何を言っている……?」
義朋から発せられた言葉は白蓮の理解の外だった。
白蓮は義朋が建前として昇格試験を台無しにしたことを、本音として面子を潰したことを責めてくるものだと思っていた。名前だけでも自らが委員長を務める試験を滅茶苦茶にされたら、各天宿の天子を預かっている体裁上、永瀬としても黒としても面目丸つぶれである。それは彼の政略において、小さくないダメージのはずだった。
それをまさか、今回の事件が起こった根っこの要因をそのままぶつけてきた。しかもおそらくは自分の為。利己的の最たるものだった。
そんな義朋に異議を覚えるのは永瀬の関係者だけではない。
特に白蓮を想い慕う美怜は。
「そうですわ! 何を仰ってーー」
「本妻は貴様で構わん」
「ほんさっ!?」
目を大きく開き、一瞬で顔を赤らめ、両手で口を塞いでしまう。
実は、美怜と白蓮は明確に交際していない。白蓮に惚れた美怜が彼の傍に居るようになり、白蓮が煩わしく思わなくなってそれを許しているだけ。
そんな関係だから一足飛びに夫婦を許されれば、瞬時に夫婦のあれやこれやが妄想されて沸騰するのである。
しかしながら、みそ……アラサーにしては初すぎであり、緊張感に欠けるリアクションに翠も呆れた。
義朋は一言で美怜を黙らせる(?)と白蓮との会話に戻る。
「優秀な娘が好ましいが、この際だ。俺の血筋なら誰でもいい、好きに選べ。段取りはーー」
「ふっ、ざけるな!!」
義朋を閉じ込める巨大な氷塊。天を衝くその大きさが白蓮の激高に比例している。
「またそうやって貴様は、怨恨を振り撒くのか!」
普通ならば勝負が決した状況だが、白蓮は義朋に聞かせるように激しい口調で言い放つ。これで終わらないことを、白蓮は知っていた。
内側から外側に向かって白い亀裂が隅々まで奔ると、まるで自壊していくかのように氷塊は崩れ去る。砕け散った氷の雨が、白く冷たい空気を辺りに振り撒いた。
白霧が周りの森に流れていき、何事も無かったように姿を現す義朋。怒りではなく少し呆れたような、面倒そうな目が白蓮に向かう。
「やはり多少の躾は必要か…………蓮王、隣の反逆者を捕らえよ。天会の処罰を下す」
義朋は天子協会の最高色:黒。この場の全員に命令を下せることが可能であり、特殊色の紅だろうと己の政治力があれば、その一人を処断することは容易だった。
しかし、蓮王は白蓮の隣から動かない。
「どうした」
「いや〜、気持ち的にはこっち側なんだよね」
蓮王は賭けに出た。
目を細める義朋の迫力に後退りしてしまいそうになりながらも、冷や汗を隠して腹を括る。
最上ではないが、今以上のチャンスが次にいつ来るか分からない。義朋が一人でいて、義朋を攻撃しても少ない罰で済むこの状況。
今後の人生、少なくとも義朋が死ぬまでの人生を賭ける価値がある。
「ねえ、もしあんたが負けたら、僕らにちょっかい出すの止めてくれない?」
目の前の老獪に『退場しろ』とは言えなかった。それでは義朋が乗ってこないから。だからこその僅かな自由。この自由は、きっと白蓮にも価値があるはずだから。
義朋は瞼を閉じ、数秒考えた後、決断して目を開けた。
「良かろう。だが、俺が勝ったら従ってもらうぞ。蓮王、白蓮」
「だってさ、兄さん」
「…………ーー上等。お前との共闘は気に食わないが、今は使えるもの使わせてもらう」
「そうこなくっちゃ」
蓮王は白蓮から少し離れ、青狼を生み出していく。
白蓮の天力が収束していき、銀灰色に輝いていく。
義朋はスーツの釦を外し、ネクタイを左手で少し緩める。両手の指を折りたたんでは広げ、天力の通しを良くしていった。
場が戦闘直前まで暖まったところで、連王が義朋に相対したまま後方の翠に指示を出す。
「翠、そこの二人逃しといて」
「え」
白蓮も連王に倣う。
「美怜」
「! はい、承知しました」
白蓮のその一言で美怜は二人の(主に白蓮の)意図を理解する。
「ほら、行くわよ」
「え、でも」
「そうですよ。あんなの全員で戦わないと」
「い・い・か・ら、行くわよ」
美怜は優里菜と千花の手を握るとすぐに離れる。後ろを翠が守る。
男どもの姿が木々に隠れて見えなくなると、すぐに戦いの音が鳴り響く。
優里菜が心配になって美怜に意見する。
「美怜さん、やっぱり戻った方が。後衛なら援護もできます」
「そうですよ。あの結界を簡単に破ったなんて相当な人ですって」
「ええい、うるさいわね!」
美怜は影を二人のお腹に巻きつけると、両手を叩くように美怜の前で二人をぶつけた。
「いっ!」
「ったい!」
「あんたたちね、白蓮様の心遣いを無駄にしないでちょうだい!」
察しの悪い二人に美怜は足を止めずにまくし立てる。
「いい? 元凶はあの老害でも敵は櫻守正樹と白鷺拓真、それから外縁に配置された天子と人形なの!」
「「!」」
「白鷺拓真は堕天子が戦っていたところに取り巻き一号が合流したみたいだから、白蓮様たちみたいになってる」
白鷺は竜胆が取り纏めている東北にある一つの支部を担っている。だから白鷺の一部始終を竜胆家長女・美怜は伝え聞いている。事件の影に永瀬ーー斯波康臣がいたことも。
けれど、クリティカルはそこじゃない。
「なら問題は勝炎と戦ってる[おかん]よ。こっちにも櫻守正樹が来ないなら彼は[おかん]のところに行ってる。……[おかん]でいいのよね、勝炎と戦ってるのは」
美怜は振り向いて翠に一応の確認をする。
「ええ。合ってます。でもそうか、[おかん]が勝炎に負けると思えないけど、櫻守正樹が合流したなら……」
「そういうこと。刄もいたでしょう。彼はどうしてるの?」
「人形の破壊と外縁の天子の無力化です」
「そう、なら急ぎなさい」
いつの間にか試験会場一帯を一望できる崖の上まで来ていた。
美怜は優里菜と千花をくるりと反転させると、その景色を見せる。もちろん雄大な自然を見せる為ではない。
紅クラスの戦闘で局地的に地形が変わっている森の姿。
眼下には白蓮との戦いの後で樹氷に変わった森、洋館のやや南西側には草葉の剥げた乾燥地帯があり時折火が上る。そして北側は……焼滅していた。赤黒き大地が広がっている。
優里菜と千花はその有様に絶句していた。
「翠、先導頼んだわよ」
「え、美怜さんは?」
「戻るわ。どこの里とも知れない女に白蓮様を渡してなるものですか」
白蓮が敗北すれば長きに渡る義朋の干渉が待っている。もしも白蓮と婚姻できたとしても、彼の周りには義朋の息のかかった者ばかりで美怜が妾になりかねない。しかも営みにまで口を出されること必至。
冗談ではなかった。
「あの美怜さん」
「なに?」
「そろそろ下ろして頂けると嬉しいです、なんて……アハハ」
いろいろな事情がわかったところで、優里菜は今感じている嫌な予感が外れていたら良いなと一縷の望みを聞いてみたが、美怜はにっこりと笑みを浮かべる。
「ええ、落ろしてあげるわ。ショートカット、ジャンプマスだと思いなさい♪」
ゾッと優里菜と千花の肝が冷える。
直後、一言も発せる間も無く、二人の直下にあった支点だけが崖先に向かって移動。ピタリと止まる。急反りになった影が二人の身体を急速に引っ張る。二人が崖の先端を超えると、その影は限界まで伸び続けた後、二人を手放した。
「ひゃああああああ!!?」
「きゃああああああ!!?」
これは投石機だ。二人は文字通り空に投げられた。命綱無しの強制ハイダイビング。それはそれは見事な放物線の軌道に乗る。
「そのくらいなんとかしなさい! 私たちに勝ったんだから」
決して聞こえることのないだろう激を飛ばす美怜の横で翠が嵐鎧を纏っている。
「ご武運を」
「貴女もね」
翠は放物線の頂点を過ぎた二人を追って、躊躇なく崖を飛んだ。




