第十八話 現れる影
「武闘演」→「天武演」へ名称を変更しました。(2023/12/4)
日が西に傾き始めようする頃。
ボロボロになった広輝と拓真は大の字で仰向けになって空を眺めていた。
「だいたい、お前源子……それでなくても家系に恵まれて、ないだろう」
「はあはあ……そうですけど、それが?」
「こちら側についたって、おかしくないと、思ってたんだがな」
『確かに』と広輝は自分でも思う。血統主義の悪い側面は天子協会に居れば居るだけ聞こえてきて、知れば知るほど見えてくる。
それは岳隠に居た頃より、鳴上に転属してからの方が顕著だった。
「鳴上で、血統に驕る人をたくさん見ました」
「だろう?」
「力こそ全て。そんな人たちも見てきました」
「……」
「生まれ持った力のせいで、人とは違うから辛い思いをしている人もいます」
その子供たちが、ちゃんと血統に裏打ちされた力の傘の下で笑顔を取り戻すところも、暮らし続けているところも知っている。
けれど、血統主義を廃した後に出来上がるのは、能力ある者が君臨する陽本が掲げる実力主義の世界。血統主義が血の薄い者を切り捨てるように、実力主義ならば力のない者が切り捨てられる。どちらにも源子には厳しい世界だが、拓真たちが事を成した後、彼ら彼女らの環境が悪くなる可能性を十分に秘めている。
拓真は問い掛ける。自分を止めようとしている、耳に入ってきた前評判よりも随分と血の通っている[堕天子]に。
「だから、血統主義は必要悪だと?」
「……わかりません。オレにはわかりません」
広輝の頭の中に居るのは岳隠のみんなの姿。みんなにとってどちらが良いのか、広輝には分からなかった。
「俺はな、もう二度とあんなことを起こさせたくないんだよ。宗家と分家、分家同士の狭間で、自分の家族を守る為に身を捧げなけらばならなくなるようなこと……お前だってそうだろ? 堕天子、いや久下広輝」
「……え?」
「明かされた真実が本当なら、その性格と変容も理解できるって言ってんだ」
広輝は首を動かして拓真を見るが、拓真は日の遠くなった青い空を仰いだまま。
「二度と失敗しないように心を鉄にして、高ぶりそうな感情を理性で押さえつけている。剣帝の錆だなんて陰で揶揄されたのに、今はもう見る影もない。余程追い詰めてきたんだろ? 自分を」
「どうしてーー」
「俺も、そうだからだ」
拓真は今でも克明に思い出せる。
「紬……紬と小さな命を失ったあの日、どれだけあいつらを憎んだか。そして、同じくらい助けられなかった自分の無力を呪った」
それは復讐の原点。渦中にあった拓真の想い人ーー朱鷺坂紬ーーが、拓真に全てを内緒にして拓真の兄・白鷺新太の元へ向かったあの日。彼女は白鷺の分家の要求を蹴り、新太の要求を飲むことで大事な人たちを守ろうとした。
憎んだ、そうせざるを得なかった彼女を取り巻く状況を。
恨んだ、何故誰も何も教えてくれなかったのか、と。
呪った、気付けずに守れなかった自分を。
ーーあの時あの瞬間、全てを守り、覆す力があればーー
「だから分かる部分もあるんだよ」
拓真は異母兄弟であり、現在の銀羽支部の天守・白鷺向洋と共に天武演で良い成績を修めていたが、そんなもの何の役にも立たなかった。長男の新太を、暴政を繰り返す次期当主を、その座から引き摺り下ろすだけの力がなかった。操りやすい長男を支持する分家を従わせる力と将来性の証明がなかった。白蓮や美怜、異端児と呼ばれていた勝炎、才覚を外に現し始めていた星永慧輔。彼らのような力があればもしかしたら……何度思ったか数え切れない。
羨む度に当時の自分を殴りたくて、叫びたくなった。
だから共犯者であり、社会構造の根本を変える復讐の道を示してくれた櫻守正樹に師事を仰いだ。鬼のようなスパルタに何度も地獄を見たが、あの時の無力感と絶望を思い出すだけで乗り越えられた。
その過程を辿ったが故に、広輝の今までを想像することは容易だった。
「ただ、もう後戻りはできない」
拓真はゆっくりと体を起こす。
少年少女、試験官を人質にして天会を脅迫した。既に協力者の勝炎が数人殺害している。ここで止まったとして、行き先は同じ。元より止まる気は無いが、完遂するしか道は無い。
また、拳を交わしたことで多少は広輝を理解したつもりだった。
広輝は拓真を理解したいのだ、と。
拓真はその理由を知る由もない。けれど、広輝は拓真を肯定も否定もせず、ただ分かろうとしている。
仰向けの広輝を見下ろせば、未だにそういう目で見返してくる。
今度は広輝が拓真から視線を外し、空を見上げて思い出しながら言った。円から聞いた彼女の言葉を。
「『源子だからとか、名のある血筋だからとか、普通じゃないからって、それが態度を変える理由に、私には為らないのです』」
「? そんなのお前が言ったところで」
広輝は再び拓真の目を見て言う。誰が言ったのかを。
「オレじゃありません。言ったのは優里菜です。月永の嫡子である月永優里菜」
拓真は目を瞠った。正樹から直系が穏健派であることは聞いていたが、話半分だった。何故なら、白鷺がそうではなかったから。もしも自分が長男で、成人まで問題なくその座に居たのなら、血統主義におそらく疑問を抱かなかったと自己分析していたから。
広輝も体を起こして、胡座に座り直すと、両腿に手を当てて背筋を伸ばした。深呼吸を一つして、自分なりの意見を拓真へ述べる。
「現状の全部が良いとも思いません。変えていかなくちゃいけないこともあると思います。でも、貴方がたの変え方に優里菜を、次代を変えられる彼らを巻き込むのは、違うと思うんです」
拓真は広輝の真摯な意見を受け止めながらも、少年の意見に落胆した。
堕天子ならば、天武演の頂点に達した者ならば、現実を見た見識をくれるのではないか。少し期待しており、期待していた自分に嘆息した。
その失望が混じった声で改めて問い掛けてみた。
「なら、お前ならどうする。お前ならどうした」
「…………」
その問いに対して、広輝は口を閉ざして答えに窮している。今の彼に答えは無い。
拓真は腰を上げ、広輝に背を向けて距離を取る。空に向かって息を吐くと、振り返った。
「答え無きお前に、お前が、これ以上俺達の邪魔をするな」
拓真が天力を練り始める。戦闘の合図であり、広輝が失敗した証。
広輝も唇を噛むと拓真と同じように立ち上がり、地面に突き刺したままの太刀を引き抜く。
もう一本の剣を鉄次に渡そうと思ったが、いつの間にか姿を消していた。仕方がないので、からからに乾いた木の傍に立て直してから、太刀を拓真に向ける。
広輝も天力を纏おうとした時、森から男が姿を現した。
「ほう、面白いところに来たな」
***
「いやー参ったね」
「美怜さんは抑えていたつもりだけど?」
「うんうん。翠はよくやってくれたよ」
白蓮&美怜ペアと戦っていた蓮王と翠は、反り立つ崖の下に身を隠し息を整えていた。戦いの中で天真館からは遠く離れ、ハイキングコースである山道まで来ていた。崖の上から冷気が漂い落ち、戦っている相手の存在を一瞬も忘れられない。その白蓮を相手にしていた蓮王の消耗は大きい。格好良く整えた髪は乱れ、冷や汗混じりの汗が顔や首筋に流れ、肌着が体にくっついている。
「さすが紅随一の天力放出量、[氷帝]の名は伊達じゃないね」
「……」
まだ声に深刻そうな色を見せない蓮王を見て、翠は改めて蓮王を高く評価した。
蓮王は、天術で生み出した水の狼を、囮・誘導・撹乱・襲撃・必殺と巧みに使い分けて、何度も攻撃を当てかけた。しかし、腕を振れば見上げるほど大きな氷を生み出し、視線を向けるだけで氷の矢が飛び、いざ懐に入り込まれても、振り撒いている凍気が近づく敵を瞬間冷凍する[氷帝]。今、彼の辿った道のりは氷の世界に変わり、樹氷の森へと豹変していた。そんな白蓮と戦い、蓮王自身は一度も攻撃を受けていない。
口を開けて空を見上げ、胸元のシャツをパタパタと前後させている蓮王が視線だけを翠向けて時間を尋ねた。
「今何時?」
「一六:一〇」
「最悪あと八時間……無理だ。短期決戦に出ようか」
短期決戦、つまりリスクの大きい捨て身の攻勢。それなりに長く行動を共にした翠からすると、蓮王らしくない作戦だった。翠自身も防御を無視すれば美怜の懐に飛び込めるが、時折嵐鎧をも貫いてくる影の槍を掻い潜るには相応の勇気が必要になる。だから、少し弱音が見える質問が出る。
「突破口はあるのか?」
「無いねえ……何かピースがあれば……?」
苦笑いを浮かべる蓮王が森の中に何かを見つける。それが何か分かると、下がっていた眉尻が上がっていく。
「ああそうか。そうだったね。最初からそういう算段だった」
今までの情報を一気に整理させていき、打開策を一気に組み立てていく。
「早速作戦を立てようか」
そこにはいつもの蓮王が戻っていた。
・
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樹氷の森の外側を、美怜は白蓮から一歩下がって付いて歩いている。彼女は森には不釣り合いだが、着ているドレスにはピッタリのサマーブーツを履いているが、足元を影の床にすることで道なき道の悪路を難なく歩を進めていた。白蓮の傍にいるおかげか、真夏の今日でも汗一つ見えない。
美怜たち二人にピリピリした雰囲気はなく、映る範囲で逃した二人を探す。
「どこまで逃げたのかしら? 彼らの脅しが本当になってしまうのに」
正樹や拓真の覚悟は本物だった。何をしてでも血統主義の先にある悲劇を繰り返さない為に、血統主義そのものを止めさせようとしていた。
彼らは本当に殺害するまでのタイムリミットを協力者には伝えており、その僅かな甘さが残っているが、きっとその刻限を超えたら人質を殺し始めるだろう。その復讐を火種にした烈火を以て。
白蓮は眼鏡の位置を直し、美怜の心配は杞憂だと流す。
「紅として動いているのなら必ず来る。そのくらいのプライドはあるだろう」
[任務の絶対優先]、これと引き換えに多くの自由を甘受できる。また、天子協会の勅命には絶対服従だが、それ以外の任務では[紅は紅であることを自由に宣言できる]。つまりは、「今、紅になると面倒そうだから蒼のままでいるね」が可能である。一応、一度宣言したら任務完了まで通常色に戻ることはできないという制約はある。
そんな勝手が利く自由を、大いに満喫している蓮王が手放すはずがない。
それが白蓮の見解であり、正解のようだ。
「さすがは兄さん。ちゃんと理解ってくれてるじゃないか」
「ーーーー」
後方から現れた蓮王を見て目を細める。咄嗟に氷を出しそうになったが、一人だったので止めた。
白蓮の前に出た美怜が表情を消して尋ねる。
「翠はどうしたの?」
「奇襲準備中」
「あらそう」
美怜の足元から蓮王まで一瞬で影が伸び、蓮王の影から影が飛び出るが、蓮王は難なく躱す。
「悪いけど翠には効いても僕には効かないよ」
蓮王が手を挙げると、多くの狼が森から白蓮と美怜に向かって飛び出す。それは彼らの後方からも、である。
白蓮は左腕を大きく振って反転する。一八〇度オーバーの範囲が凍結の空間と化し、狼たちが氷像に変わった。
「何度も同じ手を」
「くっ」
「!?」
その間に他の狼が水のブレスを放ち、白蓮を守ろうとした美怜の影の合間を通って直撃。
「今度は私からってことね」
大したダメージにはなっていなさそうだ。
美怜のスイッチが切り替わる。天力の上昇と共に長い髪が浮き上がった。
「いいでしょう。ここから本気でーー」
「もらったああ!!」
「っち」
白蓮が凍らせた狼たちの向こうから嵐鎧を着た翠の飛び蹴り。白蓮が反射的に防御に出した左腕にヒット。そのまま美怜から大きく離れた。
「白蓮様?!」
白蓮が両脚を広げて右手を地面につけてどうにか転倒を免れている。
美怜は白蓮がいた場所に着地した翠を憤怒の目で睨みつけた。
「……翠、今のは許さないわよ」
「こっちも勝つのに必死でしてね!」
翠は右拳を振りかぶるも影の守りに阻まれる。そのまま攻め立てず、距離を取った。
美怜の怒りのボルテージは上昇し続けており、怒りから殺意に変わり始めている。指をなにか掴むような形に揃え、右腕を地面に水平にして肩まで上げた。
その右手に向かって地面から影が伸びる。
「おしおき、じゃあ済ませないわ。全力で切り刻んでーー?」
しかしそれは右手にたどり着くこと無く止まる。
凍って止まる。
美怜の両足も、地面にくっつけられるように足首以下が氷に閉ざされた。
「白蓮様なぜっ!!?」
美怜は腰を捻って白蓮の方を向き、度肝を抜かれた。
四頭の水龍が頭上にあり、内二頭は白氷になっていたが、残り二頭は生きている。喰われる直前だった。
「びゃくーー」
「こっちだよ、美怜義姉さん」
視線が蓮王に行く。正確にはその前に顕現した青色の悪魔。
外側に広がる大きな角を持つ黒山羊の頭部、隆々とした筋肉を見せる上半身なのに人の物には見えない爪の伸びた細い腕。その背中に禍々しい翼を広げている。
悪魔は掴み握るように両手を美怜の左右から覆っていく。
黒山羊の口が開き、まるで美怜を食すように体を、首を倒していく。
「この[悪童]が……!!」
美怜と白蓮は、龍と悪魔が生んだ洪水に沈んだ。
その洪水は一気に森に広がり、その暴力的な水流に耐えられないものは下流へと流されていった。
それは飲み込まれた二人も同じだったが、特務隊を務めるだけあり、たった数十メートル離れたところで倒れていた。しかも偶然なのか、力技で流せれる方向を調整したのか二人の距離はほんの数メートルの位置だった。
白蓮に三頭の水狼が近寄り、その体に爪を乗せる。
「はい、チェック。これで負けを認めてくれると嬉しいな」
白蓮は戦意を失ったような普段の目で、見下ろしてくる蓮王を見上げている。眼鏡が流されてしまった為、微妙にぼやけていた。
そして首を横に倒し、目を細めて美怜を見ると、何故か美怜の前で翠が胡座でこちらを厳しい顔で見ているのが分かった。千花が美怜の脚元でドレスを直しており、翠の反対側で優里菜が何かしている。
何となく察したので、再び空を仰いだ。視界に蓮王が入ってくるが。
「月永の……脱出していたのか」
「そうみたいだね」
蓮王は腰に手を当てて一度息を吐くと、改めて白蓮に尋ねた。
「もう一度訊くけど、なんで今なのさ。殺ろうと思えばいつでもできるでしょ?」
[氷帝]の冬城白蓮。一対一でこの男に勝てる天子はそうはいないと蓮王は思っている。紅の中ですら[獄炎]の陽本勝炎も、副長の武蔵野麻美子も敵わず、それこそ隊長の武永将弦くらいだろうと。
しかし、白蓮から返ってきた答えは耳を疑うものだった。
「……できない」
「え?」
「いつでもはできない。だから話に乗ったんだ」
蓮王の顔が引きつり、焦りが声に滲む。
「そんなバカな。[氷帝]でも殺せないって言うの、あのクソジジイ」
「そうだ」
白蓮の断言で、蓮王の表情が固まった。
「お前が言った通りあの男は"強い"」
白蓮の言う"強い"は、蓮王が言った"強い"に含まれない意味が加わっている。
政治屋としてだけでなく、天術士として強いと白蓮は言っているのだ。永瀬義朋は、決して権力にふんぞり返っている老害だけではないと。
蓮王は僅かに震える唇を動かし、白蓮が断言するほどの根拠を恐る恐る訊く。
「暗殺に失敗したような口ぶりじゃないか」
「その通りだ」
今度こそ蓮王は言葉に詰まった。自分の計算が根底から覆ってしまったのだ。
白蓮は蓮王が言葉を失くしている理由に見当がつかなかったが、彼らの作戦にも影響するのかもしれないと思って、親切心で翠たちにも聞こえる声量で暗殺の時のことを話し始めた。
「奴が当主の座を明け渡した時だった。俺は力が衰えたから身を退いたのだと思った」
白蓮が特務隊に入隊したての頃だった。
今日のように暑い夏の日、日暮れの茜時から急速に分厚い積乱雲が空を覆いき、黒い雲が雹を強く撃ち落としていた。その雲の合間から雷光が閃き、雷鳴が轟く。
外にいては会話もままらなかった。
この気象は、白蓮が天に『殺れ』と言われ、背中を押してくれているのだと勘違いするほど、好機だった。
「継承の儀の後、酒宴が終わりホテルへと移動する奴の車を襲撃し、氷漬けにした」
呆気なかった。妨害と呼べるほどの抵抗は無く、大粒の雹を無傷で弾き返すほど強固で大きな氷に閉じ込めて、中の全員を凍結させることができた。
「だが、負けた。奴は一緒に乗っていた当時の側近と運転手もろとも俺の氷を粉砕して脱出すると、俺を一撃で気絶させた……俺の襲撃は悟られていたらしい。康臣の尾行と偵察に気づかず、奴の掌で転がされ、邪魔だった側近の始末もさせられた」
氷塊から出た義朋は、目を丸くしていた白蓮を一瞥すると『礼を言う』と口にすると手を白蓮に翳した。
白蓮の記憶はそこまでで、気づいたら病院のベッドの上にいた。
白蓮の暗殺は事故という形で全て処理され、白蓮が罪に問われることは無かった。
圧倒的で絶望的な、何をされたかも分からないほどの実力差。白蓮は活動拠点を東海に移し、牙を研ぎながら虎視眈々と機を窺うようになる。
その告白に衝撃を受けたのは蓮王だけではない。美怜を除く全員だ。
同時に優里菜がおかしな事に気付く。
「え、ま、待ってください。今の話が本当なら」
白蓮以上の力を義朋は持っている。
つまりーー
「懐かしい話をしているな」
顎髭を綺麗に整え、灰色のスーツを着た白髪の老人がそこにいた。




