後日譚 男爵エノックは、想い人アリスに告白がしたい 後編
数時間後。
実家で落ち着かない気持ちで過ごしていたエノックは、ようやく息をついた。
「結局、昼過ぎになっちゃったよ」
誰に言うわけでもなく、そっと独り言を言った。
それに対してアリスは嬉しそうに微笑んでエノックに共感を求める。
「エノックのお家ってすごいね。ついたくさん貰っちゃった」
ビノシュ家は何でも取り扱っている商家で、アリスの興味を引くものもたくさん取り扱っていた。
お菓子や香水などの嗜好品、可愛らしい服を一着貰っていた。
今のアリスは、可愛らしいリボンのついた白いワンピースに着替えていた。
「お昼もご馳走になっちゃった。すごく美味しかったね!」
「うん、そうだね……」
「なんだか調子が悪そうだけど、どうしたの?」
「あんなに持ち上げられるのは初めてだから、ちょっと調子が狂っちゃってさ」
ビノシュ家で歓迎の昼食会が催されることになったのだが、それはもう凄いものだった。
家族と使用人が総出で二人を出迎えて、アリスとエノックに次々と褒める言葉をかけてくるのだ。三男で、普段はほとんど相手にもされていなかったために、ギャップも大きくて戸惑った。
しかしそれよりも問題だったのは、アリスと二人きりでの昼食の機会を逃してしまったことだ。
何とか、こっそり昼食会を抜け出してきたのは良い。
でもこれじゃあ、せっかくレティシア様に助けてもらったのにチャンスを逃してしまう。
エノックは少し焦っていた。
「この街も、あっという間に良くなっていくね」
街を歩いているとアリスが言った。
エノックもあたりを見渡す。
そういえば、このあたりはスラム街に通じている場所で、治安が悪かった地域だ。
今は兵士が巡回していて、粗雑な容姿の大人が改修工事に励んでいる。
「王都に住んでいたのはほんの短い間だけど、明るくなったような気がする」
「うん、アリスの言う通り。クリスタ様が来られてから、雰囲気も全然変わったよ」
学園の悪魔騒動が起きる前まで、街の話題をさらっていた大事件がある。
侯爵令嬢クリスタが、お忍びで街に降りてきていた。
悪の元締めを逮捕し、今では政策の一環としてスラム街を一掃して、かわりに多くの仕事を与えて住む場所を提供している。
全員が入っているわけではないが、それでも以前の状況からは圧倒的に改善して、スラム街と呼べる地域は半分以上が出歩ける場所に変わっていた。
「クリスタ様は、本当にすごいよ」
「うん!」
アリスは、恩人であるクリスタのことが大好きだ。
褒められて嬉しそうだった。
「でも結構無茶をするところもあるよね」
「そうかな?」
「三人でスラム街に乗り込むなんて、最初は考えもしてなかったよ」
「あはは……それはそうかも」
何度か一緒に行動しているエノックも、その所業を知っている。
裏から国を回すべき立場の人間が前線に出るなんて前代未聞だ。
悪魔に操られた配下を救うためだったのだが、やっぱり無茶で、配下想いの大貴族なんだなと改めて思った。
「僕たちみたいな下級貴族にも普通に接してくださるところも変わってるよね。今でもそうだけど、最初はすっごく緊張したなあ」
「わたしはそういうの最初全然わからなくて。最初は爵位も全然知らなかったから、後で大変だったんだ」
「アリスって結構危ない橋を渡ってきてるよね……」
「お母さんと一緒に田舎で暮らしてたから、貴族のことは分からなかったの」
王家はアリスが勇者の娘だと知っていたので、今にして思えば、ある程度の力が働いていたのだろう。
しかし、それにしても平民からいきなり貴族になるなんてすごく大変だったはずだ。
自分でさえ学園に入る前には、徹底的に礼儀を叩き込まれたのだ。
何も知らずに貴族学園に入ったアリスの危うさは、想像を絶している。
「僕たちが友達になった時から、何もかも変わったよね」
「そうだね。こんなふうになるなんて思ってなかったよ」
街を歩きながら、出会った頃をぼんやりと思い出す。
話の時間軸はどんどん遡って、エノックとアリスが出会った頃まで戻った。
「アリス、最初は魔法が使えなくてすごく苦労してたよね」
「うん。クリスタ様やエノックに助けてもらえなかったら、きっと今でも大変だったよ」
「僕?」
「だってエノックも、熱心に教えてくれたでしょ」
言われて初めて面食らった。
そういえば、そんなこともあったかもしれない。
「で、でも結局、僕なんて何の役にも立てなかったし」
「ううん、そんなことない。一緒にいてくれたおかげで魔法が使えるようになったと思ってる。一人ぼっちだったら、あんなに頑張れなかったと思う」
熱心に言われて、エノックは何も言い返せないほど照れた。
「色々なことがあったけど、こんな風に一緒に楽しく過ごせるのはエノックのおかげでもあるんだよ」
「僕だって、アリスがいなかったら今でも冴えない三男のままだったよ」
「そんなことないと思う。でも、そう言ってくれるとちょっと嬉しいな」
はにかんで微笑むアリスに、続けて言う。
「ねえアリス。僕、これからもっと頑張って偉くなるよ」
「えっ?」
「きっと見合う男になるから。これからは友達じゃなくて、恋人として付き合ってくれないかな。
周囲に人が少ないタイミングだったのが後押しして、思わず口をついて出た。
言い切ってから、エノックはやってしまったと思った。
アリスは目を丸くして立ち止まった。
「あ、え、えっと……」
思わず息もできなくなるほどの緊張の末。
アリスは言った。
「……うん」
「……え?」
エノックは思わず声をこぼす。
「わたし、そういうのって初めてでわからないけど、いいかな」
「い、いいの?」
「もう、エノックから言い出したんでしょ」
顔を赤くしながら、少し怒ったように頬を膨らませる。
エノックは天にも登る心地だった。
「私たち、一緒に過ごせたおかげで心強くなれたと思うの」
アリスは目をとろんと蕩けさせながら、今度は照れたように頬を緩ませて言った。
「クリスタ様やみんなが応援してくれたから前に進めたけど、辛かった時から今までずっと、エノックがいたおかげで支えられていたんだよ」
「そんな風に思っていてくれたの……?」
「うん。だから、すごく嬉しかったんだ」
ついこの間まで、勇者の娘と付き合うなんて恐れ多いなんて言っていたことも忘れて、目の前の女の子にもらった幸せに酔いしれた。
するとアリスは身を乗り出して、エノックの頬にキスをした。
「ふゃっ!?」
急に肌が触れ合って、頬に女の子の唇の柔らかさを感じて大いに戸惑った。
エノックの取り乱しぶりを見て、アリスは照れ笑っていた。
「あ、あ、アリス、一体何を……!?」
「いつか恋人ができたらこうするといいって、お母さんに教わったんだけど、違ったかな」
「す、すごくよかったけど、こんな場所でまずいよ……!」
「あっ……」
アリスは目を丸くして視線を外して、遅れてどういう状況か気づいた。
ここは街で、普通に人が行き来している通りだ。
人通りが少なかったはずなのに、みんな足を止めてニヤニヤと自分たちを見ている。
「行こうアリス!」
「う、うん、ごめんねエノック……!」
アリスとエノック。
二人で顔を真っ赤にして、その場からそそくさと逃げ出した。
その後、付き合い始めた二人はたびたび街に出てデートを重ねた。
主の侯爵令嬢クリスタからも特に何も言われることなく、レティシアやアンリにいじられながら関係を深めた。
やがて惹かれあった二人は婚約して、数年後に結婚式が開かれた。
下級貴族ではありえないほど豪華な式場と参列者にエノックが卒倒したり、結婚後に勇者の娘であることがばれてビノシュ家で大騒動が起きたりするが、それはまた別の話。




